Ⅱ.どちらかが彼女を殺した
「何故です? わたしたちは三階から出ることが叶わず、身動きが取れなかったのですよ」
俺が制すると、菊地氏は大きな瞳をさらに丸くして問い詰めた。
かず理はバツの悪そうな様相で俯く。
事件当夜、午前零時。一階から悲鳴が聞こえ、弓野直子が病室で絶命していた。
俺はマスターキーを渡された看田好恵と伴に、館の住人を起こすため階上へと向かった。まずは笠原岳士の部屋を訪ねるも、彼は死体となっており、こちらも密室であった。
俺たちは次に、菊地氏、生薬原、かず理のいる三階へ急ぐが、階段と廊下を隔てる入り口の扉に外側から閂が掛かっていた。閂を外せば、中にいた菊地氏と生薬原が現れ……。
一見、彼女たちに犯行は不可能に思える。
だが。
俺は銀紙を剥がしてホワイトチョコを口に加えた。
「簡単なことだ。犯人は彼の夜、自室から一歩も出ずに弓野氏を殺すことができたのだから」
「なっ……!」
彼らの息を呑む音が聞こえる。
「〝塔の上のラプンツェル〟」
俺は核心に切り出した。
アメリカのディズニー映画にもなった名作で、原作はグリム兄弟。白雪姫やシンデレラほどの人気はなく、あまり知られていないが。美しき娘・ラプンツェルが苦難を乗り越え、城の王子と結ばれる物語である。
ラプンツェルは意地悪な魔女の手にかかり、階段のない高い塔の上に監禁されていた。
にも関わらず魔女は塔を昇り降りし、度々ラプンツェルの元へやってくる。その方法とはーー
「髪の毛じゃな……」
キラーパスを受けたのは癒治Dr.だった。
我が意を得たり。俺は首肯した。
「〝ラプンツェル、ラプンツェル、金色の長ぁい髪を降ろしておくれ〟」
不意に野太い声がして、一同はビクッと身構えた。
万座の注目を集めたのは、元妻の石医氏である。鼻を詰まんで、魔女の声真似をしてみせたのだ。
流石はおしどり夫婦。息もぴったりだというわけか。
彼らだけじゃない、この館の連中は皆知っているはずだ。犯人は勿論、俺にグリム童話を示唆した看田好恵も然り。若い娘の長い髪の毛を愛して止まなかったという、嘗ての先代当主。唯晴氏が建てた家が、ラプンツェルと名づけられた由縁だ。
シュルシュル~ッ
塔のてっぺんの小さな窓から、ラプンツェルは三つ編みにした長い髪の毛を降ろす。地上に届くほどのロングヘアーを。
魔女はそれを伝って塔の上を行き来しーー
「もう解っているだろう。犯人は〝ラプンツェル〟を応用したことが」
この館に屋根裏部屋はない。犯人は自分の部屋からトリックに及んだと考えるのが自然である。
「当然、本物の髪の毛ではなく、丈夫な紐か縄の類いを使ったはずだ。まず犯人は自室の窓格子に、一階まで届く長さの紐を結び付けて固定する。直接ワインボトルを紐で括るのは難しいが、バスケット等を完備すれば、持ち手の部分に紐を通して結ぶことは可能だ。蓋付きでロックの掛かるボックスに瓶ごと収納し、毎晩、決まった時刻に一〇二号室の窓越しに降ろす。部屋の中から手を伸ばした弓野氏は、バスケットからワインを取り出して迷わず飲み干しただろう」
アルコールを欲している彼女にとって、恵みのオアシスだったことは想像に難くない。たとえ命を脅かす、魔の液体だと解っていても。
弓野氏の病室の窓は、脱走防止のストッパーが嵌まっており二十cmほどしか開かないが、ワインボトルの直径は凡そ十cm。手首や腕の厚みを加えても、窓から取り込むことは充分に可能である。
「飲み終わったボトルはバスケットに戻し、弓野氏は窓を閉めて鍵を施錠する。この時点で室内に痕跡は残らず、密室も完成する。あとは犯人が、自室の窓から綱を手繰り寄せて回収するという寸法だ」
犯人はバスケットだけ取り外し、また次の日のために紐は手摺に括りつけたまま束ね、或いは巻き付けておけば良い。空のボトルは処分するだけだ。これを毎日繰り返せば、やがてーー。
なんという皮肉なことか。ラプンツェル家と呼ばれるこの館で、グリム童話が殺人のギミックに利用されたとあっては。
「それじゃあ〝黒髪鬼〟は、二階か三階に住んでいる人物に限られるということかい」
調理師は興奮したオランウータンのように、いよいよ鼻息を荒くした。
「且つ、弓野氏の部屋の真上でなければなるまい」
弓野氏の部屋は一〇二号室。とどのつまり、
「二〇二号室と三〇二号室の住人。弓野殺しの犯人は、どちらか二人に搾られるということだ」




