12 芽
「……ま、まいったっ」
荒い息を吐きながら、仰向けになったジークフリートがついに負けを認めた。
ギュッと目を瞑っているが、それは悔しいからではなく、酸素を貪るほど苦しいからだろう。
私達は何度と数えることもできないほど、立会を繰り返した。
その全てで、私は素手で立ち向かい、全て勝った。
ジークフリートは何度負けても、すぐに立ち向かってきた。何度も何度も投げ飛ばされ打ち据えられても諦めることはなかった。
結局気持ちが折れる前に、体力が底をついたようだ。
「お、おまえ……スゲェな」
ただ、どうやらジーク坊っちゃんにとって勝ち負けはもうどうでもいいようだった。
相変わらず甘いと言ってもいいが、好ましい有り様ではあります。
テオドールさんが抱き起こしている。それを嫌がる力も残っていないみたいだ。
苦しそうに空気を貪っているが、その声は憑き物が落ちたように爽やかなものに変わっていた。
男の子が河原で殴りあって友情を確かめた時ってこんなかんじなのかしら?
最初は坊っちゃんの慢心と、道場剣術の無力さを分からせるはずだったのだが、いつの間にか普通に試合をしていた。最後の方はいなす余裕など無かったこともあるが、すっかり忘れていたのが大きい。
存外この赤髪の少年との試合が楽しかったみたい。
お互いに力と技術を確かめ合って高め合っているのがわかった。
私にとって武術は必要だから身につけるのであって、楽しみのためじゃないはずだけど。
「ふむ。こんなものかな」
銀の長い髪を指先でいじくりながらフィリップ様が立ち上がる。
ヤバっ。すっかり賭けのこと忘れてた。
「おメガネに敵いました?」
私は余裕ぶって、宰相様を見上げる。内申焦っていたのだが、それを素直に出すのも不味かろう。忘れていたとは口が裂けても言えないわね。
「ま、いいんじゃない」
随分とあっさり。宰相様は実は焦っている私を無視して、ジークフリートの傍にしゃがみ込むと、その顔を覗きこんだ。
「期待していた通りの効果はあったみたいだし、ねっ」
とジークフリートのオデコを軽く叩いてみせた。
「な、なんの……こと?」
荒い息を繰り返しながら、なんとかジーク坊っちゃんが抱きかかえられながら返す。
「私なんかが百回言うより、効果があっただろってことさ」
そして、フィリップ様はようやくこちらを向いた。ずっとイタズラで鋭利な目つきが少しだけ優しい光を讃えている。
おっと、なになに? ドキッとするじゃない。
この人性格は悪そうなんだけど、顔はなかなか悪くないのよね。
というか、なんだかフィリップ様が黙ったままなんだけど?
「……」
「えっと? なんですか?」
「……いや、私の予想より出来が良すぎるなと思ってね」
「はぁ?」
変な答えを返されて、私は何と言っていいのか分からずに生返事をする。
出来がいいってことは……合格ってことでいいのかしら?
「どうやら時間切れだ」
そう言うフィリップ様の視線を追うと、一台の馬車がやってくるのが見えた。
ああ、そう言えば宰相様、公務を放ったらかしにして抜け出てきたんだっけ?
「それじゃ、そろそろ行こうか」
そう言って、フィリップ様はもうすでに夕日になってしまった太陽を見上げた。
「今日紹介しようと思ったんだが、どうしようかな」
「紹介?」
「うん? ああ、君の……」
「おい!」
宰相様の言葉を遮って、背後から声が掛かる。
私とフィリップ様は揃ってその声の方を向いた。
「お前、名前は?」
ジーク坊っちゃんがまだ真っ赤になりながら、強い視線を私に向けてきた。
どうやらまだ回復していないようだ。
「クックック」
フィリップ様が意地の悪い忍び笑いを漏らしている。
「?」
私はその宰相様の笑いを訝しげに思いながら、ジークフリートに目を向けたまま考える。
そう言えば、まだ名乗ってなかったわね。
どうせ、学園に入学したら会うんだし、あの様子だと権力を振りかざして面倒なことをしてはこないだろうから、名乗っても問題ないかな?
「わ……」
「すとーっぷ」
名乗ろうとした私を、意外に大きな手で体を包むように口を塞ぐ。
「フフン、負けた奴には教えてやんないよーだ」
そう言って、フィリップ様は私の手をとって、到着した馬車の方に誘う。
「えっと?」
私は戸惑いながらも、なされるがままに馬車に向かって歩く。
子どもか?
大人げない宰相様とすぐ近くに止まった馬車の傍にいく。
馬車から官服をきっちりと着た三十前後の、気難しそうな男が降りてくる。
その男を見て、私の目が大きく開いた。




