悪魔
だけど――、そのうちに、あかねの妊娠が発覚した。
「……嘘……」
……あかねは動揺して、でも、絶対産みたいと思った。
だって、愛する彼との子供なのだから。
最初は箕輪も喜んでくれて、結婚しようと言ってくれた。
でも、次の日に箕輪はあかねの部屋に来て、泣きながら、
「堕ろしてほしい」
……と言った。
目の前が真っ暗になる思いだった。
二人とも学生だけれど、彼はいつもセックスの時には『妊娠したら結婚しよう』と言っていたのだ。だから、避妊はいつも彼任せで……。
ここまで手塩にかけて育ててくれた親にすらも言うに言えず、手術までは納得した気でいたけれど、……そんなわけなかった。
泣いて泣いて、でも、彼が水子供養にもついてきてくれて、一生をかけて一緒に償ってくれるのだと思った。
あかねが自分と自分の人生に大き過ぎる傷を負ったことで、やっと、箕輪が手に入ったとも思った。
けど、それは違った。
こんなに傷つけたあかねを、すぐに彼は疎むようになった。
心が滅茶苦茶になって、あかねは彼をさんざんに罵って殴って蹴飛ばした。
すると、箕輪にも頬を殴られた。
それで終わりにしようと思ったのに――できなかった。
箕輪は、悪魔だ。
殴った後は驚くくらいに優しくなって、あかねを愛していると何度も囁くのだ。
「ごめん、ぶったりして。痛かった……? ほんとごめんな。こんなことするつもり、なかったんだ。愛してるよ。あかね……」
なんて、風に。
箕輪に抱きしめられているうちに、こんなに優しい彼に手を挙げさせたのは自分だという欺瞞が頭に思い浮かぶ。
彼と一緒になりたい。
ただその一心で――あかねは自分を騙した。
どこかで、……わかっていたのに。
それからは、あかねと箕輪はツインレイのようになった。
付き合っていない時も――ある。
そんな時は、互いに誰か他の異性と関係するのは、自由。
でも、一番愛しているのは、お互い。
最終的に結婚するのも、お互い。
そんな風に約束し合って、あかねは彼の最大の理解者になろうと決めた。
そんな無茶苦茶な関係で……、持つはずはないのに。
そんなあかねを心配してくれていた友人も、ほとんどいなくなった。
あかねはもう、誰の意見も聞かなくなって、自分に対して否定的なことを言ってくる人を攻撃ばかりするようになっていたから。
あかねの世界には、箕輪しかいなくなった。
彼があかねの支配者だった。
そのうちにもう一度妊娠して――箕輪は言った。
「本当に俺の子なの?」
って。
その頃は、セックスしていたのは……箕輪だけだったのに。
また中絶して、しかし、受けた手術に不備があったことがわかって――あかねは不妊症になってしまった。
取り返しがつかなくなってから、あかねは絶望した。
箕輪のせいで、人生が滅茶苦茶になってしまった。
親に健康な身体に産んでもらったのに、なんてことをしてしまったんだろう。
そう後悔してももう遅くて、ますますあかねは箕輪に執着した。
絶対に彼に責任を取ってもらわなくてはならない。
考えれば考えるほど固執して、もう箕輪に幸せにしてもらおうなんて思わなかったけれど、代わりにこいつのことは絶対に絶対に不幸にしてやらなければ気が済まないと思った。
こんな糞野郎が野放しになるなんて、許されていいわけがない。
けれど、さすがに今度ばかりはあかねの親にばれて、大騒ぎになった。
箕輪の親も引っ張り出して、弁護士も同席して双方話し合った。
箕輪の親が、迷惑料という名目で、あかねに金を払った。
金――金なんかで、話をつけようというのだ。
あかねは、二人も箕輪の子供を堕ろしたのに。
あかねが貰った額は、それでも弁護士によると相場よりだいぶ高いとかで、なんてクソみたいな話だろうと思った。
金なんかで、何が元に戻るというのか――そう叫んでやりたかった。
二人は、二度と連絡を取り合わないと約束させられた。
……あかねは嫌だった。
箕輪が自分を忘れるのも、無実のような顔をしてのうのうと太陽の下を歩くのも、あかね以外の女と幸せになっていくのも。
あかねの中に燃えた憎悪は、二度と消えないと思った。
♢ 〇 ♢
……それでも、それからしばらくの間、あかねは箕輪と会わなくなった。
自暴自棄になったあかねは、少しでもいいと思った男とはすぐ寝るようになった。
一夜限りの男も、セフレになった男も、彼氏になった男もいた。
箕輪と同じ部の男とも寝たし、箕輪の友達とも寝た。
どうせ妊娠はしないから、生でヤリたいと言われたら、ヤラせてやることもあった。
自分を傷つけることで、箕輪を傷つけてやるつもりだった。
本気であかねを好きになってくれる男も中にはいた――彼は、いつの間にか腕に痛々しく並ぶようになったあかねのリストカットの痕を見て、衝撃を受けたようだった。
他のどの男もあかねの心と身体についた深すぎる傷跡を見て見ぬ振りをしてヤることだけヤッて去っていったのに、彼はおずおずと事情を訊いてきた。
「どうして、こんなことしたの……?」
と。
あかねが酔って半狂乱になって泣いて打ち明けた話を聞いて、彼は、
「全部忘れて、俺と結婚しよう」
と、言ってくれた。
……でも、あかねは頷けなかった。
プロポーズされた途端にその男が突然気持ち悪く思えて、こんな糞みたいな自分なんかと結婚したいという心理が異常に思えて、連絡を絶ってしまった。
スマホだけでは繋がっていた箕輪にそのことを言うと、
「おまえさぁ。どうせ俺から離れられないんだろ?」
と、半笑いで言われた。
焦りもしない。
止めもしない。
なのに……箕輪の言う通りなのだった。
教師になる夢も、もうどうでもよくなった。
いつ死ぬか、殺すか、いや、死にたい。消えたい。死にたい。全部自分が悪い。全部箕輪が悪い。いや、死にたい。殺してほしい。そんなことばかり考えていた。
大学の講義もサボることが多くなってきて、留年の危機に瀕して……でも、箕輪の入っている部活にだけはたまに顔を出していた。
箕輪があかね以外に女を作らないか、できる限り見張るために。
一年の時に忠告してくれたあの男子は、もう別の女の子と長く穏やかに付き合っていた。
……そんな時に部に入ってきたのが、その彼だった。
一年生の彼は顔が格好良くて背が高くて――、でも、真面目そうで優しそうなところがいいと思って、他のマネージャーに混じってあかねも話しかけてみることがあった。
彼が自分を好きになったら面白いな、と思って。
……でも、彼には長く付き合っている恋人がいるとかで、対応は親切だったけれど、いつでもどこか事務的だった。
個人的なことを訊いても一般論で躱されてしまうし、他の女達も誰も相手にされなかった。
そのうちに、いつかの練習の日に現れた彼の恋人がびっくりするくらいに可愛かったとかいう噂を聞いて、あかねは面白くない気持ちだった。
箕輪もしつこく彼に『彼女を紹介しろ』と迫っているらしくて、それもムカついた。
この頃になると、街を歩いているカップル全員が憎く感じられた。
その年の学祭が終わって、新入生の女と楽しそうに話している箕輪を見かけて、心が憎悪で満ちて……。
このままじゃ帰れないと思ってついていった先輩宅でも箕輪に無視されて――、あかねは気がついたら泥酔していた。
(――あたし、何してるの? 何で、こうなっちゃったの?)