Ⅴ.消えたラプンツェルの髪
「も、〝もう一人の黒髪鬼〟が……!」
「この中に……?」
肝を潰す彼らを牛耳りながら、俺は犯人の心情を推し量った。
「笠原岳士の遺体が執拗なメッタ刺しにされていた状況から見ても、〝もう一人の黒髪鬼〟は、笠原氏に相当深い怨嗟を抱いていたはずだ。予予、隙あらば襲撃しようと狙っていたのかもしれない。そんな折り朝食の席で、笠原氏のルームクーラーが壊れたことを小耳に挟む。犯人は事件の夜も凶器を忍ばせ、如何な闖入できぬものかと画策し、寝静まった笠原氏の部屋を窺っていたのだろう。館の外側に廻ってみれば、地上から二階を見上げたまさにその時、二〇二号室の窓は開け放たれ、三階から一階へ空中に縄が垂らされていたとしたら」
かくやあらん。犯人にとって千載一遇のチャンスであり、窮余の一策だったことは想像に難くない。
第一の事件が呼び水となり、異なる動機を持つ二人の人間が、同時刻に各々のターゲットを死に至らしめる。惨憺たる事件のからくりは、二重構造の非連続殺人だったのだ。
「だがなぁ探偵さん。あくまで〝髪長姫〟はお伽話の世界だ。現実的に考えて、ワインボトルと人間じゃ重さの桁が違う。心もとない紐一本に掴まって、大の大人がのし上がるなんて芸当ができるのかい。途中で千切れたら元も子もねぇ」
懐疑的なかず理が差し挟んだ。最もな意見である。
「当然、犯人にとっても賭けであろう。しかし実際に可能だったと云える。癒治Dr.のように身体が不自由で、よほど肥えた人間でない限りは」
車椅子の豊満な古狸を、俺はチラと盗み見た。
あくまで歩行可能なことは白を切り通すつもりか。食えない老巧は、メタボリックシンドロームをひけらかすようにふんぞり返り、沈黙のまま俺を焚き附けている。
蹴り倒したろか。
「ということは、犯人は体重の軽い人物……!」
彼らは互いに視線を這わせ、必然的に細身の人間へと疑いの眼差しが集中する。
「わたしはスリムではありません。小柄だけど標準体重より一㎏重いわ。体脂肪率も高く、隠れ肥満なのよ」
石医氏が弁解と同時に暴露する。
「アタシもだ。標準体重より三㎏は上回ってる。最近太ったしなぁ。縦も横もあるから、軽業師の真似事なんかできやしねえ」
世代の割りに大柄な類人猿、かず理も否定した。
「言うまでもなく、わたしにも無理です」
肉付きの良い菊地氏が、膨よかな胸元を強調してみせる。
看田、萩子は明らかに青ざめ、縮みあがっている。
身軽であるほど有利なのは事実だが、この際、個々のBMIは関係ない。勾欄に結びつけた紐の耐久性が、何㎏まで保つのかは実験してみれば判ること。俺が試金石になっても良い。
「犯人を搾り込む術は他にもある。ここからが本題だ」
早まる連中を鎮めつつ、俺は一石投じる。
「一か八かの危険な勝負に出た犯人は見事、窓から襲来することに成功した。笠原氏を血祭りにあげ、脱出時も紐を伝って降りるつもりだっただろう。ところがここで予想外のことが起こる。豈図らんや、夢中で登ってきた〝ラプンツェルの髪の毛〟が、帰る時には忽然と消えていたんだ」
『もう一人の黒髪鬼』にとって不運だったのは、両者に共犯関係がないこと。犯人が笠原氏を殺害している間、階下の弓野氏が飲み終わったワインを籠に戻し、三階の生薬原が件の紐を手繰り寄せ、回収してしまったからに他ならない。
「〝通りゃんせ♪通りゃんせ……♪〟」
不気味なほど昏い声を発したのは、当の生薬原だった。
皆が黒衣の魔女を凝視する中、
「〝行きは良い良い♪帰りは――〟」
そこで止まった。黒い唇を歪め、愉しそうに詠いかけた彼女は。まるで他人事のように宙を見つめ、ベールの下の髪を掻きあげた。
真意が解らない。
中断された推理を俺は続けた。
「逃走経路を断たれた犯人は、ドアから出ていくしかなくなった。しかし、このままでは笠原氏の遺体が発見された時、マスターキーを所持していない犯人が、どうやって室内に入ったのかという疑問が残ってしまう。真の侵入経路――何故三〇二号室から紐が垂らされていたのか犯人自身、その時点では知る由もないが――を、少なくとも生薬原本人に勘づかれる恐れがあった。トリックが明るみになれば、即ち自分が疑われやすくなると考えた犯人は、侵入経路を隠すため、ひとまず窓を閉めて施錠した」
ゆえに季節柄、気温が上昇しているにも関わらず、空調の効かない室内の窓が締め切られていたという、不自然な痕跡を作りあげてしまった。皮肉な結果である。窓から目を逸らさせるための小細工が、逆に見えないルートへ導く手掛かりを与えてくれたのだ。
固唾を飲んで聞き入る彼らを横目に、俺は順当に駒を進め、
「次に犯人が捉えたのは、ナイトテーブルに置かれていた笠原氏の自室の鍵だった」
やがて一人の人物に視線を合わせた。
「――看田ナース」




