別物語 原始積道
少年は思い悩む。
眠り姫を目の前にして。
天の川のような金の髪に、完璧な神の創造物の一部分である瞼の下には蒼い宝石が収まっている。
けれど、そんな外見的な要素は彼の心をかき乱したりはしない。
彼は、彼だけが、この少女を目の前にして、心を揺らさずにいられる唯一の存在。
なぜなら彼は名も無き少年。
感情描写など無駄。外見すらも必要はなく、名前など当然。
そんなモノは必要が無い。
物語は彼がいなくても、なんの問題はなく進むのだ。
代用品など用意する必要もない。
彼にだってそれは十分すぎるほど分かっている。
彼は平凡な少年。平凡であることを望み。他人にもそれを願う。
きっと、
彼の願いは聞き入れられたはずだ。はずだった。
けれど彼は、あまりにも異端。世界から隔絶した存在だった。
それはもう文字通り。
彼は誰かを嫌ったりしなくても、誰かを否定しなくても、誰かを侵さなくても。
世界は彼を嫌い、否定し、求めてくれない。
だから、彼は願う。
彼女の願いが叶うことを。
それだけで彼は世界に受け入れられなくても構わないと思う。
構わなくはないが、それで利益確定線はきっと超えられる。
彼は平凡な少年だから、身の丈にあったことを願う。
それでも、
名もない少年は、世界の主人公たるこの少女の記憶から、この名前さえも消えてしまったことにショックを受けていた。
それが彼がそう望んで、彼女がそう望んで、彼ならいつでもそれをリセットでき、彼女ならいつでもそれをリセットでき、つまりそれは単なる仮定の状況と同じであるにも関わらず。
主人公が脇役ですら無い彼のことなど、知っていなくても、覚えていなくても、気にもしなくても、百人に訊けば、百人が当たり前のことだと答え、彼もそう答えるにもかかわらず。
彼は彼女が自分のことを忘れていくということの、寂しさと言うにはあまりにも勢いのついた感情にショックを受けた。
悔やむなら次に進め。
彼女ならそう言うだろう。
凡人の彼は悩まずにはいられないが、その言葉を頭の内に浮かべて、従う。
場所は超絶たる黒魔術師の工房。害する存在かどうかわからないのなら当然。
思い悩んでいる暇などない。感傷などなおさら。
自分のことではなく彼女についてのことだから。
彼はズボンのポッケから小さな金属を取り出す。
丸い形をしていて、真ん中に四角い穴が開いている。その四角の穴の周りには不可思議な模様が書かれている。文字かもしれない。
その金属は大きさも形も、貨幣のように見えた。
けれどそれはこの国で流通しているどんな貨幣とも違った。
彼はその貨幣のような金属を、少女が横たわっているテーブルの脚の下に置いた。
つまり四カ所に一つずつ、四枚。
彼は内面の動揺を落ち着けるように、ひとつ、大きく深呼吸した。
そして言葉を紡ぐ。誰も耳にしたことのないような言葉。
「=====」
それは力ある言葉。
印を迷いなく結ぶ。
それは忌みある形。
必然それらは一つの理を歪める力となる。
キュンっ。
何かが収束するような音がして、机の四隅に細長い魔力光が立った。
机の下を覗きこめば、その光はそこにおかれた貨幣のような金属の、さらによく見れば、その貨幣のような金属に開けられてた小さな穴から伸びている、細い光の線だとわかる。
光は光でありながら、黒く赤かった。まるで血のように。
ブン!
何かが振動するような音とともに、光の線が面に変化する。
そして両隣の線であった面と繋がり空間を遮っていく。
なめらかに自動的に繋がり、やがて少女が横たわるテーブルごとすっぽり半透明の直方体に覆われる。光は光というより血のようだった。赤黒いそれはしかし不思議な光沢と、歪みのない壁面を持つ水晶体のようでもあった。
何かが震えるように水晶体のような直方体の表面が波立ってゆく。
彼女の頭から足先に向かってゆっくりと振動は伝わっていく。
彼は印を解く。言葉と動作を終える。
けれど、その目は注意深く少女の姿を囚えて離さなかった。
波は数分続き、突然ピタリと終わった。静止状態は数秒続き突然パリンと血のような結晶は砕けて消えた。
先ほどと変わらない、目を閉じたままの、今まで見た中で一番美しい、これからもそれは変わらないはずの、人の完成品である彼女が横たわっていた。
こんな風に『調べ』なくとも、未完成な術によって、彼はその中身がこの少女には似つかわしくない欠陥品となっていることに気がついた。
情けないことに他人に指摘されて初めて気がつくという大失態だ。
我慢ならないことに、稀代の黒魔術師に指摘されるまで、灰魔術師見習いの彼は気が付かなかった。
光を放たなくなった貨幣のような金属を回収して回る。
そしてその四枚の金属を、小さな手のひらに全て載せ、握りこんだ。
いつも彼は半歩遅れる。半歩は一歩となって、いつの日か百歩となっている。
「==」
また力ある言葉を紡ぐ。
自然と目を閉じた。
そのままの状態で数瞬が過ぎて、また目開く。
「珍しい術を使うね」
庭からこの食堂への入口に二人の男の姿が見えた。
その背後には小さな人影も二人見える。
「原始積道」
スレイマンの指摘に、小さな灰魔術師は是とも否とも答えず、手のひらを空けること無くポッケの中に戻した。
黙って空いていた椅子に座る。
「原始積道というのは?」
答えない少年に変わって、時間を埋めるようにフィリップが隣の黒魔術師に尋ねる。
「世間一般に灰魔術と呼ばれるものが、正式には積道と呼ばれているのはご存知ですね」
スレイマンは説明しながらピタリと視線を少年につけたまま、言葉を続ける。
「その積道の宗家。積道衆の総本山が郭外街の北の山中にあることも、もちろんご存知ですね」
「当然だ」
とフィリップは答える。




