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ラプンツェル家は夜笑う  作者: 癒原 冷愛
午前零時の悪霊
16/35

Ⅰ.第一の殺人


 俺は気配を殺して踵を返し、震えあがる心臓を抑えながら元来た階段を昇った。



 ようやく自室に戻って、荒く乱れた呼吸を整える。ひどく喉が渇いてペットボトルの水を一気に呷った。嫌な汗が身体に纏わりついてくる。

 十二人目のミイラだと……? どういう意味だ。 

 ラプンツェル家の住人は十人。あと二人は誰だ? 誰を意味している? この家で亡くなったという癒治Dr.の父上を含めても、一人足りない。

 そうして弓野氏もまた、嘗ては癒治Dr.たちと同じ院内で働くスタッフだったのだ。癒治Dr.を取り巻く彼らは過去に遡って、恐らく全員が何らかの因縁で繋がっている。カルマの法則。不治惨刑(フジサンギョウ)島と命名された、この島での暮らしがはじまる以前から、各々の感情は複雑に縺れ合っていたのだろう。

 ゾッとして鳥肌が立った。初夏だというのに、うすら寒い。

 この洋館には未だ俺の知らない秘密がある。彼らがひた隠しにしているであろう、途轍もなく厄介な何かが――。



 *


 翌日、六月十五日。館の人間はいつも通りだったが、俺は一日中、不安と焦りに駆られていた。

 看田氏に訊ねてみようかとも考えた。

 だが部外者の俺が問い質したとて、正直に話してくれるだろうか。彼女もまた、内部の人間だ。

≪この館はラプンツェルですもの……≫

 手弱女の意味深な憂い顔が甦る。

 とにかく、怪我が治るまでの辛抱だ。だいぶん回復してきている。癒治Dr.の許可が下りれば、明日にでも島を渡る舟なりヘリコプターを手配してもらえるよう、頼まなければ。

 

 夕食後。俺は自室で悶絶としていた。

 首尾良く孤島を出られたとして、何処へ行けば良い。先は真っ暗だ。

 俺の母親は十二歳になる時、俺を産んだ。父親と呼ぶべき男は当時中学生だったらしい。幼い身体に出産は相当堪えたのだろう。実母は体調を崩し、入退院を繰り返していたという。

 母の両親が烈火の如く怒り狂って拒絶し、赤ん坊に危害を加えかねない勢いだったため、俺は孤児院に預けられた。

 (のち)に子供のできない夫妻に引き取られ、育てられた。

 成人してから一度だけ、寮母さんに会いに行ったことがある。彼女は息を呑んだ。俺の容姿は、俺を産んだ女に生き写しだったと。

 母が何処でどうしているのかは今も判らない。俺は捨てられたのだ。子供が子供を産んじまったのだから仕方あるまい。生きているとすれば、今年で三十六歳になるはずだ。

 髪を描きむしっていた手を放すと、窓辺に立ってカーテンを開けた。

 二〇一八年六月現在、地球に火星が接近してきているという。世間ではちょっとした話題になっているらしい。 

 おや……? 

 何気なく目を落とした窓の外。館の輪郭に沿って誰かが歩ている。

 あれに見えるのは、鈴木かず理。

 こんな時分に徘徊だろうか。年寄りのすることは良く解らない。

 やがて敷地と森の狭間まで来た彼女の姿は、夜闇に紛れて見えなくなった。あの辺りは俺が着陸した所だが。

 二十時五十五分だった。

 


 浴室に入った俺は、湯水を贅沢に使って身を清めた。

 共同のバスルームは各階にひとつずつ。利用時間が被らないように笠原氏が凡そ二十時、看田氏が二十一時、俺が二十二時。だいたいこんな具合にずらしている。

 青白い大理石のバスタブに身を沈めれば、乳白色の泡とセージの香りが俺を包んだ。体臭なのか体質なのか、たまに俺の身体からはカレー粉のようなスパイスの匂いがすることがある。伽俚など久しく食していないのに。クリーミーな泡風呂(バブルバス)に戯れながら、腕や脇の下に鼻を近づけて、くんくんしてみる。

 それにしても、癒治Dr.と石医氏に俺の性別を悟られていたとは。他の住人は気づいているだろうか。初対面の人間で俺が女だと見抜けたのは、あの日出逢ったお婆ちゃんだけだった。

 洗髪をドライヤーで乾かして櫛で鋤き、鏡を見れば、心なしか血色が良くなっていた。少なくとも牛肥村病院に監禁されていた頃よりは――。試験体にされて底知れぬ恐怖と闘っていた日々が、如何に生気を磨り減らしていたのか実感する。

 キナ臭いラプンツェル家に軟禁されている今のほうが、いくらかマシなのやもしれない。

 どちらも甲乙つけがたいくらい、危険な暮らしではあるが。俺の宿命は出生時からシフトされ、普通の人生を送ることが許されないよう仕組まれているのではなかろうか。


 浴室とトイレがセットになったユニットバスを出ると、覚束ない足取りで此方へ歩いてきた笠原氏とすれ違った。

 互いに挨拶も会釈もない。ぶっきらぼうな男である。ポーカーフェイスを気どれるのは看田氏の前でだけか。

 彼は不眠症だと聞かされた。睡眠導入剤を服用しているらしいことも、毎夜、決まった時間に就寝することも。薬が効いてきた頃、睡魔に襲われながら生理現象を催したのだとすれば、無愛想なのも無理はないが。


 半ばフラフラとよろめきながら沃頭へ入っていく彼を、俺は遠目に見てから自室に入った。

 ベッドに潜り込めば、ほどなくして隣室の扉が閉まる音がする。笠原氏が戻ってきたのだろう。丁度、例によって部屋の灯りが消えた時だ。時刻は二十三時である。




「ひゃあぁぁ……」

 耳をつんざくような悲鳴が木霊し、眠りについていた俺が目を覚ましたのは日付の変わった午前零時だった。


 ベッドから飛び起きてドアを開ければ、血相を変えた看田氏が廊下に出てきたところだった。手にはランタンを掲げている。

「娜々村さん!」

「今の悲鳴、階下から聞こえたが」

 ごくっと固唾を飲み込むと、俺たちは一階に急いだ。

 


 灯りが点っているのは一ヶ所だけ。一〇二号室のドアが開け放たれている。

 一〇一号室からは萩子が、恐る恐る姿を現した。

 件の部屋の入り口で立ち尽くしているのは石医氏。

 視線の先、もがくように仰臥した弓野直子が血塗れのベッドで倒れていた。

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