おやすみ
「ごめん、アストレイ。お待たせ」
『知らん』
平坦で硬質な口調だった。白は眉を八の字にして顔をうつむけた。
とっぷりと日も暮れて、夜。空には星がまたたいている。雄一は食事後すぐに2階へ戻って行った。白は洗い物を終えて、アストレイを迎えに出た。
黒い表面にはアリの行列がはっている。彼を拾い上げると、アリ以外にも裏側、つまり土との設置面にも小さな羽虫がへばりついていた。白は土と虫たちを丁寧ねい払い落としていく。
『知らん。許さん。お前なんか許さん!』
アストレイが激昂する。
『よくもこのオレ様を地べたに放置しやがったな!お前にわかるか?多足生物が体の上をはい回るのを、自分で払うこともできず置いていかれる感覚が⁉︎』
「ほんとうにごめん。仕方なかったんだよ」
謝罪を重ねる白に、それでもアストレイの怒りは収まらない。語気がどんどん強くなる。
『仕方ない?仕方ないってなんだ?オレ様はお前が話しのわかるやつだとおもったぞ。オレ様を見つけた最初の地球人は、オレ様の言葉なんか耳を貸さなかった。天狗だなんだと勝手なことをのたまい、その上オレ様を閉じ込めやがった。でもお前は違うじゃないか。オレ様の言葉を聞き、会話をしてくれたじゃないか!それとも会話だと思っていたのはオレ様だけで、結局お前も勝手なことを言うだけなのか?どうなんだ、おい⁉︎』
そこまで一気に吐き出した。2人の間に沈黙が落ちる。そして、
『…‥理由だ。仕方ない理由を言え。オレ様はお前を知らない。知らないからわからない』
白はもう1度、ごめん、と謝った。申し訳なさでいっぱいだ。
夜空には薄い雲が漂っている。月を隠すには軽やかすぎるそれを見ながら、白はアストレイを抱えて庭に向かった。最近使っていない物干し竿の横を通り抜ける。
壁沿いに植木鉢がいくつか置かれている。どれも、のびのびとしげる雑草に覆われてしまっている。中には何も入っていない。そのうち1つ、ひっくり返されているものに腰掛けた。
アストレイは膝に乗せた。落ちないようしっかりと両手で包む。
白はすう、と息を吸った。ゆっくりと話し出す。
俺さ、父ちゃんと母ちゃんのほんとの子どもじゃないんだ。養子縁組ってやつをしたんだって。リビングの、ハサミとか置いてる棚の1番下の段にアルバムが置いてあるんだ。役所みたいなところで、赤ちゃんと今よりちょっと若い父ちゃんと母ちゃんが写ってる写真。暇なときそれを見てた。そしたら、母ちゃんが隣に来て俺に言う。「これはね、白が私たちの子どもになった日の写真だよ」って。
ほんとの父ちゃんと母ちゃんは、お金がないから俺を施設に預けたんだって。母ちゃんは赤ちゃんを産めなくて、だから赤ちゃんを探してたんだって父ちゃんが言ってた。俺はちょうどよかったんだって。だから俺をもらったんだって。
でも俺、2人のこと好きだよ。ほんとだよ。ほんとの親子じゃなくたって、3人でいっしょにピクニックに行ったり、入園式で写真撮ったり。楽しかった。でも最近、うちの中が変わっちゃった。母ちゃんが帰ってこなくなったんだ。もう1ヶ月くらいかな。
理由はわかんないんだ。ちょっと前から仕事はすごく忙しくなったみたいだし。出張とか泊まりがすごい増えてたから、ああまたか。大変そうだなって。でもさすがに1週間も帰ってこないと心配になって、聞いたんだ。でも父ちゃんも知らないって。仕事としか聞いてないって。
それからだよ。俺と父ちゃんもなんだかギクシャクし始めちゃった。うちは今、ちょっとうまく行ってない時期なんだ。
そこまで言って、白はほほえんだ。自分でもわかるくらい力無いものになってしまった。
「父ちゃんはかっこつけで子どもっぽいところはあるけど、でも本当は優しくて繊細な人なんだ。母ちゃんとだって仲良しなんだよ。ほんとだよ。多分ケンカか何かをしたんだろう。父ちゃんに悪気はなくても母ちゃんを怒らせちゃうこと、たまにあるから。きっとそんなとこだ。母ちゃんは、だって母ちゃんだ。ちゃんと帰ってくるんだよ」
白は自分に言い聞かせた。そうだ、帰ってくる。だって母ちゃんの家はここなのだ。でなければ他に、どこへ帰ると言うのだ?
ただ、問題がある。押見だ。
「押見さんはもうきっと、母ちゃんが帰ってきてないことに気がついてる。養子にも種類があるらしいけど、俺は父親と母親がそろってなくちゃいけないんだって。押見さんが、俺たちはもう家族じゃないって早とちりしちゃったら、「もう君たちは親子をできません」って言ってきたら、俺、どうなっちゃうんだろう?」
白は背中を丸めた。アストレイを抱えたままのため、自然と顔が近くなる。胸の中にたまった不安を吐き出すように息を吐く。
「父ちゃんもほんとは、母ちゃんが心配なんだ。でも俺は今、自分の心配が止められない。俺は自分勝手だ。性格も悪いんだ……」
『そうか。お前の悩みはわかった。共感はできないが、理解した。つまるところ、押見とやらに何か言われる前に母ちゃんが帰ってくればいいんだな?』
アストレイは行った。あっけらかんとした口調だった。白は
「えっ?」
とすっとんきょうな声を出した。
「まあ……。うん?そうだね」
白は首を捻りながらうなずいた。そういうことなんだろうか。でも、そうだよな。うん、そうだ。
『いいぞ。オレ様がお前の母ちゃんを連れ戻してやる。オレ様ならできる。まずは捜索だ。オレ様なら探せる。地球の情報を集めるついでだ。だが、約束しろ。もうオレ様を置いて勝手にどこかに行くな。特にさっきみたいな、多足小型生物の複数生息する環境には絶対放置するな。いいな?』
畳み掛けるような剣幕に押されつつ白は何度もうなずいた。それにアストレイはよし。と満足げだ。どうやら怒りが収まったようで、白はほっとした。
『それでは、母ちゃんとやらの情報が必要だ。画像、動画、音声をできる限りよこせ。サンプルは多い方が正確性が増すからな』
「あ……ありがとうアストレイ!」
心から感謝をのべた。アストレイは得意げだ。
『ふふん。そうだ、感謝しろ。オレ様と出会えたお前は宇宙1ラッキーだ!』
その後、午後21時30分。白はアストレイをこっそりとリビングに敷いた布団の中に入れた。自分も布団にもぐり、抱きしめて横になる。
何事か文句を言われる前に、白は先んじて謝った。
「ごめん。でもしょうがないだろ。こうしないと、父ちゃんに見つかっちゃうんだ」
『別に何も言ってないが。まあ、構わんぜ。あの箱に中よりずっとマシだ』
「そう?ならよかったよ」
リビングのソファーの間に断熱素材のジョイントマットを並べ、その上に布団を敷いている。雄一はまだ2階で仕事をしているようだ。両親の寝室も2階。白の自室はない。以前は3人同じベッドで眠っていたが、小学校入学と同時に白だけ分かれて眠ることになった。大人になる練習らしい。それを別に悲しいと思いはしないが、
「おやすみ」
と言うと
『なんだそれ』
「寝るときにあいさつ。おやすみ、アストレイ」
『ふーん。おう。おやすみ、白』
と返ってきた。誰かとおやすみを交わすのがずいぶんひさしぶるに感じられて白は少し嬉しくなった。
(石をだっこしながら寝るって初めてだなあ。あ、いや、宇宙人か?)
などと考えているうちに、いつのまにか眠ってしまった。夜は静かに更けていく。




