Ⅳ.そして首を絞められた
「うわあぁっ」
突如、絡みついてきたのは黒くて長い繊維質。髪の毛だ。
圧迫感より先に驚愕のほうが勝った。
背後を振り返ろうとした転瞬、それは俺の首を絞めはじめた。
凄まじい勢いで髪の毛に絞めあげられ、俺は身体を捩って抵抗した。痒い、苦しい、くすぐったい。爪が自身の首に食い込み、夢中で引っ掻いた。そうか、これが吉川線……。
朝食の席で瘉治Dr.が語った、唯晴の死に様。数分前に想像したことが現実化し、身を持って体験する恐怖。思考回路が途切れ、徐々に気が遠退いていく。
フサフサだぁ。髪の毛……っ、髪の毛ちゃん……
「どうしたんだ!」
「何があったんです」
薄れゆく意識の中、階段を駆け降りる音が響き、二元中継から人の声がした。
鼓膜が刺激され、逝きかけていた俺は双眸を見開く。
ダンジョンの扉が放たれるや刹那、背後の気配が消え去り、髪の毛は素早く俺の首からスルリとほどかれた。
「うげっ、ゴホゴホッ」
俺は吐き気と共に咳き込み、その場にくずおれた。
呼吸が苦しい。息を吹き返してもなお、胸がつかえて生唾が込み上げてくる。先ほど食した、黒いソースを纏った細長いパスタ――イカ墨のカッペリーニが髪の毛を彷彿させ、胃から迫りあがってきた。
「大丈夫ですか!」
駆け寄ってきた人物を見上げれば、萩子瞹太郎と菊地文華だった。
「……襲われた」
菊地氏に背中を摩られながら、振り絞った声が掠れる。
「誰にですか」
「判らない……」
萩子は呆然と立ち尽くす。
「ともかく此処を離れましょう」
菊池氏に手を引かれ、俺たちは地下室を脱け出した。
「髪の毛で絞殺されかけたじゃと?」
ふたたびダイニングに戻ってきた俺の元に、車椅子を押しながら瘉治Dr.が現れた。背後に石医氏が控えている。
一通りの経緯を話し終えると、
「ともあれ無事で良かったわ」
椅子にかけてテーブルに突っ伏した俺の前に、石医氏は水差しを置いた。
「儂らは部屋におったから判らんが、君たちは誰も犯人の姿を見ておらんのか」
俺は力なく首を振った。
「よもや君が襲ったんじゃないかね萩子君。朝からだいぶ荒れていたしのぅ」
青ざめたまま棒立ちになっている萩子に、瘉治Dr.がじろりと睨んで問いかける。
「違ぇよ! 俺が部屋にいた時、娜々村の悲鳴が聞こえてきたんだ」
萩子の病室はワインセラーに続く階段のすぐそば、地下室の斜め上に当たる。
菊地氏はたまたま通りかかったらしく、部屋から出てきた萩子とすぐに地下へ向かってくれたそうだ。
廊下から複数の足音がして生薬原、かず理、看田氏も集まってきた。
「また襲われた……?」
「どうなっているの、一体」
狼狽する彼女たちを一人ひとり、上目遣いで観察していく。
この中にいるはずだ。消去法で考えろ。
弓野と笠原氏を殺めた者と同一人物か否かはさておき、犯人は元から地下室にひそんでいたのか、跡をつけてきたのか、二つの可能性が考えられる。
俺は背後から首を絞められた。少なくとも、正面の扉から駆けつけてきた菊地氏と萩子は除外できる。
自室にいたという瘉治Dr.と石医氏は例によって灰色だ。彼らは食堂に現れたタイミングも絶妙である。尤も車椅子の老翁に、俺を襲って素早く逃げるなどという芸当は不可能なはずだが。
生薬原、かず理、看田氏、犯人はこの中に? そして最も怪しいのは――。
「〝黒髪鬼〟だ……」
憮然たる面持ちのまま、萩子が呟いた。
「逆鱗に触れたのかもねぇ」
食後のデザートか。袋ごと抱えた薬菓を摘まみながら、生薬原が可笑しそうに笑う。シャリシャリと軽快な咀嚼音と伴に、蜂蜜の香を撒き散らす。
かず理は静かに踵を返すと、去り際に俺を見据えた。
「一刻も早く出ていったほうが良い。殺されたくなければな」
老婆の瞳から感情は読み取れなかった。




