38 ポリティカルスペクトル
白い人影が闇の中に立っていた。
いくら目を凝らしても、それが誰なのかわからない。
黒い人影が闇の中に立っていた。
いくら耳を澄ませても、何を言っているのかわからない。
私は自分の長い髪を手にとった。手にとったその手を見た。
見たこともない色をしていた。
とても懐かしい顔。
とても懐かしい言葉。
とても懐かしい姿。
それは見たこともない、聞こえもしない、知りもしない他人だった。
懐かしい。
涙が溢れた。
溢れた涙だけを残して。
私の視界はまた、真っ暗になった。
目を覚ますと、そこには蒼い瞳と金の髪の優しい顔があった。
「……オーランドお兄様」
確かめるように不確かな声色の私の声に、その人はほっとした顔を見せた。
なぜお兄様が?
周りの景色を見る。
お兄様の家の寝室だ。
先程までスレイマン師の工房にいたはずで、いきなりの場面転換に少し頭が混乱した。
「なぜ、ここに?」
「宮廷魔術師の工房で気を失ったんだよ」
混乱しているせいか足りない私の言葉をお兄さまは正確に理解して答えを教えてくれた。
「気を失った?」
そうか。あの時全力で魔力放出をした私は例の頭痛がして、そして気を失ったのか。
つまり、私の記憶を封じている何かが反応して、それが許容限界突破したように突然意識が切れた。
私はオーランドお兄様にそのことを話すと、私の予想よりも厳しい顔つきになった。
妹に意識を失うような封印がかけられていたのだ家族想いのお兄様なら当然だと思う。
けれど、お兄様が話し始めた内容に、それだけではなかったことがすぐに解った。
ベッドから起き上がりかけた私を押しとどめると、自分も椅子に座ったまま話を続ける。
「クレオリアをここまで運んでくれたのは、ラウールさんだ」
「そうですか。お礼を言わないとね」
「……」
「どうしたの? お兄様」
「ラウールさんはこの部屋までお前を運んで、私が知らせを聞いて帰ってくるまで一人で待っていた」
「つまりこの部屋に勝手に入ったってこと?」
お兄様はそれには答えないで話を続ける。
「そして私に何があったのかを告げると、こう言ったんだ『医者を呼ぶ必要はない』とね。もちろんそれはクレオリアの体に異常がないって意味だといわれたけれど」
私は上を見上げて、あそこにいたメンバーを思い出す。
「スレイマンさんもいたし、彼がそう言うならそうなんじゃないですか」
魔術的な封印が原因で意識を失ったなら、例え体に害があったとしても普通の医者では対処できないだろう。魔術的な原因ならスレイマン師はこの国で最高の魔導師なのだろうし。
「いや、私もさっきまではそう思っていた。そこまでしか思い至らなかった。クレオリアから工房で起こったことを聞いて、別の問題があることに気がついたよ。そして私の推測に間違いがないことを補強してくれた」
「?」
「ラウールさん、つまり宰相フィリップ様はクレオリアが神人類であることに気がついている」
「十分ありえますね」
ただし、それはもちろん気がついたのではなく、知ったと正確にはそうなる。それを教えたのは間違いなくあの黒魔術師だ。
「そうなると、お前にはまだ難しい話だけれど、これは重要なことだから、そしてクレオリアなら6歳でも理解できる話だからよくお聞き」
「はい」
「もしクレオリアが神人類であったなら、クレオリアの政治的な立ち位置は以前とまったく違ってしまう」
お兄様はゆっくりと、自分でも自分の話を確かめるように話す。それだけ重要なことなんだろう。
「私はクレオリアからの手紙を読んだ後に、自分なりに神人類について調べてみたんだ。けれど分かったことは殆ど無くて、クレオリアが話してくれたことと大差なかったよ。ただし、それ以外にも分かったことはあった」
お兄様の蒼い瞳が私の瞳を覗き込む。
「建国の帝、始皇帝も神人類だったと言われているんだ」
「はぁ、それは知りませんでしたけど、でもそれが? 政治的にどういう意味があるんです? 人の上級種っていっても姿形は単なる人ですよ?」
お兄様は長く、意外に節だった男の人らしい人差し指でゆっくりと私の腕を指差した。
「これ?」
私はお兄様の指先を追って、そこにあるものを掲げて見せた。それは細い銅の三連腕輪。
ドワーフ王が造った魔道具。
「位怖?」
「そう、あの人を魅了する性質だ」
み、魅了って。人を夢魔みたいに言わないでくださいよ。
それに位怖の能力は魅了ではなく威圧だ。
そう言った私に、お兄様は首を横に振った。
「いや、魅了だよ。威厳と言ってもいい。そしてそれは為政者として喉から手が出るほど欲しい能力だ。下位種が上位種に対して抱く根本的畏れ。見ただけでどちらが上か本能的にわからせるんだからね」
ふーん、あれ? でも……。
「あのお兄様、でもそれって『今の権力を持っている人たち』にとってはすごく邪魔なんじゃないですか?」
だって自分たちよりカリスマ性のある人間が現れたら、支配層にある人達にとっては邪魔以外の何者でもないだろう。
公爵家って言ってもオヴリガン家は『流刑』貴族であって五大家でもないし、私は男でもない。
この国は性別より血がモノを言う社会であることは確かだが、それでも女がのし上がるのはそれなりに大変だ。女帝も確かいたと思うがあくまでもピンチヒッター的な短期間の在位だったはずである。
それでも一応皇帝までの道はあるといえば、あるのだから政治的にはややこしい存在かもしれない。
「邪魔なんかじゃないよ。いや、確かに邪魔だけど」
そんな二回も邪魔って……なんかお兄様にその単語を言われるとショックが大きいな。
「ただし、それは二つの条件があれば全く話は別だ」
「二つ?」
「そう二つ。まず第一は女であること。確かに女性でもこの国では騎士にもなれるし、皇帝にだってなれる。皇帝に選ばれる唯一の絶対条件は帝族の血筋にあることだから性別は関係ない。けれど貴族社会において女性の最大の役目、嫌な言い方だが利用価値は……」
そこまで限定されると分かりやすいな。
「結婚」
「そう」
血筋が最重要視される傾向がまだまだある帝国貴族社会において、特に帝族女性の最も大きな強みとは、この国最高の血統であることだ。
「でもお兄様?」
私は当然の疑問にたどり着く。
「それって別に神人類である必要も、位怖があることも関係ない話では?」
「関係ないね」
あれ?
「だからこそ、宰相様はクレオリアに特待生受験推薦状を出して、自分が後援者になったんだよ。今でも十分クレオリアの政治的将来性は高い」
「そうなんですか?」
「うん。オヴリガン家は『流刑貴族』なんて、犯罪者のように言われているが三百年も経てば、単なる貧乏貴族だからね」
長男としてその発言はどうなんでしょう?
「それよりも三百年間中央とのつながりを極力避けてきた我が家は完全なる中間派。いや中立というより真っ白だ。しかも女性ということは家柄を最大限利用できる大穴的な存在だ。その上クレオリアの場合は帝都まで神童の名が聞こえるくらいの美姫と言われてたからね」
なるほど、それで弟君の婚約者とか言ってやがりましたのか。
嬉しいような悲しいような。いや腹立たしいな。
「うーん、なるほど? で、そこに神人類っていう要素が加わると?」
神人類なんて単語、相当のインテリ層であるお兄様だって知らなかったような言葉である。正直他の人だって「は? なにそれ美味しいの?」状態に違いない。
一般的に認知度のない資質が政治的に効果があると思えないけど。
「いくらでもやりようはある」
とお兄様の弁。
「始皇帝と同じ『選民』であるということは血筋が尊ばれるこの国じゃ最強の手札だよ。なにせ血に加えて霊的な存在としても同じなんだから。それに知られていないなら喧伝すればいい。根も葉もないことでもない。私がちょっと調べただけでも神話には記述があるんだ。逆に考えれば神話の中の話だからいくらでも『調整』はできる。それになによりクレオリアにはそのことを理屈云々を超えて納得させる手段がある」
ああ、それが位怖か。
「そう。腕輪を外した状態のクレオリアを見ればきっと納得せざるを得ないよ」
そんなに? 私自身には何も感じられないんだけど。




