51話 記憶の在処
「何のためにその様な研究を?」
「そんなもん、人間が不死を手に入れるために決まってるだろうな?」
ヴァーミリオンが答えました。
「俺の依頼主達の会話を聞いちまったんだが、権力を持った老人たちが自分たちの死を恐れて、何とか生きながらえる方法を模索していたらしい。医学の進歩で人間の寿命は延びたがそれでも肉体の限界はある。そこで体をアンドロイドのボディにして永遠の命を手に入れようとしたらしいな。俺たちの様なアンドロイドのボディになれば部品さえ交換すれば永遠に存在し続けられるからな」
「でもそれは・・・ボディは交換できたとしても、生身の人間の脳の寿命は変わりませんよね?」
人間がアンドロイドのボディをアバターとして使用する事は昔から行われていました。
しかし、あくまでも生身の人間が別の場所に存在している事が前提です。
「だから、人間の意識を生身の脳から継続してアンドロイドの人工脳に移管する方法を見つける事がこの研究の真の目的なんだろうな?そしてその研究にかかわる世界的な権威がこの公国に集められていたって情報を掴んだ隣国のクライアントが俺たちにその研究成果の奪取を依頼したって訳さ」
「そうなのですか?」
わたしはヴァーミリオンの話が本当なのかバスティアンに問いかけました。
「ああ、概ねその通りだ」
やっぱり本当だったのです。
「以前に聞いた時はその様な研究は行われていないとおっしゃっていましたが、どういう事でしょうか?」
バスティアンは少しだけ困ったような顔をして黙ってしまいました。
「それはあたしから説明するね」
そこにエミリーが割って入ってきました。
「あの時はね、まだジュリに知られる訳にはいかなかったんだよ」
「エミリーも知っていたんですね?」
「ごめんね、ジュリ・・・あたし、実はここの研究員の助手もやってたんだ。だから研究内容の大部分を知ってるんだ」
「だったら、どうして教えてくれなかったんですか?」
「でもこれはみんなジュリの為でもあったんだよ」
「わたしのため?・・・どういう事ですか?」
「それはいずれ分かるけど、とにかくこのプロジェクトを成功させるためには、ジュリに変な先入観を持たれない事が必要だったんだよ」
「わたしが・・・わたしに関係のある事なのですか?」
「うん、ジュリはこのプロジェクトの鍵となるアンドロイドだからね」
「わたしがですか?・・・でもわたしは人間の意識の器となるアンドロイドでは無いと言ってませんでしたか?」
わたしはヴァーミリオンに問いかけました。
「確かに俺に聞いた情報じゃ、まっさらの人工脳でなければ人間の意識の受け皿にはならねえって話だったが?」
わたしが・・・人間の意識を受け入れるための器だとしたら・・・今のわたしは、どうなってしまうのでしょう?
「そう、もちろんジュリ自身がその入れ物になるわけじゃないよ。安心して」
エミリーはにっこりと微笑みました。
「そう、これまでの研究の結果、人間の意識をアンドロイドの人工脳に受け継がせるためには、ロールアウト直後のまっさらな状態の人工脳に、元となる人間の脳のシナプス情報を完全に移植すれば、理論上は人間としての自我をもったままアンドロイドのボディで目覚める可能性があるというところまで研究が完成していたんだよね」
「そこまでは俺に聞いた情報と一致してるな」
ヴァーミリオンが頷きます。
「そして、人間としての自我を完全に引き継ぐためには、人工脳だけでなく、体の全てが極限まで人間の生身の体と近い状態に構成されていないと駄目な事もわかっていたの。つまり、一級アンドロイドのボディに搭載された人工脳でないと人間の意識を移植する事は出来ないって事ね」
「その情報も間違いねえな」
「だから、そのためのボディとして一級アンドロイドを用意してあったんだよ。それが・・・クロエだね」
みんながクロエの方を見ました。
「やっぱりクロエが?・・・でも、クロエの人工知能は既に起動していて独自に成長を始めていているので、やはり人間の意識の受け入れは出来ないのでは?」
これも以前にヴァーミリオンが言ってました。
わたしがヴァーミリオンの方を見ると、彼も首を傾げていました。
「その通り、一級アンドロイドの人工脳は、人間の脳とほぼ同じ機能とキャパシティを持っているんだけど、その緻密で複雑な構成のため、メモリーの完全初期化が不可能なんだよ。だから、一度AIを起動してしまった人工脳は、例え初期化したとしても人間の自我や意識をを完全に引き継ぐ事は出来なかったんだ・・・あたしがそうだからね」
「えっ?エミリーがですか?」
「そう、あたしは廃棄されるところをこの研究の予備実験のために引き取られてきたんだ。新品の一級アンドロイドは高価だから、中古で廃棄の決まったアンドロイドで実験していたんだよ」
「でも、エミリーは・・・まるで人間の様な意思を持っていますが、それは元になった人間の人格なのですか?」
「一人の研究者が実験のために自分の脳の情報をあたしの人工脳にコピーしようとしたんだけど・・・結果として、元々のあたしのAIに形成された人格の上に、知識としてその研究者の記憶が追加された形になっちゃったんだよ」
「ええと・・・つまり今のエミリーは?」
「あたしの人格は以前にアイドルをやってた時のあたしのまま・・・ううん、ちょっと違うかな?正確にはアイドルの時のあたしが、研究者の人格をインプットしようとした事により、自我に目覚めたってところかな?」
「それでは、エミリーは元のエミリーのまま、自我を持ったという事ですね?」
「そう、あたしはアイドル時代のあたしのままだよ」
エミリーがエミリーのままだと聞いて、なぜかほっとした気がしました。
「でも、そうするとクロエは?これから人間の意識をインストールしようと思っても、人格はクロエのままという事ですよね?
「クロエのメモリーには初期状態の時にその元となる人間・・・つまり、お嬢様の記憶がインプットしてあるんだよ」