22 妹姫の謎 (オーランド・オヴリガン視点)1
「記憶がおかしい?」
妹の打ち明けてくれた悩みに、私のほうが混乱していた。
「それはどんな風にだい?」
もしかしたら、魔法による記憶の改竄があったのかもしれない。件の吸血鬼について妹は心配ないと言ったが、もしかしたらソレが何かしたのかもしれない。いや、現時点では疑いはかなり高い。
「私が神人類だと知った二月ほど前から記憶が靄にかかっているような感じなんです」
「自分の記憶に違和感があるのかい?」
今までの会話から、私達兄弟のことも認識できているし、記憶喪失ということは無いはずだ。
「記憶の欠落……ええ、そんな感じです。ある重要な記憶の一部分が無くなったせいで、それに付随する記憶の鎖まで切れてしまった感じなんです。時々自分で意味の分からない単語を思い浮かべているんですけど、それがとても自然に使っていて、浮かんだ後に、なんでこんな言葉が出てきたんだろうって」
妹は記憶が欠落しているのは、二月前。その吸血鬼が現れた辺りから、南方を出発した一月前までの記憶に靄がかかっているのだそうだ。
それも全てを覚えていないわけではなく、何か特定の事柄についての記憶が無い。
記憶の鎖という表現はよくわからないが。
幼い妹だけれど、その知性と判断には信頼が置ける。夢見がちな世迷い言や、ましてや勘違いなどと言うことはあるまい。
「そして、自分の記憶に違和感を感じたのは、サウスギルベナを出発して、多分中央地方に入ってからです。そう魔導船で大運河を北上し始めた辺りから、うん、間違いないと思う」
「クレオリア、言いにくいことだけど、その吸血鬼に何かされた可能性はないのかい」
そうなっていたら絶望的だ。おそらく両親さえも毒牙にかかっている。だが、クレオリアはそれを否定してくれた。希望的観測だが、言った言葉は納得できる部分もあった。
「多分違うと思います、『あれ』はそんな悪巧みができるほど脳味噌の入っていない、典型的脳筋だったし、確かに記憶の欠損部分と『あれ』と出会った時期は重なっているけど、それは無くなった部分が同じなだけだもの。多分、なにかあったとしたら私がその吸血鬼と別れて、サウスギルベナを旅立ってから、南方を抜けて、中央地方に入った辺り」
「それが魔導船に乗った辺りというわけか。なにか船に乗っていた時に気になることはあったかい?」
「うーん」
妹は首をかしげている。
「ナタリーに付き合って甲板で景色を眺めてばかりだったし、話しかけてくる男の子とちょっと会話したくらいかぁ……な。Vはいつもどおり船内の施設を見ていて……、Eは船酔いで……うん、ちゃんとそこから記憶がしっかりある。多分、船に乗る直前。南方を出る時がおかしい。その部分がぽっかりしてる!」
どうやら、違和感の始まった時期も間違いないようだ。
「欠損した記憶は二月前から数週間前まで。それに気がついたのは魔導船で大運河を帝都に向かっている時」
「ええ。なにかあったとすれば……サウスギルベナを出てから南方を通過するまで」
「クレオリア、最大の問題は、まず僕達が気にしなければいけないことはやっぱり誰が君の記憶を奪ったか、だよ」
私はやはり、その吸血鬼が怪しいとしか思えなかった。吸血鬼といえば血を吸うというくらいしか知らないが、もし妹が人の上級種である神人類なるものなのだとしたら、その吸血鬼の目的もやはり妹の血を吸うことなのではないだろうか。
記憶の欠損もそれなりに問題だが、その結果よりも人為的なものであれば、それが誰で何の目的であったかということのほうが重要だ。
私は後ろから妹を抱えたまま、そっとうなじの髪をかきあげた。
そこには傷どころかシミの一つもない、白く生気の通った肌が瑕疵なく広がっている。
「やっぱり、お兄様は吸血鬼が怪しいと思っているんですか?」
「うん?」
私は何も異常が見つけられずに、妹の髪を再び背中に流す。
「状況的には、そう思うね」
不安にさせてしまうかもしれないが、この妹には下手な隠し事はできない。
私がその吸血鬼に疑いを持っているのは、確かなことに基いてはいない。しかし少なくとも第三者の明確な意図のもとに行われた記憶の改竄については確信を持っていた。
なぜなら……妹はある意味でまったく性格が変わっているからだ。
いや、彼女の本来の性格はそれほど変わっていない。私は妹の本質的な優しさというのをちゃんと知っていたからだ。
だが、感情の表し方は違っている。
妹は誤解されやすい性格だった。
それは私が妹と暮らした短い間、それは彼女がまだ幼い頃から『そう』だったのである。
家族以外の者が、彼女に持つイメージは『冷徹』か『烈火』という幼子に相応しくないものだった。
それはほとんど誤解である。妹は言葉が喋れる様になった頃から、いや、感情がハッキリと表せるようになる頃から、今よりもずっと『大人びていた』し、『理知的』だった。
癇癪持ちの様に誤解されているが、実際はほとんど怒ったり、ましてや泣いているところを家族もみたことがない。親愛の情を露骨に表す人間でも無かった。
それが、今日、二年ぶりに再会した時に感じた違和感。
妹が、四歳の時よりも、今のほうが『子供らしい』と感じる違和感だ。
あの時は、大人びているといっても、数年ぶりの再会はやはりこの妹でも嬉しいものなのだなと微笑ましく思っていた。
だが、『記憶の隠蔽』があったのなら話は別だ。『記憶の隠蔽』が『性格の変化』を及ぼしているのではないか。
今のほうが、年齢に相応しい性格だと納得は到底できない。不自然な状態だ。
「その吸血鬼、オルガに対する私の印象が信用出来ないとしても、やっぱり外形的にオルガが記憶欠損の犯人というのはおかしいと思います」
オルガ、というのがその吸血鬼の名前か。重要な情報を心に刻む。
「というと」
私は、妹を抱えた姿勢のまま、その頭上でワインを口に運んで、グラスをテーブルに戻す。
酔っている場合ではないが、少し不安を和らげたかったのだ。
「だって、血を吸うのが目的なら神人類であることをワザワザ教える必要もないし、記憶を奪う必要もないでしょ? 血が必要なら攫えばいいんだから。帝都以東なんて魑魅魍魎の未開地域なんだから奪い返される心配もないし」
怖いことをサラッという。だが、確かにそうかもしれない。
そうなると、その『誰か』の目的は『記憶の奪取』自体にあったということか。
しかし、いくら神童であろうと六歳の、それもたった二月に満たない期間の幼女の記憶にそれほどの価値があるだろうか?




