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捕虜にされた令嬢と、限界オタクな尋問官の素敵な牢獄生活〜さぁご褒美の時間です〜  作者: 九葉(くずは)


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19/20

第19話 停電した地下牢で、私たちは唇の距離まで近づいて...

拡張工事によって2LDKとなった「第零監獄」での共同生活は、順調に、そして賑やかに過ぎていた。


 リビングには父上が陣取り、キッチンからは私の作る夕食の匂いが漂い、寝室ではギデオンがシーツの皺一つ許さない完璧なベッドメイクをしている。

 傍から見れば、少し変わった家族の団欒風景そのものだ。


 けれど。

 この「家族ごっこ」には、一つだけ致命的な欠点があった。


「……セラフィナ、皿洗いは俺がやる。貴様は座っていろ」

「いいのよ、ギデオン。二人でやった方が早いでしょ?」

「だが、貴様の手が荒れる。俺の手などタワシ代わりでいいが、貴様の手は国宝だ」


 夕食後のキッチン。

 私たちは並んで洗い物をしていた。

 ギデオンの横顔は穏やかだが、その眉間には僅かな皺が刻まれている。


 そう、欠点とは――「二人きりの時間」が圧倒的に足りないことだ。


 リビングからは、父上の豪快ないびきが聞こえてくる。

 父上はポヨンを抱き枕にして、すでに夢の中だ。

 このいびきが壁を震わせている限り、甘い雰囲気など生まれようがない。


「……はぁ」


 ギデオンが小さく溜息をついた。


「どうしたの? 疲れた?」

「いや……。ただ、贅沢な悩みだとは思うが」


 彼は水を止め、タオルで丁寧に私の手を拭いてくれた。

 その指先が、私の掌を愛おしむように撫でる。


「貴様が近くにいるのに、遠く感じる時がある。

 義父上の手前、あまりベタベタするわけにもいかんしな(本当は一日中抱きしめていたいが)」


 彼の本音が、括弧付きで聞こえてきそうだ。

 私も少し頬を赤らめる。


「そうね。……でも、私はギデオンとこうしているだけで幸せよ?」

「セラフィナ……」


 ギデオンが感動に潤んだ瞳で私を見つめた、その時だった。


 フッ。


 唐突に、視界が奪われた。

 キッチンの照明も、リビングの明かりも、廊下の魔石ランプも、一斉に消失したのだ。


「――ッ!?」


 完全なる闇。

 地下牢には窓がない。光源が消えれば、そこは真の闇に閉ざされる。


「停電……!? いや、魔力切れか?」


 暗闇の中で、ギデオンの鋭い声が響いた。


「増築工事で魔導回路を繋ぎすぎたせいで、ブレーカーが落ちたのかもしれん。ロイドのやつ、容量計算をミスったか……!」

「ギデオン、どこ? 何も見えないわ」


 私は闇の中を手探りで泳いだ。

 戦場での夜目には自信があるけれど、この完全な暗闇では勝手が違う。

 不安が胸をよぎった瞬間、温かい手が私の手首を掴んだ。


「ここだ。動くな」


 すぐ耳元で、彼の声がした。

 低い、落ち着いた声。でも、吐息がかかるほどの近さだ。


「大丈夫か? 怖くはないか?」

「う、うん。あなたが近くにいるなら、平気」


 強がりではなく、本心だった。

 彼の手の温もりが伝わってくるだけで、心臓の鼓動が少し落ち着く。

 ……いや、逆に早くなっているかもしれない。別の意味で。


「ロイドがすぐに復旧させるはずだ。それまで、じっとしていよう」

「そうね。……父上、起きないかしら」


 耳を澄ますと、リビングの方から変わらず「ズゴーッ……」といういびきが聞こえてきた。

 さすが将軍。肝が据わっているというか、ただ寝汚いというか。

 この闇の中でも、彼の睡眠は妨げられていないようだ。


 そのいびきが、妙に遠く聞こえる。

 キッチンという狭い空間。

 閉ざされた闇。

 世界には今、私とギデオンの二人しかいないような錯覚に陥る。


「……セラフィナ」


 ギデオンが私を引き寄せた。

 ドン、と彼の胸に背中が当たる。

 彼は私を背後から守るように抱きしめたのだ。


「ギ、ギデオン?」

「足元が危ない。……こうしていれば、転ぶこともないだろう」


 苦しい言い訳だ。

 でも、彼の腕の力は強くて、それでいて私が痛くないように優しく調整されていた。

 背中に伝わる彼の鼓動が、トクトクと早く打っているのが分かる。


(……この人、緊張してる)


 そう思ったら、なんだか愛おしさがこみ上げてきた。

 普段は冷徹な「氷の尋問官」を演じているくせに、中身はこんなにも純情で、熱い。


 私は彼の腕に手を重ねた。


「ねえ、ギデオン」

「なんだ」

「心臓の音、うるさいわよ」

「……ッ、貴様のせいだ」


 彼が私の肩に顔を埋めた。

 熱い吐息が首筋にかかり、ぞくりと背筋が震える。


「暗闇というのは……毒だな」

「毒?」

「ああ。視覚が奪われると、他の感覚が鋭敏になる。

 貴様の体温、髪の香り、息遣い……。

 全てがダイレクトに脳に響いて、理性が削られていく」


 ギデオンの声は、切羽詰まったように掠れていた。


「俺は……聖人君子ではない。

 ただの男だ。

 こんな状況で、愛する女と密着していて……何も感じないわけがない」


 彼の腕に力が入る。

 抱きしめられる強さが増す。

 それは痛いほどではなく、私がどこにも行かないように確かめるような、必死な強さだった。


「……いいよ」


 私は小さく呟いた。


「え?」

「聖人君子じゃなくていいわ。

 だって、私たちは『終身刑』のパートナーなんでしょ?

 ……夫婦みたいなもの、なんでしょ?」


 私は彼の腕の中で、くるりと身体を反転させた。

 暗闇の中で、彼と向かい合う。

 顔は見えないけれど、気配で分かる。

 彼の顔が、すぐ目の前にある。


「セラフィナ……」


 彼の手が、私の頬に触れた。

 震える指先が、輪郭をなぞり、唇に触れる。


「……キスしても、いいか?」


 問いかけは、あまりにも紳士的で、そして切実だった。

 断る理由なんて、どこにもない。


「……許可なんて、いらないわよ」

「いや、いる。貴様は俺の『囚人』だが、心までは縛りたくない。

 貴様が望んでくれない限り、俺は……」


 面倒くさい人。

 でも、そんな彼だからこそ、私は好きになったのだ。


 私は背伸びをして、暗闇の中で彼の手を探り、自分の腰に回させた。


「望んでるわ。……私を、あなただけのものにして」


 その言葉が合図だった。

 ギデオンの呼吸が止まったのが分かった。

 次の瞬間、彼の手が私の後頭部を優しく、けれど力強く引き寄せた。


 顔が近づく。

 鼻先が触れ合う距離。

 互いの熱い吐息が混じり合う。


(ああ、ギデオン……)


 私は目を閉じた。

 どうせ何も見えないけれど、この瞬間の全てを肌で感じたかった。


 彼の唇が、ゆっくりと近づいてくる。

 あと数センチ。

 あと数ミリ。


 世界が静止する。

 父上のいびきさえ、遠い彼方のBGMのように消えていく。


 そして。

 ついに、私たちの唇が重なる――その刹那。


 **ムニュッ。**


 冷たくて、湿った、弾力のある物体が、私たちの顔の間に割り込んだ。


「……ん?」

「……!?」


 唇に触れたのは、愛する人の熱い唇ではなく、冷蔵庫で冷やしたゼリーのような感触だった。


「ぷきゅー!」


 元気な鳴き声が、二人の顔の間から響いた。

 そして、その直後。


 パッ!


 リビングとキッチンの照明が一斉に点灯した。

 眩しい光が、私たちを照らし出す。


「うおっ、眩しっ!?」

「きゃっ!」


 私たちは反射的に離れた。

 目が慣れると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。


 私とギデオンの間、ちょうど顔の高さの位置に、スライムのポヨンが浮いていたのだ。

 いや、浮いているのではない。

 ギデオンの肩から私の肩へ、橋を架けるようにビヨーンと伸びていたのだ。


「ポ、ポヨン……?」

「き、貴様ぁぁぁ……!!」


 ギデオンが、顔を真っ赤にして(今度は羞恥と怒りで)叫んだ。


「いいところだったのに! あと少し! あとコンマ数秒で、俺は天国へ行けたのに!!

 なぜ邪魔をする! この空気の読めないスライムめ!!」


「ぷるるっ! ぷいっ!」


 ポヨンは悪びれもせず、ギデオンの顔にへばりついた。

 どうやら、暗闇で私たちがくっついているのを察知して、「自分も混ぜて!」と飛び込んできたらしい。

 父上の抱き枕から脱出してまで。なんて嫉妬深いペットなの。


「隊長ー、直りましたよー」


 廊下から、ロイドさんが工具箱を持って入ってきた。

 彼はキッチンの惨状――顔を真っ赤にして息を荒らげるギデオンと、唇を押さえて呆然とする私、そして勝ち誇った顔(?)のポヨンを見て、全てを察したようだ。


「……あーあ。タイミング悪かったですね」

「ロイドォォ!! 貴様、なぜあと10秒遅く修理しなかった!!」

「理不尽なこと言わないでくださいよ。早く直さないと、冷蔵庫のプリンが腐ると思ったんで」


 ロイドさんはやれやれと肩をすくめた。

 ギデオンはその場に膝をつき、頭を抱えて悶絶した。


「俺の……俺のファーストキス(未遂)が……。

 スライムの感触で上書きされた……」


 その姿があまりにも悲痛で、でもおかしくて。

 私は思わず吹き出してしまった。


「ふふっ、あははは!」

「セ、セラフィナ! 笑い事ではないぞ!」

「だって、ギデオンったら……顔、すごいことになってるわよ」


 私は屈み込み、彼の顔についたポヨンの粘液(無害で美容に良い)を指で拭った。


「残念だったわね。……でも」


 私は彼の耳元に口を寄せ、誰にも聞こえないように囁いた。


「続きは、また今度。

 ……父上が帰って、ポヨンが寝てる時にね」


 ボッ!

 ギデオンの顔から、音が出るほど湯気が上がった。

 彼は眼鏡をずり上げ、震える声で答えた。


「……了解した。

 その時は、誰にも、何にも、邪魔はさせん。

 ……覚悟しておけ」


 その瞳の熱さに、今度は私の方が赤くなる番だった。


 リビングでは、照明が戻ったことにも気づかず、父上が「ムニャ……孫の顔が見たいのぉ……」と寝言を言っている。

 孫? まだ早いわよ父上。


 こうして、第零監獄の夜は更けていく。

 キスはお預けになったけれど、私たちの距離は、唇が触れ合うよりもずっと近く、深く結ばれた気がした。

 ……次は絶対に、ポヨンをケージに入れておこうと心に誓いながら。

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