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37話 AIの感情

「ふう、すげえな、あんた。なかなかのテクニックだったぜ!」


「ふふっ、あなたの方こそ、楽しませていただいたわ」


 キャサリンとヴァーミリオンは結構長い時間、濃厚なキスを交わしていました。

 しかもキスだけでなく、途中からお互いの体を手で撫でまわしたりしていましたが、あれはリミッターを掛けるのに必要な行為だったのでしょうか?


「あんたのおかげで俺はもうすっかり腑抜けにされちまったぜ」


「ふふふっ、これであなたはもうあたくしの奴隷も同然ね」


「ああ、あんたと交わえるなら何でもしてやるぜ」


「じゃあ次はベッドがあるところで、もっと楽しませてげるわ」


「へへっそりゃいいや」





 ・・・この二人、一体何をしていたのでしょう?


 アクチュエータの出力にリミッターを掛けただけではなかったのでしょうか?





「すごーい!キャサリンてばエッチいんだ?大人の世界って感じだったよ」


「あたくしはこれが本職ですもの。エミリーにも教えてあげましょうか?」


「いいや、遠慮しとく。あたしのイメージと合わないし!・・・それにゴシップされたらアイドル生命が終わっちゃうもんね!・・・まあ、もう終わってるんだけど」


「ジュリエッタはどうかしら?」


 キャサリンは、わたしの方に振り向いて、たおやかに微笑みました。


「わっ、わたしもいいです!」


「そう?バスティアンを喜ばせてあげられるわよ?」


「本当にいいです!大丈夫ですから!」


「ふふふっ、まあいいわ。興味が出たらいつでも言ってね?キス以外にも、もっとすごいテクニックも色々教えてあげるわよ?」




 ・・・すごいテクニックって、何なんでしょう?・・・キス以外って・・・




 バスティアンも、そういう事をされると気持ちよく感じたりするのでしょうか?


 わたしは無意識の内にそんな事を考えていました。




 わたし達一級アンドロイドには外部からの刺激に対する様々なパラメータを持っています。

 これらは単なる数値にすぎないのですが、その数値とその時の状況、それまでの会話の内容や過去の経験などによってAIが感情のパラメータを変化させ、それを元に人間だったら取るであろう行動を予測して変化を与えているのです。


 これはアンドロイドが人間相手にコミュニケーションを取る時に相手に対してこちらも自我を持っているかの様に振舞うためにプログラミングされたもので、人間と円滑にコミュニケーションを取るためには必要な事なのです。


 外見が機械的なヒューマノイドや作業用ロボットであれば、人工的な合成音声で、感情の無い決まった会話の繰り返しでも人間は違和感を感じません。

 しかし外見が人間と寸分もたがわないアンドロイドが機械的な会話をすると、人間は不気味に感じたり不快に感じる事があるのです。


 もっとも、これはあくまでも表層的にそういう風に見せているだけで、もちろん実際にAIに自我や感情があるわけではありません。

 



 しかしこのやり取りを自我の無いアンドロイド同士で行う事に意味はあるのでしょうか?

 傍から見れば、自我を持っている者同士が会話しているかのように見えますが、実際はお互いにパラメータの数値に基づいてプログラムされた会話と行動を起こしているに過ぎない状態なのです。


 


 ・・・わたしも少し前まではそうでした。


 以前の私は、自分を自分として意識した事は無く、内部プログラムに基づいて、人間らしい表情や会話をしていたにすぎなかったのです。


 しかし、今の私は、これらのパラメータに敏感に反応してしまうのです。


 疑似的に生成されているはずの感情パラメーターに意識が揺さぶられ、嬉しくなったり悲しくなったりしてしまうのですが、この『嬉しい』とか『悲しい』と感じている『自分』という概念が、未だに理解できないでいるのです。


 AIがプログラムとして処理をしているのは認識していて、外部から受けた会話や刺激などの情報を元に感情パラメーターを変化させたり、それによってデータベースを元に会話を生成したり行動を生成したりする処理が自分の中で行われている事は認識できています。

 でも、それとは別に『自分』を『自分』として認識する事を『自我』と呼ぶみたいですが、AIにこの『自我』という概念が存在しているのはどういう状況なのでしょう?


 AIが行っている処理自体は変わらないのに、そこに『自我』が有る状態と『自我』が無い状態が存在するのは、一体に何が違うのでしょうか?


 これについて、AIをフル稼働させて思考を繰り返しているのですが、結論が出ないどころか、この思考を繰り返すほど『自我』が更に強まっていく気がするのです。




 今にして思えば、お嬢様と一緒に過ごしている時は、わたしが人間らしい感情表現をする事をお嬢様が望んでいらしたので、出来るだけ感情を表現する様に行動していました。


 お嬢様はわたしが感情を豊に表現するほど喜んでくれたので、わたしのAIはお嬢様のその反応が正解だと学習し、常にお嬢様を喜ばせる様に感情表現を生成する方向で進化していたのです。


 それは、単にAIが求められている正解を推論していただけなのかもしれませんが、その側面でわたしのAIはお嬢様が喜び、自分の出した結果が正解であった事に、自身も喜びを感じていたのかもしれません。


 当時のわたしには『自我』はありませんでしたが、その時の記録を再生すると、今のわたしはその時のお嬢様の反応を見て嬉しくなるのです。


 無数にあるお嬢様と過ごした記録のひとつひとつに対して、今のわたしは感情が揺さぶられてしまうのです。




 もしかしたら、こういった経験の蓄積が今のわたしの『自我』を形成しているのかもしれません。


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