別物語 普通のスープをあなたにあげる3
「こぼさないでよ」
「よしきた」
私から生来の子分気質の少年灰魔術師Eに背後から声を授ける。
姉と弟のようだとも言える。
Eは老顔少女騎士と六歳児、六人分の塩スープの入った鍋を、注意深く傾けていく。威勢のいい返事の割にはこぼさないようにへっぴり腰になっていた。
灰緑色の澱が舞っているスープがジョロジョロと布とその下にある鍋に向かって注がれる。
「大丈夫ですか?」
「こぼさないでよ」
「んー!」
ヴィクトリアと私が思わず声をかけるほど、Eの手つきは危なっかしい。鍋の重さとその取手が持ちにくいというのもあるのだが。
それでもなんとかこぼさず、少々はねてしまったが、注ぎきった。
ユーニアとナタリーが鍋の上に掲げ支えていた布を取り払う。
そこには黒色の鍋に揺れる濁りの無いスープがあった。
私は進み出ると、スプーンを突っ込んで色を見る。
すくい上げると透明の塩スープだったものが、ほのかな黄金色に変わっているのが見えた。
「うん」
とその出来に満足そうに頷く。何様だ? クレオリア様だ。
他の面々も(Vを除いて)スプーンの上のスープを見て、
「おー」
と声を上げる。
濾した布から絞りカスを取り払いながら、Eはパチパチと拍手してくれたユーニアとナタリーに会釈してみせた。
「じゃあ、V、弱火キープでお願い」
兄に声をかけ、Eは鍋を竈の火の上に置いた。
「じゃあ、ここにコレを砕いていれまーす」
「げっ」
と私の呻き声が漏れ、視線は大豆クッキーに注がれていた。
Eがまあまあと宥めてから、手に持ったクッキーを鍋に次々と砕いて混ぜていく。
少女たちの「えー?」という疑惑の眼差しをチリチリと感じながらも、全ての大豆クッキーを入れてしまった。
スープを混ぜる。
細かくなった大豆クッキーの生地が、水分と熱、撹拌によって更に崩れていく。
黒の鍋肌ではわからない黄金色だったスープがあっという間に白濁色に変わっていた。
大豆クッキーに使われていた大豆粉と乳製品の色だ。
「なんちゃってシチューでーす」
と自分の意図を説明する。
「色は悪くないわね?」
という私の感想の通り、スープは少しとろみのある液体になってきた。
ただしシチューと言うには薄い白濁色だが。
「味もシャシャリもない大豆クッキーだから味をそれほど変えずに『食いで』がでるでしょ? もう少し乳製品の分量が多ければもっとシチューぽくなるんだけど、味が円やかになるから少し濃い目の塩味のほうが飲みやすくなるよ」
「ここに千切りした野菜と肉を混ぜるわけね?」
クレオリアの言葉に頷いた少年灰魔術師だが、
「肉だけは混ぜないけどね。煮込んじゃうと味が濃くなりすぎだし、せっかく炙って出た香ばしさがなくなっちゃうから、肉とチーズは各々で食べる直前にスープにふりかけて貰う方向で」
ヴィクトリアが感心した溜息を漏らす。
「はぁ、色々と考えているのですね。君は本当に幼いのに多才ですね」
「これでも元料理人修行もしていましたからね」
目を閉じて自慢げにオスマシするEだが、それを私は冷めた目で見る。
「二月も保たずにクビになった鉛の舌が何を言うか」
「ふ、それは一月も保たずにの間違いだよ」
兄のVがしゃがみ込んでいる竈の上には鍋があり、そこでは白濁のスープがポコポコと緩やかに対流が起こっている。乾燥野菜が十分に煮込まれるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
「そう言えば、ヴィクトリア」
暇を持て余した私は何となく口を開く。
「はい、何でしょうか? クレオリア様」
「貴女と手合わせした時、炎の狼のような魔術を発現していたわね。あれについて尋ねてもいいかしら?」
「ハイ。あれは単なる付与魔術です」
居住まいを正し、直立不動の姿勢で公爵令嬢に答える少女騎士。
死活に関わる自身の技術について答えてくれるかどうかは疑問だったが、単なる時間の浪費のための質問で投げかけた。ヴィクトリアの返答を聞くにそれは隠すほどのことでもないらしい。
だが、その回答には少々疑問が残る。
「『単なる』付与魔術スキルのわけがないでしょう」
ヴィクトリアが先だって見せた『狼の形をした炎』による中距離攻撃は、本人が難なくやってみせたことや、今の返答ほどには簡単な技術ではない。
「そもそも貴女の使っている剣も魔法の品と考えていいのかしら?」
まず武具に対する炎の魔力付与、それ自体は大した技術はいらない。
『付着する』だけでよいなら基礎技術だけで可能だ。
だが、通常の鉄鋼製武具では、それ自体が炎によりすぐに劣化、使い物にならなくなってしまう。
護衛騎士ということを考えて、継戦能力を失うような手は用いないだろう。
「そうですね。我が家に代々伝わる宝剣です」
そう言ってヴィクトリアは腰に挿している長剣の柄頭に手を延ばす。
そこに挿しているのは、女性が持つには少し大ぶりの長剣だ。銀造りの柄頭は硬質な光を放っている。磨かれてというより、それ自体が発光しているような光で、鋼にはない純度があった。
「始三家ウェストミンスター公爵家を代々守るための剣って、それはもう魔法がどうとかいうより、骨董品としての価値のほうが高そうね」
私の感想に、ヴィクトリアが軽い笑みを浮かべる。
私は特段、剣を抜いてみせろとは言わず、ヴィクトリアの放った炎の狼について話を戻す。
「劣化防止は魔法剣のおかげだとしても、炎を一瞬で発現、成形制御して投擲するのは魔術師としてもそれなりの実力が必要ね」
だが、私の推察にヴィクトリアは首を捻る。
「現場で役に立たなくては意味がないですから咄嗟に発動できるように訓練はしていますが、魔術師としては極々基礎的な技術だと思いますが?」
「そもそもあの炎の狼はどういう魔術なわけ?」
「……」
「ヴィクトリア?」
「ヴィク?」
急に黙りこくった少女騎士の様子を訝しげに覗き込む私とユーニアの視線の先には、白い肌を桃色に染める少女騎士がいた。
「……まぁ、なんといいますか、子供の頃一度だけ出会ったことがある女性の騎士の二つ名が『炎狼』と言いまして……彼女に憧れるというか……まぁ、そんな感じで、まぁ……」
語尾がどんどんとモゴモゴした調子になっていき最後には両手で顔を覆ってしまった。
「ふーん、つまりその貴女にとっての英雄にあやかって編み出した必殺技ってわけ?」
少女騎士は真っ赤な顔を両手で隠したままコクコクと頷く。
「それにしたって大した技術だと思うけど……そのへんどうなのプロ魔術師として」
そう言って私は鍋の前に座り込んでいる少年灰魔術師の後頭部をツンとつついた。
「うーん? まぁ、どの辺の技術を評価するかによって変わってくるとは思うけど、ヴィクトリア様が言うとおり、魔術自体は大した技術じゃないね」
顔を鍋に向けたまま答える。
「使っていたのは炎の具現、維持、投擲、それから飛散これくらいかな。飛散以外はどれも炎系魔術の基礎中の基礎だし、なにより魔法剣に炎を纏わりつかせて発現させているところを見てもやっぱり基礎中の基礎。飛散にしても爆発よりは簡単だし、とは言え、偉そうに言ってる僕にはそこまでの才能も技術もないけどね」
ヴィクトリアはようやく顔を上げて素直に頷く。
「……コホン。確かにその通りです。この技自体は十歳くらいの時に会得したものですからね」
「わざわざ狼の形にする意味なんてないと思うかもしれないけれど、自分のイメージしやすいもの、思い入れの強い形状だったのなら、丸い火の玉よりも成形維持するのは容易いよ。今の話から察すればあの形は自然とああなった結果じゃないの?」
「ところで飛散ってなに?」
「相手に当たった時ちゃん火達磨にできるように纏わりついて燃え広がらせる効果」
私はその言葉に頬を引きつらせた。
あの時自分がうまく避けなれけば十分に死ねていた威力があったと知ったからだ。
だがまた謝られてもウンザリするだけなので、口にはしない。
「つまりただの火球の魔術と同じなわけ?」
「それどころかただの火の球だよ。飛散の効果を除けば剣から発せられてからは燃焼維持されているだけの、魔術とも言えないようなもんだね。けれど……」
少年灰魔術師は辛口のコメントから言葉を繋げる。
「ヴィクトリア様の凄いところは、魔術自体の高度さじゃなくて、基礎技術の高さじゃないの? もちろん生来の魔力量も豊かなんだろうけどさ」
「確かに」
私も頷かざるを得なかった。
実戦においては、大技が決まることも、そもそも使われることも殆ど無い。
特に対人間、もしくは人間よりも小型の生物戦に於いてはだ。
それよりもいかに素早く確実に発動できるほうが有用だ。
理由は簡単で、人はそんな大技に時間をかけなくともその生命を断つことが容易いからだ。つまりオーバーキル。コストパフォマンスの悪い攻撃ということになる。
そしてそれはもちろん、相手からも容易に命を絶たれるリスクがあるということだ。
命の取り合いは、大凡において早い者勝ちなのだ。
「確かに子供の頃に会得した技を未だに使っているのもそういう理由が大きいですね。素早く発動でき、かつ剣域外を攻撃できる手段は重宝しますから」
「他にも魔術は使えるの?」
「ええ。保安上詳しいことは言えませんが数種類の魔術は会得しています」
「ふーん魔法剣士か。そういう存在は初めて目にしたわ」




