31 夢幻の工房
土の匂いがする。
馬車から降りようと、頭を出した瞬間に微香が鼻をついた。
煌めく陽の光は朝の冷気を払っていく時間だが、少し湿った空気がまだ残っている。
その匂いや湿気に気がついたのは、ここが内壁街では珍しい場所だったからだろう。
いい意味で整備された都市である内壁街は、逆に言えば自然はほとんど残っていない。
石で作られた土埃の臭いがする都市だ。
けれど、ここは黒土の湿った臭いがしっかりとする。
「植物園?」
内壁街であるにもかかわらず、目の前には植物の塊のような敷地が広がっていた。
森と言うには小さいが、大きな帝都に生えた苔のようにも見える。
区画整備法や景観法により、かなり建物を作るには事細かに決められているはずだ。
それは建物本体だけでなく、庭の造りまで、植える木の種類まで決められている。
目の前の敷地が違和感があるのはそれらの決まりがどう見ても守られていないからだ。
「植物園というのは、正しい印象だな」
宰相様も馬車から降りて、んーっと体を伸ばしながら相槌を打つ。
「こんな建物いいんですか?」
と素直に聞いてみると、いいんですと素直な返事が帰ってきた。
敷地は建物が見えないほど緑に覆われている。
門の入口らしきものはあるが、道はすっぽりと植物で埋まっており、どう見ても中には入れない。
「ここの主人は宮廷魔術師だと言っただろう? 彼は特別な権限を認められている。宮廷魔術師としては第七席だが、内壁街で魔導施設を持つことができるのは彼か筆頭宮廷魔術師くらいのもんだよ」
なんでも内壁街には防御結界がひかれており、刀剣類同様、魔道具の類は許可制だそうだ。
魔導実験などの施設は殆どが郭外街か帝都の郊外に作られる決まりで、それは灰魔術師の宗家のような政府に重要な存在でも同じだ。
「魔導施設と言っても大規模な実験なんかはできないけどね。目の前のこの鬱蒼とした植物なんかはすべて魔導研究に使う薬草や何からしい。うちの許認可担当部署の連中は訳がわからん植物を植えてるって頭を抱えているけどね」
そう言って、宰相様は門の方に歩いて行った。
まさかこの茂みの中をかき分けて入って行く気だろうか?
と思っていたら、ゾゾゾゾと変化が起こった。
門の入口を覆っていた植物が『自発的』に後ろに下がって道を作っていく。
それはギョッとするような光景だ。
明らかに何か意思を持っているように思われる動きで植物が移動し、それまで茂みで視界が効かなかった場所にポッカリと道ができた。
その向こうに、数十メートル先に小さな家が見える。もちろん全体は見えないが、正面部分が陽の光に照らされて茂みの中にポツリと立っているのが見えた。
「さ、行こう。話は通してある」
なんでもないことのようにフィリップ様が先に歩いて行く。ラウールも同様にそれに続く。
私は無言で隣のEと目を合わせた後に、二人についていった。
静かだ。
不自然なほどに、静寂に覆われている。
植物のアーチで作る影の下を歩きながら、私は見たこともない植物の存在感に少し不気味なものを感じていた。
これほど植物があるにもかかわらず、虫の声はしない。
内壁街でも外れにあることもあるが、そういった物理的なことを抜きにして、異界のような静かな存在感があった。
門から30メートルほど歩いて家の前にたどり着く。白いペンキを塗られた木壁の家。それだけ見るとどこにでもある簡素な二階建ての住居にしか見えない。
五段だけある小さな階段を宰相様が上り、薄い扉の前に行く。私たちは階段には上がらずに少し離れて待っていた。
クスクス。
大きくはない笑い声があたりに響いた。
「妖精……」
私はその笑い声の主に目を向けて一目見てそう呟いた。
30センチに満たない小さな『人型』の生き物が、Eの頭の上に座っていた。
カーリィなショートヘアーにこちらを値踏みするような目つき。薄い口元にはニンマリとした笑みを浮かべている。幼子のような造形でありながら蠱惑な表情。
女の子のようだが、ピッタリとした肌に吸い付くような服の胸元はかなり、体長を考慮しても薄い。
体の大きさ以外にも、背中に生えている透明な二対の羽が人ではないことを物語っていた。
「私はマリー。あなたは?」
妖精が私に向かって尋ねる。
マリー? 妖精って個体認証があるのね。
「私はクレオリア。あなたは妖精なのマリー?」
「妖精?」
私の問いかけにはマリーはクスクスと笑っただけで答えなかった。
むんず、とそのマリーが『鷲掴み』にされた。
「キャ!」
と可愛らしい悲鳴を上げた彼女を掴んだのは、頭に座られていた幼い灰魔術師だった。
「何すんのよ!」
マリーは抗議をするが友人Eは彼女をジッと覗きこむ。
その瞳に捕らえられた彼女は小さな、先ほどの驚きの悲鳴ではなく、怯えを含んだ声を上げた。
「ふうん」
彼の方はそんなマリーの様子には一向に配慮を見せずに手の中に掴んだ妖精を上から下に眺め回す。
「離してあげなさい」
怯えた様子のマリーを見かねて、私がそう言うと、あっさりとその手を放す。
マリーはその手のひらが開いた途端に背中の羽根を一生懸命はためかせて私のお尻の後ろに隠れるように飛んできた。そして警戒心のこもった目で小さな灰魔術師を睨んでいる。
「妖精じゃないみたいだね」
と、彼がマリーを見ながら言った。
「違うの?」
私の腰にしがみついている彼女の姿は絵本で見る妖精そのものなのだが。
「自立式の人工生命体って感じかな?」
「人工生命体? 彼女が?」
「変な呼び方しないでよ!」
マリーが拳を振り上げて抗議する姿は自然でとても人間が作った生命のようには見えない。
「いわゆる使い魔ってやつだね。灰魔術の魂面のような契約による使い魔じゃないけど、人工生命体にしてはちょっと『自然すぎる』くらい違和感がない」
「つまり?」
「『コレ』を作ったのは天才とか言う言葉じゃ収まらない人みたいだ」
「コレとか言ってんじゃねー!」
「ねぇ?」
私はプリプリと怒っている小さなマリーに優しく声をかける。
「あなたの主人はこの家の人でいいの?」
「そうよ。ご主人様はスゴいんだからアンタなんかぴょーんと黒焦げよ!」
最後の言葉はEに向けられたもので、擬音も間違っているがまぁいいだろう。
友人Eは灰魔術師だ。
彼ら灰魔術師の特性はまずその『目』にある。
彼ら灰魔術師は優れた魔力感知の『目』を持っている。
彼ら灰魔術師は魔粒子を利用する魔術師なのだ。
魔力と一括りにされるものはその実三態に分類される。
魔力、魔粒子、魔素だ。
この三つが循環していくのがこの世界の大きな理の一つである。
あまり細かい話は私にもわからないんだけど。
灰魔術師はそのうち魔粒子を利用する魔術なのである。
魔力を使用し、理を歪めたことによる残滓、歪みが魔粒子で、その残滓を読み取ることができなければ灰魔術は使えない。
つまりその残滓を見極める『目』があることそれがズバリ、灰魔術師としての適性。私が灰魔術師になれないのは、やる気ということを除けば、この『目』の適正がないことが大部分だ。
おそらく彼ら灰魔術師の持つ『目』は裸眼の状態で黒魔術師の使う魔力感知と大差ない精度を持っているだろう。
その中でも友人Eの『視界』は、彼の師匠である『痩犬』の灰魔術師に言わせれば、『広くはないが深く見ることができる』そうだ。その彼がマリーのことを評したのであれば、それに間違いはないだろう。彼女の主人、つまり私の先生になる人はフィリップ様の言うとおり『最高』であることに間違いはないようだ。
ちなみにその灰魔術師は、
「この庭に植えてある植物も大半は自然の植物じゃないね」
と付け加える。この場所を支配する違和感はそういうことが理由なのかも。
私達がウダウダとやっているうちに、玄関の扉が中から開かれる。
「やあ、朝からすまないね。言っていた子を連れてきたよ」
フィリップ様が扉の中に声をかけている。
キィっと軋んだ音がして、扉が全開になった。
「この子たちですか?」
姿を現したのは、中背細身の白い髪。その髪は耳の上で綺麗に刈られたふんわりとしたマッシュルームカット。細いフレームの眼鏡をかけた少年だった。




