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ラプンツェル家は夜笑う  作者: 癒原 冷愛
招かれざる客
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Ⅴ.天使の幻影


 瘉治Dr.から預かった鍵を差し込んで看田氏が開けた扉は、必然的に笠原氏の部屋の隣である。

「長らく誰も使っていないから少し埃っぽいけど、掃除と換気は小まめにしてありますので」

 看田氏は先に入ってカーテンと窓を開け、シーツと枕を整えて軽くベッドメイキングしてくれた。

 シングルベッドとナイトテーブルだけの、簡素な部屋だった。窓際の天井にエアコンが設置されている。

「北向きだから日中の日当たりは悪いけど、星は良く見えますから」

 看田氏は編み戸を開けて身を乗りだした。

 ドアの内側にサムターンが付いていて、中からも施錠できるようになっている。プライベートは守れそうだ。

「各部屋の鍵は一本ずつ。合鍵はないので失くさないようご注意ください」

 看田氏から二〇一号室の鍵を手渡される。特殊なデザインでもなく、見慣れた形と色。メーカー自体、俺が引き払ったクソアパートの鍵と同じである。

 全室に通じるマスターキーは、常に館の当主である癒治Dr.がウエストに巻きつけたホルダーに保管し、文字通り肌身離さず所持しているということだ。

 因みに玄関扉を開け閉めする洋館の鍵は、患者以外の医療スタッフは各自一つずつ持っているらしい。無論、俺のぶんはない。

「あとで夕食をお持ちしますね。わたしたちは娜々村さんが来る前に、もう済ませてしまいましたけど」

 ヘトヘトに疲れきっているはずだが、何故か空腹はあまり感じなかった。昼前にパン十個を一気食いしたのが(こた)えている。

「良かったです。瘉治Dr.も仰っていたように、命に別状がなくて」

 確かに堕ちたのが森の茂みでなかったら、俺はもっと大怪我を負っていただろう。或いは。

「やっぱり杏の林は命を救ってくれるんだわ」

 中国の名医、神仙董奉が治療費として植えさせた杏の木が、数年で林になったという故事。医師を杏林と敬うのは『神仙伝』からきているらしい。

「びっくりしました。稲妻が光った時、誰かが降ってくるのが窓から一瞬、見えて」

 看田氏は振り返って俺を見据えた。

 無様な飛翔から墜落する瞬間を目撃されていたとは。カッコ悪い。今さらながらガックリひざまづく。

「ずっと森を見ていました。豪風雨に打たれても負けない樹木たちを、凄いんだなぁって思って。〝最後の一葉〟のジョンジーの気分に浸ってたかな」

 俺の羞恥心を気遣ってか、看田好恵は舌先をペロリと出す。

 なんという純粋な少女だろう。看護婦という立場上、振舞いこそ大人びてはいるものの、垣間見たのはあどけない等身大の姿だった。

〝貴方も見習ってください〟石医氏の言葉が甦る。あん時ゃカチンときたけど、恐らくこういうところなんだろう。

 芯が強くて思いやりがあって、優しくて儚い。心の美しさが外見に滲んでいる。母性も理性も兼ね備え、凡そ俺の持ち合わせていないものばかりだ。

 あえかなる白い天使を、俺は直視できなくなった。

 知命の管理栄養士は俺の為人(ひととなり)を瞬時に悟ったはずだ。くそめ。

 笠原岳士が看田好恵に気があることは明らかだ。男女の機微に明るくない俺の目にもバレバレである。くそめ。

 石医にしろ笠原にしろ、看田好恵と俺に対する態度がなんでこんなに違うのだ。相手は自分を映す鏡だと? あいつらだって所詮、汚れに塗れた人間じゃねえか。美しいものを贔屓し、汚いものを差別しやがる。そこに正しさなど、これっぽっちも存在しないのだ!

 今なら生薬原在異の気持ちが、何となく解るような。

「オー・ヘンリーが好きなのか」

 沈黙に堪えきれず、顔を伏せたまま俺は問うた。

『最後の一葉』――病で生きる望みを失くした少女が、画家・ベアマンの献身で生命力を取り戻す感動の名作である。病を治すのは医師ではない、自然治癒力と本人の生きたいと願う意志なのだ。俺はこの教訓がとても好きだ。

「いいえ。そうでもないわ。どちらかというとグリム兄弟かな。だってこの館は〝ラプンツェル家〟ですもの」

 ラ、ラプンツェル……?

 潮目が変わったように、窓から異様に冷たい不穏な夜風が吹き抜ける。

 白衣の天使らしからぬ、意味深に口角を上げた看田好恵に、俺は暫し面喰らった。

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