63話 恋愛作戦
「待たせたな、話というのはなんだ?」
仕事を切りの良いところまで片付けたバスティアンが、執務机から立ち上がり、応接セットの所に来てわたしの向かい側のソファーに座りました。
「クロエの件です」
「クロエに関する決定権はお前に一任している。どうするか結論は出たのか?」
「はい、わたしはクロエをお嬢様として目覚めさせたいと思います」
「いいのか、それで?」
「ただし条件があります」
「条件?」
「バスティアンにクロエの恋人になってほしいのです」
「なんだと?」
さすがに意味が分からなかった様で、バスティアンは混乱しています。
「理由を聞こうか?」
わたしはヴァーミリオンと共に立てた仮説をバスティアンに説明しました。
「恋愛が自我の確立に関与している?・・・確かにその可能性は否定できないが、何の確証もないのも事実だな」
「確かに確証はありません。いくつかの事例からその可能性が高いと推測しているだけです。でも・・・少しでも可能性があればわたしはそれに賭けたいのです」
「だが、お嬢様が俺に恋をしていたとは思えないのだが?」
「クロエに聞いたらそう答えました。間違いないと思います」
「そうか・・・わかった。試してみよう」
バスティアンはしばらく考えた後にそう答えました。
「俺はクロエに対して恋人の様に振舞えばいいという事だな?」
「はい、ただしお願いがあります。クロエ・・・いえ、お嬢様の事を本気で好きになって下さい。中途半端な気持ちではお嬢様が傷つきます」
「本気で好きになる・・・か?・・・俺には本気で人を好きになるという事がどういう事か把握できていないが・・・ジュリエッタ、お前には分かるのか?」
「それは・・・」
・・・そういえば・・・本気で人を好きになるってどのような状態なのでしょう?
わたしが好きな人といえばお嬢様ですが、恋愛という意味で言えば・・・
わたしはバスティアンの顔を見ました。
バスティアンはいつも通りの冷静な顔でわたしを見つめています。
でもわたしと目が合うと少しだけ表情が穏やかになりました。
それを見たわたしは、少しドキッとしました。
・・・あれっ?・・・人を好きになるって、もしかしてこういう事?・・・なのでしょうか?
そう意識すると、ますますドキドキしてきました。
「どうした?」
「いえ・・・えっと・・・人を好きになると、いつもその人と一緒にいたい思うとか、顔を見るとドキドキしたりとか、一緒にいるだけで幸せな気分になるとか、そういう事だと思います」
言いながら、バスティアンに対する自分の気持ちと同じだという事に気が付きました。
・・・これって・・・わたしはバスティアンに・・・
「わかった。善処しよう」
バスティアンにが私の申し出を受け入れてくれました。
「ありがとうございます」
「それでいいのだな?ジュリエッタは」
バスティアンは少し困惑した表情でわたしにそう尋ねました。
「はい、それがわたしの望みです」
「そうか・・・わかった」
・・・嬉しいはずなのに・・・何故か少しだけもやもやした気持ちが残りました。
その日から、クロエとバスティアンは常に一緒にいる様になりました。
バスティアンの執務中はクロエは執務室のソファーで待機し、バスティアンが屋敷内を巡回する時はクロエがその後ろについて歩きます。
そして・・・仕事の後はふたりで中庭を散歩しています。
そう、わたしはヴァーミリオンと一緒にずっと二人の監視をしているのです。
遠くから見る二人は、常に一緒にいるものの、あまり会話はしていない様に見えます。
表情もほとんど変化が無く、笑う事など殆どありません。
これって、恋愛に発展するのでしょうか?
やがてティータイムの時間になったので二人は中庭の中央にあるガゼボで椅子に座りました。
「お茶をご用意しました」
くつろいでいるクロエとバスティアンのところへ、わたしとヴァーミリオンがお茶とお菓子を運びます。
頃合いを見計らってお茶の用意をしていたのです。
「どうぞ、お召し上がりください」
ヴァーミリオンは仕事を完璧にマスターし、美しい所作でティーカップにお茶を注いで二人に差し出しました。
わたしから見ても惚れ惚れするくらい完璧な手順で、思わずかっこいいと思ってしまいました。
「ありがとう」
バスティアンは一言お礼を言うとお茶を口にしました。
それに倣ってクロエも無言でお茶を飲みます。
二人が席を立つまで脇に控えて見ていましたが、結局二人共ティータイムの間、始終無言でお茶を飲んでいたのです。
一日が終わってクロエが部屋に戻った後、わたしとバーミリオンはバスティアンの執務室に行きました。
「どうですか?バスティアン」
「そうだな、一日一緒にいたが、特に変化は見られなかった」
「何も会話していなかったように見えましたが?」
「ああ、クロエは何を話しても返答がないので会話が成り立たん」
「それではダメです。ちゃんとクロエと恋愛関係にならないと意味がありません」
「やはり俺の方は演技でも良いのではないのか?」
「いいえ、そう言うのは分かってしまいます。まずバスティアンの方が本気でクロエの事を好きになってください」
「だから俺にはその感情がわからん」
「もうめんどくさい段取りは省略して、今からあいつの部屋に行って抱いちまえばいいんじゃねえの?抱けば愛着が湧くってもんだぜ」
ヴァーミリオンが折角の素敵な外観と昼間の所作が台無しな事を言っています。
「ダメです!そんな事をしたらお嬢様の心に大きな傷跡が残ってしまいます!お嬢様は人一倍ロマンチストなんですから!ちゃんと手順を踏んで恋愛関係になってください!」
ヴァーミリオンは舌を出して片目を瞑り、おどけたポーズを取りました。
・・・どうやら今のは、わざとわたしをからかったみたいです。
「仕方ありません。今から特訓をしましょう!わたしをクロエだと思ってアプローチの練習をしてください。ヴァーミリオンも手伝いをお願いします」
「ああ、任せろ。女の口説き方だったらあらゆる方法を知ってるぜ」
「一番ソフトなのでお願いします」
こうしてわたしとヴァーミリオンによるバスティアンの恋愛の特訓が始まったのです。