37 全力
「やっぱりね」
スレイマン師が頷きながら言った。
「やっぱり、とはどういうことだね?」
フィリップ様がこちらに来る。
私は友人の、もはや『E』としか呼べない、私よりも背の低い少年を見つめた。
なぜ彼は顔を歪めているのか? まるで自分の悪事が発覚したそんな表情をしているの?
「彼女には何か封印術が施されています」
「封印? 何をだね?」
その言葉はスレイマン師に向けられたものだが、鋭く細められた瞳は私に、いや私たちに向けられている。
「さて? それは詳しく調べてみないと。とりあえずその封印術が彼女の精神や肉体の枷になっています。どうやら未完成の封印術のようで、不具合がでているようですね」
「解けるか?」
「うーん。彼女に全力で魔力放出してもらいましょう。それだけで箍が外れるかも」
「だ、そうだ。やってもらおうか」
有無を言わせぬ調子の宰相様を私は黙って見つめる。
服の裾が微かに引っ張られる感触があった。
声を聴くまでも、目を向けるまでもない。
私はその小さな手をそっとほぐして離した。
例えこの記憶が偽物でも、本当が隠されていても、信じる物も、信じる人も、変わりはしない。
価値観だって。
私は自分の腕に嵌めている銅の三連腕輪を外して、それをそのまま後ろの少年に差し出した。
「……」
言いたいことはあるのだろうが、彼は黙ってそれを受け取る。
それでいい。
頭を切り替える。邪念を取り払う。
私は自分の中で灯っている小さな種火のような『ソレ』を見つけた。
「全力で?」
「全力で」
「さっきみたいなのを?」
「できるなら、ね」
私は独り前に出て、標的を見つめる。
視線の高さにある魔力を無効にするという金属片が、万力にセットされている。
三人の子供と、三人の大人に見つめられて、私は小さな的だけを見つめる。
見つめながら、自分の中に巣食う不可思議な力を呼び起こしていく。
小さなつむじかぜのような流れが小さな種火に混ざって巻き上がる。『ソレ』は次第に速く大きく鋭くなって体の隅々から中心に、そして隅々に満たされる。
嵐のように荒々しく、しかし細胞の一粒まで意思を通わせる。
ズキリと頭痛がしたが、それは集中を乱さず、無視する。
誰かが息を呑んで、誰かが驚嘆して、誰かが苦悶の呻きを漏らしても、目にも耳にも認識できなくなっていた。ただ小さな黒い金属片に意識を集中する。体から巻き上がる嵐に集中する。
頭痛が酷くなり、体が悲鳴を上げているようだが、必要な一瞬を確保できることを確信してやはり無視して、
そして、駈け出した。
「え?」
とやはり誰かが意表を突かれたが、それも同様だ。
きっと気撃の魔術なら、駈け出す必要などないと言うのだろう。
説明不要。見れば分かる。見ても分からなければ言っても分からない。
残念ながら、まだ小さな私の存在では、白い頭の黒魔術師の、その指先一本の術にさえ、全力を必要とするのだ。
全力とはそれすなわち心と体、その全てを使って、という意味だ。
私はすぐにトップスピードに達すると、目の前の丸太の椅子をステップ代わりにして飛び上がった。いや跳んだ。
発動するのは二つの魔術。多重起動。
体が、二メートルほど飛び上がる。それは六歳児の身体能力だけでは不可能な高さだ。
最高点に達してから、ステップした脚。その足裏に発動していた『送風』の魔術を操作。今度は下降のために切り替える。
高度も角度もバッチリ!
私はステップした左足で、なにもない筈の宙の『足場』を踏みしめる。
「はあああぁぁ!」
私の気合に答えるように、右足に発動させた魔力球が爆発に近い膨張をしようとするのを押さえつける。
そして、
「ハア!!」
そのまま、爪先に気撃の魔力球をひっつけたまま黒い的を全力で、その足で金属片を蹴っ飛ばした。
脚に衝撃がバックしたのは一瞬、その一瞬を逃さず、その衝撃さえも標的に返す。
スレイマン師の時よりも鋭く、甲高い音がして、全ての衝撃が金属板に、それをセットした万力に、それを支えるポールに、それを備え付けた丸太の机に叩きこまれた。
さすが魔力を無効化する金属。さすがにただの金属だが塊である万力、どうやら予想以上に丈夫な物体で出来ているポール、それらは全て私の『蹴り』の衝撃を受け止め『次々』に渡って、最終到達点である丸太の机へとぶち当たる。
グルン!
ブレイム金属の板を中心点に、万力とポールをシャフトにして、破壊をもたらさずに衝撃が突き抜け、二メートルほどの大きさがある丸太の机がそれごと歯車のように回転した。
先程スレイマン師の一撃で、埋め込まれていた脚の部分が掘り起こされていたせいで、私の一撃には抗する事もできずに回転した。
一回転。
さらに半回転して、後方には吹っ飛ばずにブレイム金属片をセットした万力を下にして、丸太の机が黒土に突き刺さる。
それは私の『蹴り』が完璧だったことの証明だ。衝撃は逃げること無くブレイム金属片とそれを備え付けていた机に伝わった。
私はそれを見届けてから滞空時間の長かったジャンプを終えて、片膝を付いて地面に降り立った。
訪れる沈黙。
スレイマン師と同様の結果だが、原因は異様への恐れではなく、単純な驚きのせいに違いない。
私は立ち上がった。
そして、皆の方を振り返る。
どんなもんだい!
それを言葉にする前に、私の中で何かがパキりと割れる音がした。
それが何だったかに気がつく前に、私の目の前が真っ暗になっていた。




