不思議なバー、【追憶の砂時計】(キャラ紹介画像アリ)
――バーカウンターに置かれたランプ代わりのその砂時計は、仄かに明かりを放っていた。
ランプのような大きさだから、もしかすると、そういう用途で作られたのかもしれない。
よく見れば、光っているのは、ガラスの向こうで零れ落ちる一粒一粒の砂だった。
どこからか流れてくる、プツプツと音の途切れる、保存状態のよくない音源が奏でるJPOP。
聞いたことがあるような、ないような……。
そこは、小さな薄暗いバーだった。
窓はない。
カウンターの内側には、シアターみたいに大仰なモニターが取りつけられて、でも、今は電源が切れて、沈黙している。
ぼんやりとして目を上げると、バーの裏手から見知った女が現れるところだった。
「……あら、【夜香】ちゃん。またこっちで寝てたのね」
苦言を呈すでもなく、その女は夜香に微笑みかけた。
バーの雰囲気に似合わず、白い割烹着姿の彼女に、夜香は気怠い声を返した。
「【昼恵】ちゃん、コーヒー淹れてくれる……?」
サイドで緩く結った髪を前に垂らして揺らし、昼恵が微笑む。
「はいはい。もう準備してますよ。夜香ちゃん、肩、寒そうよ。ブランケットをちゃんと掛けなさい」
まるでお母さんみたいに、昼恵が露わになっている夜香のオフショルダーの肩にブランケットをかける。
細い煙草に火を点け、夜香は眉を上げた。
「【朝奈】はめずらしくまだ……」
そう訊きかけた時だった。
裏手に続く扉がうるさいくらいに音を立てて開き、三姉妹の最後の一人が現れた。
「昼恵ちゃん、夜香ちゃん、おっはよー! 朝ご飯できたよ!」
場違いなほど元気いっぱいに声を上げ、朝奈はほかほか湯気を立てるベーコンエッグが乗った皿を三枚バーカウンターに並べ始めた。
「夜香ちゃん、ご飯の時間なんだから煙草はやめてよぉ」
「わかってるわよ……」
唇を尖らせた朝奈に、肩をすくめて、夜香は点けたばかりの煙草をもみ消した。
その後ろから、昼恵が間延びした明るい声をかけてくる。
「夜香ちゃん、ご飯は食べる?」
「ごめん。パス……」
しゃもじを持った昼恵に、手を振る。
本当はベーゴンエッグもパスしたかったが、できてしまった後ではしょうがない。
「あ、お味噌汁はお願い」
昼恵の作る味噌汁は絶品なのだ。
土鍋で炊いたご飯と、大根と豆腐のシンプルな味噌汁が並んで、三姉妹はバーカウンタ―に横に並んで手を合わせた。
「いただきます」
三姉妹一元気な朝奈が一番に食事を終え、コップ一杯の牛乳を飲み干した。
「っぷはー! 仕事前はやっぱりこれだな! 決まるぜっ」
白い口髭を生やした朝奈が、元気よく言う。
笑うと顔いっぱい笑顔になるような朝奈は、この小さなバー、『追憶の砂時計』の看板娘だ。
いつも真っ白なTシャツにデニムを穿いて、真っ黒な髪を高いところできっちりと結い上げ、後れ毛一つ出ていない。
「昼恵ちゃんも牛乳飲む?」
「自分でやるわ。私はホットにしようかな」
三姉妹一おっとりとした昼恵がホットミルクを作り、夜香にも淹れ立てのコーヒーを出してくれる。
鼻をくすぐる香ばしい匂いに、夜香はだんだん目が醒めてくるのを感じた。
長く伸ばしたノーバングの黒髪をかき上げ、夜香がコーヒーの香気を楽しんでいると、
「……ねえ、夜香ちゃん。やっぱり、今日も、出られなかった?」
隣に座った朝奈に訊かれ、夜香は頷いた。
「駄目みたいね。今日も……」
「そう……。……私達、いつになったらここを出られるのかしらね……」
物憂げに、昼恵がバーカウンターの外へ出て、壁のエレベーターの前へ立った。
……しかし、何度ボタンを押しても、その古めかしいエレベーターが夜香達に反応を返すことはない。
夜香達三姉妹の誰一人として、この小さなバー【追憶の砂時計】から出ることはできないのだった。
バーの外のことは、何もわからない。
今が何時で、ここが何処で、どうして夜香達が、ずっとここにいなければならないのかも……。
昼恵がカウンターの内側へ戻って、食器を洗い始めた時だった。
水道から流れる水音に混じって、ふいに、エレベーターが電動の合図を受けて軋み始める。
「――あ……。来たね」
せわしなく食後のおやつを準備していた朝奈が、顔を上げる。
バーの壁に備えつけられたエレベーターの籠が、ゆっくりと下降してくる……やがてこの店へと降り着くと、鉄格子と鉄扉が同時に開いた。
――今日のお客が、現れたのだ。
「いらっしゃいませ……」
++ ♢ ++
――気がつけば、【窪田あかね】は、一人、地下深くへ潜るように降りる、見知らぬエレベーターに乗っていた。
油を長く差していないのだろうか? 格子で囲われた昇降室を下ろすギシギシと軋むような滑車の音が響いている。
それにしても、ずいぶんと古めかしいエレベーターだ。
まるで、昔の映画に出てくるような……。
……やがて、あかねが向かう地下深くから、橙色の光が漏れてきた。
「……?」
ボタンも押していないのに、ガクンと揺れてエレベーターが降りるのをやめる。
蛇腹式の格子戸が開き、あかねはおずおずとエレベーターから出た。
そこには、どこかノスタルジーを感じる小さな隠れ家風のバーがあった。
バーカウンターには、気怠げに俯いた女が一人座っている。
さらに、バーの向こうにも女が二人。
高く髪を結い上げた若い女と、緩くウェーブを描く髪をサイドでまとめた年長の女がいる。
三人の女があかねを見つめて、それぞれの声音で迎える。
「いらっしゃいませ――」
♢ 〇 ♢
どうしてだろうか――?
ここは何処なのかとか、なぜ自分はここへ来たのかとか、いろいろと疑問はあったはずなのに、それらを口にする前に、あかねは自然とバーカウンターに腰かけていた。
ハイボールを頼むと、いつもあかねが部屋で一人で飲むのとまったく同じ味のグラスが出てくる。
軽く口をつけたところで、バーカウンターの向こうに立っている一番年上の女がおっとりとした口調で声をかけてきた――さっき名前を聞いた。昼恵だ。
「あかねちゃん、おつまみはとりあえずナッツとドライフルーツでいいかしら。他にも何か食べたい?」
「あ……。じゃあ、何か温かいものを……」
「煮物なんかどうっすか? 昼恵ちゃんのは美味しいよぉ~」
ポニーテールを揺らして、朝奈が勧めてくる。
つい愛想笑いを浮かべて、あかねは頷いた。
「それじゃ……、お願いします」
「オッケーです!」
接客しているというのに砕けた口調で答えて、朝奈がカウンターの向こうで忙しなく動き始めた。
ナッツを齧っているうちに、いつの間にかあかねの前には、味がよく染み込んだ大根と鶏肉の煮つけに、枝豆、卵焼きなどが並んでいた。
店の内装はバーなのに、和食のメニューも取り揃えているらしい。
「それで、あかねちゃんはいったいどうしてこのバーへ来たの?」
「え……?」
隣に座ってグラスビールを傾けている夜香が、気怠げに声をかけてきた。
「誰かに話したいことがある人がここに来るの。いろんな人がこの店に来るわ。人生に深く後悔している人や、一人では振り返れないような過去を抱えている人……」
「……」
夜香の視線を追うと、そこには、仄かに光る砂粒を落とす不思議な砂時計があった。
しばらく見つめていても、落ちる砂は尽きない。
「……?」
――不思議だった。
砂の量が増えている感じはないのに……、いつまで経っても砂は落ち続けていた。
意味もなく、ただひたすらに。
「……後悔、あるみたいね」
慰めるように、カウンターの向こうから昼恵が声をかけてくる。
あかねが頷くと、朝奈が空になったグラスを下げて、お替わりを作ってくれる。
「いーよぉー! 何でも言っちゃって! 誰にも言えないこともさ、ここでなら、言っても平気だから」
「じゃあ……」
酒酔いで滑らかになりたくなっている唇を開く前に、店内の照明がゆっくりと絞られていく。
カウンターに置かれたいくつかのキャンドルの火と、それから燐光を発する砂時計が、薄暗い店の中で浮き上がっていくように見えた。
視界が暗くなってくると、店内にかかっている音楽が鮮明に聴こえてくる。
これは……、あの頃あかねがよく聴いていた曲だ。
軽く口ずさんで、あかねは砂時計を眺めた。
その粒一つ一つに、あの頃の記憶が映し出されていく。
あの頃のあかねはそう――地獄にいた。
♢ 〇 ♢




