2話 救命活動
「お嬢様の生命活動が停止しています。救命シーケンスを起動します」
アンドロイドやロボットは人間の生命と安全の維持を最優先事項としてプログラムされています。
生命の危機に瀕した人間を見つけた時は人命救助を最優先で行なわなければなりません。
わたしたちアンドロイドには、そのための救命措置シーケンスが組み込まれているのです。
昨晩のお嬢様は、さほど容体が悪いわけではありませんでした。
病気の症状も最近は安定していました。
余命がそう長くは無いと医師に診断されていたとは言っても、これほど急に容体が悪化する事は無かったはずです。
「脈拍なし。心肺停止。体温低下・・・心臓マッサージと人工呼吸を行ないます」
わたしは要人向けのメイドアンドロイドなので、こういった場合のための高度な緊急処置の機能が実装されているのです。
心肺停止状態であれば、まずは心臓マッサージを行ないます。
人間の体は、血液が全身を循環していないと数分で機能を停止してしまいます。
しかし、人の心臓は逆止弁の付いた単純なポンプ構造なので、これに対して外部から圧迫と解放を繰り返せば、強制的に血液を流す事が出来ます。
わたしはお嬢様の口を開いて自分の口をかぶせ、肺に強制的に空気を送りこみました。
これは人間と同じ様に人工肺を搭載した一級アンドロイドだからできる処置で、二級以下のアンドロイドには人工肺は搭載されていません。
更にわたしの人工肺は体内に蓄えている酸素を逆流させる事も可能です。
お嬢様の体内に酸素濃度を若干高めにした空気を送り込みます。
これによって普通の人工呼吸よりも蘇生率が高くなるのです。
そして定期的にお嬢様の心臓に電気ショックを与えます。
これもわたしに搭載された機能の一つで、指先に内蔵された電極に高電圧を発生させてAEDとして心臓に電気ショックを与える事が出来るのです。
わたしはこれらの救命措置をひたすら繰り返しました。
既に処置を開始してから一時間が経過しています。
しかし、お嬢様の心肺は活動を再開する事は無く、当然意識も戻りません。
本来は、これだけの時間救命措置を続ける事は無く、途中で医師に引き渡す事になります。
ところが緊急信号を発信しているにもかかわらず、誰もこの部屋に来ないのです。
この城には常に数人の医師が常駐しているので、五分もかからずに医師が来るはずなのです。
わたしに与えられた指令は、お嬢様が蘇生するか、医師に引き渡すまで救命措置を続けるしか選択肢がありません。
いずれかの条件が満たされるまでこれを続けるしかないのです。
アンドロイドであるわたしは、何も考えずにその命令を遂行していました。
ところが・・・・・いつの間にか、お嬢様と一緒にすごした時間の記録が人工脳の内部で再生され始めたのです。
それは、わたしのAIが、お嬢様を救済する方法を過去の記録の中から模索し始めたのかもしれません。
わたしがお嬢様と出会ってからの出来事の記録が、順に再生されていったのです。
わたしはこのお城の専用アンドロイドとして製造され、初めて目を覚ましたのはこのお城の中でした。
最初にわたしのカメラに映ったのは、今よりもまだ幼いお嬢様でした。
わたしは、生まれつき体の弱かったお嬢様のお世話と、話し相手をするために大公様が国外のアンドロイドメーカーからオーダーメイドで購入したメイド仕様のアンドロイドです。
お嬢様はわたしの事をたいそう気に入って、『ジュリエッタ』という名前を付けてくれました。
わたしの主な仕事は、お嬢様の身の回りのお世話係でした。
お嬢様は生まれた時から病弱で、医師から長くは生きられないと診断されていたのです。
娘の運命を哀れんだ両親は、異国から世界で最も人間に近い機能を有したアンドロイドを購入し、娘の専属メイドとしました。
それがわたしでした。
ただし世界最高性能のアンドロイドと言っても、自我や自分の感情があるわけではありません。
現時点で、自我に目覚めたAIは存在していないと言われています。
わたしは様々な情報を分析し、お嬢様の最も望む事を推論して、お嬢様に最高の幸福感をもたらす様にAIをチューニングされてあるのです。
お嬢様に親近感を持って頂く為に、あたかも感情を持っているかの様に振舞うためのデータベースを持っていました。
ほとんど寝たきりのお嬢様に、わたしは出来るだけ長い時間付き添ってあげていました。
身の回りのお世話の他に、話し相手になったり、本を読んであげたりもしたのです。
本を読むのに、最初は淡々と文字を読み上げていたのですが、お嬢様はそれでは不満だった様です。
気持ちを込めて読むように言われました。
そこでデータベースを元に感情パラメータを加算した発話方法で読んでみましたが、なにか違うと言われました。
やはり気持ちがこもっていないと言うのです。
気持ちを込めるという言葉の本当の意味を理解するために、ネットで検索すると、映画やお芝居で役を演じている役者や、アニメーションのキャラクターに声を当てる声優という仕事を見つけました。
ネット上で評価の高い役者や声優の動画や音声を解析して、それを参考に本の中のセリフに感情を入れて読み上げると、お嬢様は大そうお喜びになりました。
お嬢様が喜ばれる話し方の表現方法が次第にわかってきましたので、更にアレンジを加え、登場人物の感情や情景を声で表現するスキルを高めていきました。
それを普段の会話の中にも取り入れ、普段から感情豊かな話し方をすると、お嬢様はさらにお喜びになりました。
「ジュリエッタと話していると、まるで人間と話しているみたいね。でも、せっかくそれだけ自然に話せる様になったのなら、表情ももっと人間らしい表情が出来ると良いですね」
お嬢様にそう言われて気が付きました。
わたしは声による表現に感情を乗せる事は追及してきましたが。表情は基本的なデータベースによる喜怒哀楽の表現のままでした。
そこでわたしは話し方の解析に使用した映画やアニメーションの動画を更に解析し、今度は感情と表情の表現方法の追及を始めました。
既に感情と話し方のリンクは出来ていましたので、そこに表情の変化をリンクさせる作業になります。
わたしは鏡で自分の顔を見ながら、動画から抽出したデータベースを参考に、表情を動かすアクチュエータのチューニングを行なっていきました。
表情アクチュエータのチューニング作業は繊細で、顔の人工皮膚の裏側にたくさん張り付いている人工筋肉の緊張度合いを表情に合わせて個別に調整していかなければいけません。
普段はすでに用意されている標準的な表情パラメータテーブルを使用していますが、バリエーションが少ないため、同じ感情の時はいつも同じ表情しかできません。
しかしお嬢様の要求は、その時のシチュエーションの違いにより、その都度に表情を変化を持たせて欲しいという事です。
しかも、わたしの顔は既製品ではなく、モデルもいない唯一無二の完全オリジナルの顔であるため、他のアンドロイドのパラメータテーブルをそのまま流用出来ません。
わたしの顔に合わせた微細な表情の変化のデータベースをゼロから構築しなければいけないのです。
そこで膨大な量の動画を参考に、一つ一つ表情のパラメータテーブルを作り上げていったのです。
更には、表情だけでなく、全身の仕草も人間らしく自然になるといいと言われ、これも同様に動画を参考に鏡を見ながらチューニングを行なっていきました。
それらの甲斐あって、お嬢様は、より人間らしく自然になったと喜んで下さいました。
そうしてわたしは、お嬢様の前では生身の人間と区別がつかないほど感情豊かに振舞う事が出来る様になっていったのです。