第17話 激怒した父が乗り込んできた!?
その日の第零監獄は、開闢以来の危機に直面していた。
ズズズズズ……。
地響きのような音が近づいてくる。
それは多数の軍靴の音であり、同時に、一人の男が放つ圧倒的な覇気の音でもあった。
私は、何もない石造りの牢屋の中で、ギデオンと共に直立不動の姿勢をとっていた。
「……来るぞ、セラフィナ」
「ええ。気配だけで胃が痛くなるわ」
ギデオンはいつになく緊張していた。
軍服の襟を何度も正し、眼鏡の曇りを気にし、髪型をチェックしている。
まるで、初めて彼女の実家に挨拶に行く青年のようだ。
まあ、状況としては当たらずとも遠からずなのだが、相手が悪すぎる。
「いいか、俺は決して退かない。
たとえ相手が『大陸の鬼神』と呼ばれるゼノ将軍であろうと、貴様を渡すわけにはいかん」
「頼もしいけど、無理はしないでね。父上、素手でワイバーンを絞め殺したことがあるから」
「……情報の訂正を感謝する。遺書を書いておけばよかった」
ギデオンの顔色が青ざめるのと同時だった。
ドォォォォン!!
鉄扉が、爆発したかのような音を立てて蹴破られた。
蝶番が悲鳴を上げ、ひしゃげた鉄の塊となって床に転がる。
「――おるかぁぁぁ!!」
雷鳴の如き怒号。
濛々と立ち込める土煙の中から現れたのは、身の丈2メートルはあろうかという巨漢――私の父、ゼノ・フォン・ヴァルハラ将軍だった。
その全身から噴き出すオーラは赤く燃え上がり、背後の部下たちが怯えて縮こまっているのが見える。
「ち、父上……」
「セラフィナ!!」
父上は私を見つけると、ツカツカと大股で歩み寄ってきた。
そして、私の両肩をガシリと掴む。
「無事か! 怪我はないか!
洗脳魔法をかけられてはおらんか!?
『あ~れ~』と叫びながら回転させられたりしておらんか!?」
「してません。回転って何ですか」
父上は私の無事を確認すると、ホッと息を吐いたが、すぐに鬼の形相に戻った。
そして、私の隣に立つギデオンへと視線を移した。
「……貴様か」
気温が氷点下まで下がった気がした。
父上の目が、ギデオンを物理的に押し潰そうとしている。
「貴様だな。我が娘をたぶらかし、あろうことか敵地へ舞い戻らせた、卑劣な拷問官というのは!」
「……お初にお目にかかります、閣下」
ギデオンは一歩も引かなかった。
蒼白な顔色のまま、しかし背筋を伸ばし、完璧な敬礼をした。
「ガリア王国特務部隊長、ギデオン・アークライトと申します。
お嬢様とは、その……公私共にお付き合い(監禁)させていただいております」
「公私共にだとぉ!?」
父上のこめかみに青筋が浮いた。
「ふざけるな! ワシは騙されんぞ!
馬車に積まれていた大量の貢ぎ物……あれで娘を懐柔したつもりか!
だがな、物は所詮物だ!
娘の心までは買えんのだ!」
父上は周囲を見渡した。
そこにあるのは、がらんどうの石部屋だ。
昨夜、家具を全て父上に送りつけてしまったせいで、ここには冷たい石床と、昨日私たちが寝た薄いマットレスと毛布が一枚あるだけだ。
「見ろ! この惨状を!」
父上は床を指差して叫んだ。
「娘を連れ戻しておきながら、こんな吹きっさらしの石部屋に押し込めているのか!
家具の一つもない! ベッドすらない!
昨夜はこんな硬い床で寝かせたのか!?
これが貴様の言う『愛』か!?」
ギデオンが「うぐっ」と言葉に詰まる。
痛いところを突かれた。
確かに、今のこの部屋の環境は、客観的に見れば「虐待」レベルに見えなくもない。
「ち、違います父上! 家具がないのは、私が全部持って帰っちゃったからで……」
「庇うなセラフィナ!
この男は、口先だけで貴様を騙しているのだ!
『大切にする』などと言いながら、実際にはこのような劣悪な環境に放置する……それが敵国のやり方か!」
父上はギデオンの胸倉を掴み上げた。
ギデオンの足が宙に浮く。
「答えろ若造!
貴様に、ワシの娘を幸せにする覚悟があるのか!
口先だけでなく、行動で示したことがあるのか!?」
ギデオンは苦しげに顔を歪めたが、その目は死んでいなかった。
彼は宙ぶらりんのまま、父上の目を真っ直ぐに見返した。
「……あります」
「ほう?」
「私は……不器用な男です。
急な帰還に対応できず、彼女に不自由な思いをさせたことは認めます。
ですが……彼女の命と健康を守ることにかけては、誰にも負けないつもりです」
ギデオンは懐に手を入れようとした。
父上の護衛たちが「武器か!?」と色めき立つ。
だが、彼が取り出したのは、一冊の分厚い革表紙のノートだった。
「これは……?」
「『セラフィナ観察……いえ、看護日誌』です」
ギデオンはそのノートを父上に差し出した。
「先日、彼女が原因不明の高熱(ただの風邪)を出した際の記録です。
読んでいただければ、私の覚悟の一端は伝わるかと」
父上は訝しげに私を離し、ノートを受け取った。
パラリ、とページをめくる。
一瞬の静寂。
父上の目が、ノートの上を滑っていく。
『○月×日 23:00
体温38.5度。呼吸が浅い。
氷嚢を交換。彼女が「寒い」と呟いたため、室温を0.5度上げる』
『23:15
汗をかいている。冷えないように、温かいタオルで首筋を拭く。
彼女の髪が頬に張り付いているのが不快そうだったので、そっと耳にかける。
……可愛い。天使のようだ。いや、今は不謹慎だ』
『23:30
うわ言で「行かないで」と言われる。
心臓が止まるかと思った。
彼女の手を握る。小さくて、熱い手だ。
俺はこの手を一生離さないと誓う。神に誓う。いや、彼女に誓う』
『02:45
水分補給のため、白湯をスプーンで飲ませる。
一滴もこぼさないように慎重に。
彼女が「美味しい」と笑った。
俺の寿命が5年延びた気がする』
ページをめくる手が止まらない。
そこには、一晩中、10分刻みで私の容態と、彼自身の心の叫び(ポエム)がびっしりと書き込まれていた。
狂気すら感じるほどの、緻密で重たい記録。
「……なんだこれは」
父上の手が震えていた。
「ここまで……ここまで詳細に……?
一睡もせず、娘の手を握り続けていたというのか……?」
「はい。彼女が目覚めるまで、片時も離れませんでした」
ギデオンは静かに言った。
「彼女は、帝国の英雄です。強い女性です。
ですが、弱い部分もある。寂しがり屋で、甘えたがりな一面もある。
私は……その全てを守りたいのです」
父上はノートを閉じた。
その表情から、怒りの色が少しだけ引いていた。
代わりに、困惑と、ほんの少しの呆れが見える。
「……気持ち悪いほど重いが、嘘ではないようだな」
「最高の褒め言葉です」
「だが!」
父上は再び声を荒げた。
「愛があるのは分かった! だが、生活はどうする!
愛だけでは飯は食えん!
こんな石の床で、娘にひもじい思いをさせる男に、娘はやれん!」
その時だった。
副官のロイドさんが、ワゴンのようなものを押して入ってきた。
タイミングを見計らっていたのだろう。
「お取り込み中失礼します。
閣下、長旅でお疲れでしょう。粗茶ですが、どうぞ」
ロイドさんが差し出したのは、湯気の立つティーカップと、お皿に乗った焼きたてのパンケーキだった。
先ほど私が食べていたものと同じ、メイプルシロップたっぷりのやつだ。
「……ふん、毒見もしておらんものを」
父上は警戒したが、漂ってくる甘い香りに鼻をピクつかせた。
帝国の将軍とはいえ、彼は老人だ。夜通し馬を飛ばして腰も痛いし、お腹も空いているはずだ。
「毒など入っておりません。さあ、どうぞ」
私が勧めると、父上は渋々カップを手に取った。
一口すする。
「……む」
父上の眉が動いた。
それは、ギデオンが最高級の茶葉で、絶妙な温度管理のもと淹れた紅茶だ。
帝国の泥水のような配給茶とは次元が違う。
次に、パンケーキを口に運ぶ。
フワッ、トロッ。
「…………」
父上が黙り込んだ。
咀嚼する速度がゆっくりになる。
そして、ふぅ、と深いため息をついた。
「……柔らかい」
ぽつりと漏れた感想。
「帝国の黒パンは……石のように硬い。
歯が欠けるほど硬い。
だが、これは……雲を食べているようだ……」
父上の目尻が下がった。
鬼将軍の仮面が剥がれ、ただの疲れたおじいちゃんの顔になっている。
「美味しいでしょう、父上?」
「う、うむ……。悔しいが、美味い」
父上はパンケーキをあっという間に平らげた。
そして、少し落ち着いた様子で周囲を見渡した。
「だが、やはり家具がないのはいかんな。
ワシの娘が、地べたに座って食事など……」
「ぷきゅー!」
その時。
部屋の隅から、青い影が飛び出してきた。
ポヨンだ。
空気の読めるスライムは、今こそ自分の出番だと察知したらしい。
ポヨンはプルプルと震えながら、父上の足元に擦り寄った。
そして、父上が座ろうとしている場所に先回りし、平べったく変形した。
まるで「座布団」のように。
「ん? なんだこの魔物は。踏み潰していいのか?」
「ダメです! 座ってください! クッション代わりになりますから!」
私が止めるのも聞かず、父上はポヨンの上にどっかりと腰を下ろした。
普通のスライムなら圧死するところだが、ポヨンは高反発素材並みの弾力で父上の巨体を受け止めた。
ムニィィン……。
「……ッ!?」
父上の体が跳ねた。
「な、なんだこの感触は……!
硬すぎず、柔らかすぎず……。
長時間の乗馬で痛めた腰に、優しくフィットする……!」
ポヨンはさらに、微細振動(マッサージ機能)を開始した。
ブブブブブ……。
「ほぅ……。ほぅぅ……」
父上の口から、情けない声が漏れた。
鬼の形相は完全に消え去り、温泉に浸かった猿のような恍惚の表情を浮かべている。
「気持ちいい……。これは、帝国の硬い椅子とは大違いだ……。
これが、敵国の技術力か……!」
いや、ただのスライムですけど。
私はギデオンと顔を見合わせ、小さくガッツポーズをした。
勝った。
父上はしばらくポヨンのマッサージを堪能した後、気まずそうに咳払いをした。
「……コホン。
まあ、なんだ。
貴様の覚悟と、この環境の……一部の快適さは分かった」
父上はチラリとギデオンを見た。
「ギデオンと言ったな」
「はっ」
「娘を任せるには、まだ不安が残る。
家具もない、こんな殺風景な部屋ではな」
「すぐに揃えます! 明日には最高級のベッドを!」
「ならん!」
父上はバシッと床を叩いた。
「信用できん!
ワシが自分の目で確かめるまでは、娘を置いていくわけにはいかん!」
空気が張り詰める。
やはり、連れ戻されるのか?
しかし、父上は驚くべき提案をした。
「よって、ワシもここに泊まる!」
「……はい?」
「……え?」
全員の声がハモった。
「監視だ! 監視期間を設ける!
貴様が本当に娘を幸せにできるか、このスライム……いや、この環境が本当に快適か、ワシが身を持って検証する!」
父上はそう言うと、ポヨンの上であぐらをかき、ロイドさんにカップを差し出した。
「おい、茶の代わりだ。
それと、あのマドレーヌという菓子もあるか?
馬車で食べた味が忘れられんのだが」
完全に居座る気満々だった。
帝国の激務と粗食に疲れた老将軍にとって、ここは文字通り「地上の楽園」に見えたのだろう。
ギデオンが絶望の表情で私を見た。
『どうする、セラフィナ!? 義父上と同居!? 新婚生活が台無しだ!』
『諦めて、ギデオン。父上、一度言い出したら聞かないから』
私は肩をすくめ、苦笑した。
「分かりました、父上。
どうぞ、気が済むまで監視してください。
……でも、ここでのルールは守ってくださいね?」
「ルールだと?」
「ええ。ここは『監獄』ですから。
看守長であるギデオンの言うことは絶対です。
あと、おやつは一人一日3個までですよ?」
こうして。
「第零監獄」に、新たな囚人(居候)が増えた。
最強の女騎士、冷徹な拷問官、モチモチのスライム、そして頑固な将軍。
奇妙な共同生活は、ますますカオスな方向へと転がり始めたのだった。
ギデオンがこっそり胃薬を飲み始めたのは、言うまでもない。
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一方その頃、ロイドの業務日誌。
『緊急発注:
・将軍用の特大ベッド(耐荷重300kg)
・胃薬(業務用サイズ)
・お茶請けの煎餅(帝国の味が恋しいと言い出した時用)
……これ、私の仕事量だけ増えてません?』




