ごめん
2階から降りてくる足音がする。足音はリビングには入ってこず、洗面所へ向かった。水の流れる音がする。顔でも洗っているのだろうか。
(あれ、タオルおいてあるっけ?)
白は少し不安になった。だが杞憂だったようだ。足音はゆっくりとリビングに向かってきた。そして雄一が顔を出す。
「とうちゃん!ちょうどご飯できたとこだよ!ベストタイミングだね!」
「ん」
返事はそれだけだ。雄一は卓につこうとした。3脚ある椅子のうち2脚は壁側、1脚は入り口側にある。入り口側の椅子後ろに引こうとして、
「なんだ、この石」
アストレイに気がついた。白はワクワクしながら食器を並べる。
「父ちゃん、あのね!そいつね、」
説明しようとしたときだ。振動音が聞こえた。雄一スウェットのポケットからだ。電話がかかってきている。
「誰だ?こんなタイミングで……」
しかめっつらでスマホの画面を確かめると、さらに顔を歪めた。押見か、つぶやくのが聞こえた。スマホを耳に当てながら部屋を出る。廊下から雄一の、憮然とした話し声が聞こえてくる。
『おしみってなんだ?』
「名前だよ。押見さん。……児相の」
心の中が一気に憂鬱に支配される。話の詳細はわからないが、聞こえてくる声が段々荒くなっていくにはわかる。「だから、」とか「ムリだって言ってるでしょ」、とか。
『児相?なんだそれ。待てよ。今検索してる』
アストレイはまだテーブルの中心に置かれ、タブレットを立てかけたままだ。
『……。なるほど。へえ。お前何、虐待?でもされてんの?』
「そんなわけないだろ!」
思わず大きな声が出てしまった。ハッとして自分を落ち着かせる。
「…‥俺、養子なんだ。ほんとの親子じゃないんだ、俺たち。だから押見さんは、ちゃんと『家族』ができてるかチェックしてくるんだ」
苦々しさで顔が歪んでしまう。食事をよそい、アストレイを避けて食卓に並べていく。
雄一が戻ってきた。「はあー」と言ったりちっ、と舌打ちをしている。音を立てて椅子を引き、苛立ちを隠さず言った。
「白!これ、さっさと片付けろ!」
「あ、ご、ごめん。今、部屋にもってくから……」
慌ててアストレイをもちあげる。コツコツと音がする。左肘をつきで左手で頭を支えながら額を揉むようにさすり、右手の指をうねらせるように動かしてテーブルを叩いているのだった。
「外に捨ててこい。汚いだろうが。……はあー。わかるだろ、それくらい」
白は小さな声でもういちど「ごめん」と謝った。そしてアストレイを抱えて、玄関に向かう。
『おい。おい白?』
白だけに聞こえる音量で話しかけてくる。戸惑い、焦っているのがわかる。
「ごめんアストレイ。後でちゃんと迎えにくるから」
玄関脇、雑草の中にアストレイを置いた。近くにいたあアリが触覚を当てている。アストレイが悲鳴を上げる。
『ヒイッ!小型多足生物がはいのぼってくる。き、きっしょいっ』
「ごめんっ」
白は逃げた。家に飛び込み、後ろ手で玄関扉を閉めた。
たすけてしろぉぉ〜〜っ!
白はリビングに戻っていく。悲鳴はむなしくも虫の声にかきけされ、虚空に消えていった。