第18話 お義父さんが邪魔なので、隣の牢屋の壁をぶち抜いて2LDKに増築しました
ズゴーッ……ガゴォォォ……。
地響きのような轟音が、地下牢に反響している。
魔物の咆哮ではない。
私の父、ゼノ・フォン・ヴァルハラ将軍のいびきである。
第零監獄に朝が来た。
しかし、今日の朝はいつもと違って、酸素が薄い気がする。
「……狭い」
私は、石の床に敷いたマットレスの上で目を覚ました。
隣を見ると、ギデオンが死んだ魚のような目で天井を見つめている。
目の下には立派なクマ。どうやら一睡もできなかったらしい。
そして、その足元付近。
本来ならスライムのポヨンが寝ている場所に、巨大な肉の塊――もとい、父上が大の字になって寝ていた。
父上の巨体は、狭い牢屋の床面積の半分を占有し、さらに寝返りを打つたびにギデオンの足を圧迫していた。
「……おはよう、ギデオン」
「おはよう、セラフィナ。……腰が砕けそうだ」
ギデオンは掠れた声で返事をした。
無理もない。彼は昨夜、父上のいびき攻撃と、寝返りによる物理攻撃(蹴り)を一晩中受け続けていたのだから。
しかも、父上はポヨンを抱き枕にして寝ているため、ポヨンも助けを求めるように私を見つめている。
「これは……限界ね」
私は身を起こし、部屋を見渡した。
元々、この部屋は独房だ。
そこに私とギデオン、さらに巨漢の将軍とスライムが一匹。
人口密度が限界を超えている。これでは甘い新婚生活どころか、ただの難民キャンプだ。
「んごっ……むにゃ。……おかわりだ、パンケーキをもう一枚……」
父上が幸せそうな寝言を漏らす。
起きる気配はない。むしろ、ここに根を下ろす気満々だ。
ギデオンがふらりと立ち上がり、眼鏡の位置を直した。
その瞳に、決死の光が宿る。
「セラフィナ。……決断の時だ」
「決断?」
「ああ。このままでは、俺たちの愛の巣が、義父上の老人ホームになってしまう」
ギデオンは壁の一点を指差した。
それは、隣の牢屋(現在は空室)との境界にある、厚さ五十センチの石壁だ。
「拡張するぞ」
◆
一時間後。
呼び出された副官のロイドさんが、眠そうな目を擦りながら図面を広げていた。
「……つまり、隣の『第一監獄』と、その隣の『第二監獄』の壁をぶち抜いて、三つの部屋を繋げるんですか?」
「そうだ。間取りは2LDK(二つの牢屋+リビング・ダイニング・キッチン)だ」
ギデオンは鼻息荒く説明した。
「現在の部屋をリビングにする。隣の部屋を寝室、その奥をキッチン兼倉庫にする。
そうすれば、義父上に個室を与えつつ、俺たちのプライバシーも確保できる!」
「プライバシーって……ここ、監獄ですよ?」
「うるさい! 予算なら俺が出す! 工期は今日中だ!」
ロイドさんは深い溜息をついた。
「今日中って……壁を壊すだけでも大工事ですよ? 業者は捕まりませんよ」
「業者などいらん。俺たちがやる」
ギデオンは軍服を脱ぎ捨て、シャツの袖をまくり上げた。
やる気だ。この男、愛のためなら土木工事すら厭わない覚悟だ。
「私も手伝うわ!」
私も立ち上がった。
父上のいびきから解放されるためなら、壁の一枚や二枚、喜んで破壊しよう。
「よし。ロイド、お前は家具の手配だ。
今度こそ、最高級のダブルベッドと、義父上用の頑丈なベッドを確保してこい」
「はいはい……。もう経理になんて説明すればいいのやら」
ロイドさんが去った後、私たちは壁の前に立った。
数百年の歴史を持つ、堅牢な石造りの壁。
普通なら、ハンマーで叩いても傷一つつかない代物だ。
「まずは俺が、土魔法で石の結合を弱める。その後、物理的に衝撃を与えて崩す」
ギデオンが杖を取り出し、詠唱を始めた。
空間がビリビリと震える。
さすが特務部隊長、魔法の腕も一流だ。
「……よし、脆くなったはずだ。セラフィナ、何かハンマーのようなものは……」
「いらないわ」
私はニッと笑い、右足に力を込めた。
体内の魔力を循環させ、身体能力を強化する。
私の得意技は、繊細な剣術よりも、こういう力技なのだ。
「どきなさい、ギデオン! 危ないわよ!」
私は大きく振りかぶり、回し蹴りを放った。
ドゴォォォォンッ!!
爆音と共に、壁の中央が粉砕された。
土煙が舞い上がり、パラパラと石礫が落ちる。
煙が晴れると、そこには綺麗な風穴が開いていた。
「……」
ギデオンが口をあんぐりと開けて固まっている。
「ど、どう? 綺麗に開いたでしょ?」
「……ああ。すごいな(魔法で弱める前だったら、俺ごと粉砕されていたかもしれん)」
ギデオンは顔を引きつらせながらも、拍手をしてくれた。
「な、何事だぁっ!?」
その時、騒ぎを聞きつけた父上が飛び起きた。
寝癖だらけの髪で、ポヨンを抱えたまま呆然としている。
「敵襲か!? 砲撃か!?」
「いいえ、父上。リフォームです」
私は瓦礫を払いながら爽やかに答えた。
「今日からここは、広々としたスイートルームになりますからね!」
◆
それからは、まさに戦場のような忙しさだった。
ギデオンが魔法で瓦礫を片付け、私が残りの壁を微調整(拳で削る)し、父上が「ワシも手伝うぞ!」と言って余計な場所を壊そうとするのを止める。
昼過ぎには、三つの独房が繋がり、広大な一つの空間が誕生した。
換気のための魔導ファンが設置され、空気も循環している。
ロイドさんが手配してくれた家具も、続々と搬入された。
「すごい……! 本当に家みたいになったわ!」
私は完成した部屋を見渡して感嘆した。
中央の部屋はリビング。
以前のようなソファセットと、父上が座れる大きな木製の椅子が置かれている。
壁画も描き足して、ビーチが拡張された。
右の部屋は寝室。
ここには天蓋付きのダブルベッド(私とギデオン用)と、少し離れた場所にパーテーションで区切られた父上用のベッドスペースがある。
……完全な個室ではないけれど、まあ、これくらいなら許容範囲だろう。
そして、左の部屋。
ここが今回の目玉だ。
「キッチン……!」
私は目を輝かせた。
最新式の魔導コンロに、大型の保冷庫(冷蔵庫)、広々としたシンク。
調理器具も一通り揃っている。
これなら、本格的な料理ができる。
「どうだ、セラフィナ。これなら不自由はしないだろう」
ギデオンが埃まみれの顔を拭いながら、得意げに言った。
私は嬉しさのあまり、彼に抱きついた。
「ありがとうギデオン! 最高よ!」
「ぐふっ……(あ、当たってる……柔らかい……幸せだ……)」
ギデオンが昇天しかけていると、背後から咳払いが聞こえた。
「ゴホン! ……まあ、悪くないな」
父上が腕組みをして立っていた。
その目は、キッチンにある保冷庫に釘付けだ。
「その箱……冷たいのか?」
「はい。中にはプリンとビールが入っていますよ」
「でかした!」
父上は早速ビールを取り出し、上機嫌でソファに座り込んだ。
どうやら、この「監獄」を別荘として認定したようだ。
「よし、今日のお夕飯は私が作るわ!」
私はエプロンをつけた。
今まではギデオンが運んでくる食事ばかりだったけれど、これからは私も「生活」に参加できる。
それが何より嬉しかった。
◆
夜。
拡張された「第零監獄」には、温かな湯気と美味しそうな香りが充満していた。
「できたわよー! 今夜は『特製ビーフシチュー』と『山盛りサラダ』!」
私が大鍋をテーブルに運ぶと、男二人の歓声が上がった。
「おお……! 肉がゴロゴロ入っておる!」
「素晴らしい香りだ……。これが、セラフィナの手料理……(尊い)」
父上とギデオンが、子供のように目を輝かせている。
ポヨンもテーブルの端で、自分用のお皿(スライム用ゼリー)を待ってプルプルしている。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
「いただく!」
父上は豪快に、ギデオンは上品に、シチューを口に運んだ。
「!!」
「……ッ!」
二人の動きが止まる。
「う、美味い!!」
「なんというコクだ……! 赤ワインの風味が効いている……!」
父上はパンをシチューに浸して貪り食い、ギデオンは一口ごとに噛み締めるように味わっている。
「帝国では、野営の飯といえば塩辛いスープと相場が決まっておったが……。
娘よ、いつの間にこんな料理を覚えたのだ?」
「ここに来てからよ。ギデオンが美味しいものをたくさん食べさせてくれたから、舌が肥えちゃったの」
私が笑うと、ギデオンは顔を赤くしてスプーンを止めた。
「……俺は、ただ……貴様に喜んでほしかっただけで……」
「結果として、私の花嫁修業になったわね」
「は、花嫁……ッ!?」
ギデオンがむせ返る。
父上はその様子を見て、ニヤリと笑った。
「ふん。まあ、胃袋を掴むというのは重要な戦術だ。
若造、感謝して食えよ。ワシの娘の手料理は、国宝級の価値があるのだからな」
「はいっ! 心して味わいます! 皿まで舐めます!」
ギデオンは姿勢を正し、敬礼せんばかりの勢いでシチューをかき込んだ。
賑やかな食卓。
美味しい料理。
そして、大切な人たちの笑顔。
ここは地下の底、日の当たらない監獄だ。
けれど、今の私にとっては、地上のどんな王宮よりも温かくて、輝いている場所に思えた。
食後。
父上はビールの酔いも回って、早々にいびきをかき始めた。
私とギデオンは、キッチンの片付けをしていた。
二人並んで皿を洗う。
水音が心地よいリズムを刻む。
「……騒がしい一日だったな」
ギデオンが、泡だらけの手で皿を渡しながら言った。
「ええ。でも、楽しかったわ」
「そうか」
彼は少し躊躇ってから、小声で続けた。
「……本当は、二人きりで新婚生活を始めたかったのだがな」
「ふふ、そうね」
私は濡れた手を拭き、彼の袖を少し引っ張った。
彼がこちらを向く。
「でも、焦らなくていいじゃない。
私たちは『無期懲役』なんだもの。時間はたっぷりあるわ」
私が背伸びをして、彼の頬にキスをすると、ギデオンは泡のついた皿を取り落としそうになった。
「ッ……!!」
顔が沸騰している。
ああ、本当にこの人は可愛い。
「さ、早く片付けて寝ましょう。
明日はもっと、部屋を可愛く飾り付けなきゃ」
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一方その頃、地上の王城にて。
国王が報告書を読んで首を傾げていた。
「……第零監獄から、『キッチン増設工事』と『高級食材搬入』の申請が来ているのだが」
「はい。特務部隊長曰く、『囚人の更生プログラムの一環』だそうです」
「そうか……。まあ、ギデオンが言うなら間違いないだろう」
国のトップ公認(誤解)で、地下牢はますます無法地帯と化していくのだった。




