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届かない声 2

 オズワルドと結婚して半年ほど経った頃、アデーレの妊娠が判明した。


 結婚直後に父親から侯爵位を譲られていたオズワルドは、子どもができたと報告しても「そうか」と言うだけで、その瞳には感慨も何も浮かんでいなかった。


 だが侯爵家の使用人たちは優しい者が多くて、アデーレのことを気遣ってくれた。


「奥様、安静になさってくださいませ」

「元気なお子様をお生みになれるよう、我々が全力でお支えしますね」

「ええ……皆、ありがとう」


 侯爵とは対照的な使用人たちに微笑みかけ、アデーレはそっと自分の腹に手を当てた。


 まだちっとも膨らみがないが、ここに小さな命が宿っている。

 アデーレと、オズワルドの子が。


 もしこの子が茶色の髪に青の目を持つ男の子だったら、無事に成長したら、もう二度とオズワルドはアデーレと寝所を共にしないだろう。

 あの目がアデーレを映すことはなくなり――いつか、彼が本当に愛する人を連れてくるかもしれない。「おまえと離縁し、この女性と再婚する」と言って。


 もしそうなったとしても、アデーレに許される返事は「はい、旦那様」だけだ。

 もし捨てられたとしてもせめて、フィオレッラのいるエンフィールドには残らせてもらいたいが……そのようなことは約束されていないので、放っておかれても文句は言えない。


「……あなたが、私に似た女の子だったら」


 ぽつり、と呟いた直後、アデーレは己の発言の浅ましさに気付き、ギリッと歯を噛みしめた。


 もし、この子がオズワルドの希望に添う容姿を持つ男の子だったとしても。アデーレはその子の母なのだから、我が子を恨むようなことがあってはならない。

 アデーレとオズワルドが不仲だったとしても、それはこの子には関係ないことなのだから。


「……フィオレッラ様」


 柱に寄り掛かり、アデーレは呟いた。


 結婚直後はしばしば王城に行ってフィオレッラの話し相手になれたが、懐妊が分かってからは外に出させてもらえず、どうしてもフィオレッラに会いたいと訴えてもオズワルドは「外で事故に遭ったりすれば、俺の子を傷つけることになるだろう」と怖い顔で言うだけだった。


 それはともすれば我が子を慈しむ父親の愛情故なのかもしれないが……きっと、そうではない。

 愛してもいない女を何度も抱くのが嫌だから、この一度の妊娠で「役目」を終えてほしいから、そう言っているだけ。


 彼に、愛情を求めてはならないのだ。










 懐妊が判明して半年少し経った頃。

 アデーレは、元気な男の子を産んだ。


「奥様、まだお休みになっていてください!」

「……お願い……髪、髪の色だけでも……見させて……」


 乳母として雇った女性に叱られながらも、顔面蒼白のアデーレは訴えた。


 体中が痛いし、血を失ったのでふらふらする。

 だが、この目で確認しなければ。せめて、生まれた息子の髪がオズワルドと同じ茶色なのか、自分と同じ赤金色なのかだけでも。


 アデーレの必死の訴えを聞き、赤子の湯浴みを終えた侍女が渋々戻ってきた。

 乳母に背中を支えられ、おくるみを受け取ったアデーレは……まだ硬く目を瞑った我が子の頭部にうっすらと淡い色の髪が生えていることに気付き、細い息を吐き出した。


 男の子を、産んだ。

 しかしこの子は、オズワルドの望んだ子ではなかった。











 夜になり、オズワルドが帰宅した。

 出産後半日ほど死んだように眠ったアデーレは、夫が帰宅する頃にはかろうじて上体を起こせるようになっていた。


 息子の眠るベビーベッドの隣でぼんやりしていたアデーレは、寝室のドアが荒々しく開いたため、そちらを見た。


 騎士団服姿の夫がそこにおり、難しい顔で歩み寄ってきた。

 生まれたのが男児であることは、既に知らせているはずだ。案の定、彼はアデーレには目もくれずにつかつかとベビーベッドに向かい――ひとつ、ため息を吐き出した。


 失望された。

 オズワルドの希望する子を産めなかったから、落胆させてしまった。


「……旦那、様……」

「……今は休め」


 かすれ声を上げるアデーレを見もせず、オズワルドは背を向けた。


 ――行かないで。


「旦那様……お願いが、ございます」


 無視されても仕方がないと思いながらアデーレが言うと、オズワルドの動きが止まった。


 彼が、アデーレの声に反応してくれた。

 たったそれだけのことなのに、産後で疲労した体ではうまく感情を制御できなくて、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。


「私……すぐに、あなたに似た子を、産みます……ご命令に、従います。だから、どうか、この子のことを……見捨てないでください……」


 アデーレが言いたいのは、それだけだ。

 子の養育が乳母に一任されて、アデーレが乳をあげることができなくても、母親らしいことをさせてもらえなくても、構わない。


 だが、この子には何の罪もない。アデーレと同じ赤金色の髪を持って生まれたのも、この子が望んだことではない。


 だからどうか、アデーレのことは憎んでも、息子のことは愛してほしい。


 枕に涙を吸わせながら言い切ったアデーレは、しゃっくりを上げて毛布に顔を突っ込んだ。

 いつもならもっと気丈にいられるアデーレも、今は心も体も疲れていた。


 毛布にすっ込んで泣いていたアデーレは、てっきりオズワルドは自分に呆れ、部屋を出て行ってしまったと思っていた。

 だから思う存分泣いたのに……そっと、肩に大きな手が乗った。


「……勘違いを、するな」

「……旦那、さま……?」

「……どのような子だろうとおまえが産んだ以上、俺の子として――キャラハン侯爵家の子息として、育てる」


 は、と息を吐き、アデーレは顔を上げた。

 薄暗がりの中、オズワルドが自分を見下ろしていた。その青の目は冷たいし相変わらずの無表情だが――アデーレの肩を撫でる手は、とても優しい。


「……次の子も、急がなくていい。今はゆっくり養生し、自分をいたわれ。息子の世話なら、乳母たちに任せる」

「……」

「返事は」

「……はい、旦那様……嬉しいお言葉に、心より感謝いたします……」


 アデーレがそう言って弱々しく微笑むと、その拍子にころんと最後の涙の粒が、こぼれ落ちていった。

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