Ⅵ.看護助手は巨乳美女
トントン
ふいに扉がノックされ、俺と看田氏は静止した。
「どうぞ。開いてますよ」
看田氏が扉の外へ声をかける。
「娜々村惚稀さんでよろしいでしょうか」
ハキハキと張りのある声で入ってきたのは、これまた白衣の娘だった。
「石医先生に頼まれて、夕食をお持ちしました」
ウェイトレス宜しく、片手にトレーを抱えている。
「残り物で申し訳ないですが、此方に置かせていただきますね」
ナイトテーブルの上に運んでくれたのは、ラップのかかったミックスサンドだった。
「菊地文華と申します。娜々村さんのことは瘉治先生と石医先生からお伺いしています」
菊地と名乗った娘はハツラツとした態度で、初対面の挨拶も淀みない。
「ありがとうね、菊地さん」
看田氏が顔の前で手を合わせている。
看田氏の下で働いているということは、やはり彼女も。
「娜々村さん、菊地さんは看護助手をしてくださっています。優秀な御方ですよ」
菊池氏に軽く手のひらを添えて看田氏は言った。
「いえいえ、わたしはまだ下積み中で。皆様のように有資格者ではありませんから」
菊地氏はまっすぐな瞳を向けた。
謙遜だろうか。決して引け目を感じているふうでもなく、あるがままを認める姿に好感が持てた。
菊地文華は目鼻立ちのくっきりした美女であった。小柄で少々ぽっちゃり気味だが、そのぶん胸はかなりのボリューム。華奢で面長、切れ長の瞳を持つ看田氏が美人系なら、丸顔で円らな瞳の菊池氏は可愛い系だろう。歳の頃は三十路ということだが、前髪パッツンに切り揃えたオカッパヘアと童顔は、二十代に見られても不思議ではない。
看田氏の紹介によれば。菊池氏は人妻で、元は石医氏の秘書としてパート勤務だったのが、彼女に甚く気に入られて以降、離島に住み込みで働くようになったということだ。旦那と現在、どうなっているのかは解らない。
巨乳美女が辞したあと、看田氏は館内について簡単に説明してくれた。
「洋館は三階建てで、部屋の数は各階三つずつ。屋根裏部屋はございません。バスルームとトイレも各階に一つずつあるので、娜々村さんは二階のものを使っていただけます」
風呂場と沃頭は廊下の突き当たり、二〇三号室の隣にあるということだ。一階の風呂場も一〇三号室の隣にあったことを思い出す。シンプルに一階から三階まで同じ構造になっているらしい。
「但し、この館は自家発電で廻っているので夜の十一時を過ぎると自動で消灯します。十一時以降に館内を歩く時は、ランタンが必要になりますのでご注意ください」
省エネ対策だろうか。俺は頷いた。
「食べながら聞いてくださいね」と何度か薦められたが、看田氏の前で食事をすることは何となく憚られ、サンドイッチは手付かずのままにした。
「一〇一号室は萩子君、一〇二号室は弓野さんという患者さんの病室になっています。三階は、左から順に三〇三号室が先程の菊地さん、真ん中の部屋が在異ぴょ……生薬原さん、三〇一号室が鈴木さんという調理師の御方です」
この家には患者と医療スタッフ合わせて九人、俺を含めて十人の住人がいるということになる。
「わたしたちがこの島に住みはじめたのは、ほんの三年くらい前からだけど、鈴木さんはチーフ――癒治さんと遥か昔からの知り合いです。曾て一度だけ、チーフと一緒に病院の厨房で働いていたことがあるそうです」
「瘉治Dr.は医師だろう? 何故、厨房で」
俺の疑問に看田氏は苦笑して、宙に視線を投げた。
「瘉治さんは元々、美味しいものが大好きで本当は料理人として生きたかったそうよ。だけど親の後継ぎのため、泣く泣く諦めて医師になったの。それでも食いしん坊が高じて、医師として働く傍ら、とうとう調理師免許を取得してしまいました」
美女の話は童話の読み聞かせの如く滑らかで、俺は知らず知らずに引き込まれていく。
「チーフはいつも口癖のように言っていたわ〝儂は医師に向いていない。西洋医学は嫌いだ〟ってね。患者の身体を実験台にするのは人殺しと変わりない、美味しいものを食べてもらって、人を元気にしたい――その信念から鈴木さんたちコックを纏める総料理長になって、石医さんとも出会い、職場結婚したそうです」
冷酷非道な九許斐のバカ女に、爪の垢を煎じて飲ませてやりたくなる。
調理師と栄養士。必然的に相思相愛になったとしても不自然ではない。
同時に、瘉治Dr.が『チーフ』と呼ばれていることも合点がいく。曾て料理長だった名残というわけか。
ギィ
部屋の外でドアを開ける音がした。笠原氏が帰ってきたらしい。扉と扉の間は三メートルほど離れてはいるが、壁の防音効果はないのだろう、隣人の生活音は間々、聞こえるようだ。
それを合図にか、看田氏が腰をあげた。
「笠原さんが先に入浴するから、そのあとに入ってくださいね。明日の朝食は八時からです。一階に降りてきてくれたら、食堂にご案内します」
言い置いて去っていく看田好恵の、腰まで届いたロングヘアーが妙に黒光りして靡く。後に強烈なトラウマを残すことを、その時の俺はまだ知る由もなかった。