届かない声 1
!Attention!
「届かない声」は、本編より20年以上前が舞台となっています。
主人公は「廃品王子の婿入り事情」に登場したジャレッドの母親です。
ある意味バッドエンド・悲恋確定です。全体的に気持ちのいい話ではありません。
全5話ですが、せめてノーマルエンドにしたいという方は4話で終わらせた方がよいかもしれません。
アデーレは、ベルニ王国の公爵家に仕える侍女である。
ベルニは小さな国で、東に広がる強大なエンフィールド王国とは同盟関係にある。
そんなベルニ王国のとある公爵家には、美しい令嬢がいた。
公爵令嬢・フィオレッラ……それが、アデーレが真心を込めてお仕えする主君であった。
侍女はメイドと違い、掃除をしたり洗濯をしたり調理をしたりはしない。
国内の大商家出身のアデーレはフィオレッラのためだけに動く侍女として採用され、儚い美しさを持つ彼女を支えることを生き甲斐にしていた。
公爵も、可憐で心優しい娘のことを大切にしていたし、アデーレのことも高く評価して家族のように接してくれた。
だが――そんなフィオレッラに、国王から命令が下った。
――東の大国・エンフィールドの若き国王・ハロルドのもとへ、フィオレッラを王妃として嫁がせよ。
ハロルド王は半年前に即位したばかりの王なのだが、彼についてはかなり厄介な噂がある。
彼には三つ年上の姉王女がいたが、とても優秀だったので弟に恨まれ、彼がありもしない噂をでっち上げたために父である先代国王の怒りを買い、公爵家に降嫁させられたとか。
また、非常に冷酷で臣下に対しても厳しいため、彼が即位してかなりの者が追放され、国王に近しい者が多く採用されたとか。
そんな国王のもとに娘を嫁がせるとなり、公爵はかなり抵抗したという。だがこれはエンフィールド側からの申し出であり、ベルニが大国の国王の命令を断ることはできなかった。
残酷な王のもとへ嫁ぐことになり、彼女は泣き崩れた。
フィオレッラは繊細で病気がちで、アデーレが心配になるほどか弱かった。
「アデーレ……わたくし、本当にやっていけるのかしら……エンフィールドの王妃なんて、わたくしでは務まらないに決まっているわ……!」
自室でしくしくと泣くフィオレッラを、アデーレは心から慰めた。
フィオレッラに婚約者はいないが、密かに思っている男性はいた。近衛騎士である彼もフィオレッラを気に懸けていたようで、公爵はこのまま何事も起こらなければ、二人の婚約の話を進めるつもりだったのだ。
愛している人とは引き離され、冷徹な隣国の王の妃になる。
フィオレッラは、そんな境遇に耐えられる女性ではなかった。
「おいたわしいことです……しかしこのアデーレが、いつまでもお嬢様と共にあります」
「アデーレ……嬉しいけれど、本当にいいの? きっとあなたは二度と、ベルニの土を踏めないわよ……? それに、あなたも望まない結婚を強いられるかもしれないわ」
涙を流してもなお美しい主君に気遣われ、アデーレは気丈に微笑んだ。
フィオレッラが嫁ぐ際、アデーレは彼女のお付きとして名乗りを上げた。
異国の地へ行くフィオレッラが少しでも気を楽にできるのならば、アデーレとしては十分だ。
フィオレッラの言うとおり、独身女性が王女のお付きとして行けば――貴族と結婚させられるかもしれない。エンフィールド王としても手駒は一つでも欲しいだろうから、ベルニ出身の女性を貴族の夫人にすることで、将来の布石にするのだ。
だが、アデーレはそれほど気にしていない。自分はもうすぐ二十三歳になろうとしている。
恋愛に憧れる若い娘ではあるまいし、もし相手が醜く太った中年男でも、成り上がり貴族の後妻になるとしても、覚悟はできている。
ただ、フィオレッラと同じ国にいられたら。
故郷を懐かしむ彼女にベルニの童謡を歌ってあげられるのなら。
それで、十分だ。
「私は大丈夫です。お嬢様こそお辛いでしょうが、お心を強く保ってください。このアデーレはいつまでも、お嬢様の味方ですからね」
「う、うう……アデーレ……ごめんなさい……!」
抱きついてくるフィオレッラを優しく抱き留め、アデーレはそっとその赤金色の髪を撫でた。
数ヶ月後には準備が整い、フィオレッラはエンフィールド王国の王妃となるべく国境を越えた。
知らない国、知らない場所、知らない人にまみれた、エンフィールド王国。
自分の夫となる国王・ハロルドと面会したときのフィオレッラは顔面蒼白で、アデーレが肩を支えていなければ卒倒してしまいそうだった。
二十歳のハロルドはフィオレッラをつまらなさそうに見て、「おまえの役目は、魔力の強い王子を産むことだけだ」と冷たく命じた。
そして彼はフィオレッラに寄り添うアデーレを見――ふん、と鼻を鳴らした。
「おまえが、フィオレッラの侍女か」
「はい。アデーレと申します」
「おまえの嫁ぎ先は、もう決まっている。……私たちの結婚に先立ち、キャラハン侯爵家の嫡子と結婚しろ」
「……えっ?」
まさか、とアデーレは息を呑んだ。
エンフィールドの貴族と結婚させられることは、覚悟していた。
だが、まさかこんなに早く――国に到着するなり、命じられるなんて。
国王は、動揺を見せたアデーレに冷たい視線をやった。
「……おまえはキャラハン侯爵夫人として、王妃を支えろ。侯爵家の者には、逆らうな。従順な妻でいろ」
「……は、い」
逆らうことは、許されない。
こうしてアデーレはエンフィールドに到着したその日に、顔も見たことのないキャラハン侯爵子息であるオズワルド・ニコラス・キャラハンの婚約者になったのだった。
王族の結婚は準備で時間が必要だが、貴族はそうでもない。
あれよあれよという間にアデーレはフィオレッラから引き離され、キャラハン侯爵家の嫡男であるオズワルドとの結婚の準備が進められる。
オズワルドはアデーレより二つ年上の二十五歳で、少し癖のある茶色の髪と青の目を持つ、騎士団にも所属する精悍な青年だった。
だが彼が花嫁を見る目は非常に冷たかった。
結婚前の茶の席でアデーレが何を言っても「ああ」「そうだな」程度の相槌しか打たず、時間が来たらさっさと帰ってしまう。
そんなオズワルドは結婚式の間も終始不機嫌そうな顔で、誓いのキスでもアデーレの被るベールを雑に掻き上げて、唇を押しつけるだけのキスしかしてくれなかった。
愛されないのは、分かっている。
嫌われるのも、覚悟している。
フィオレッラの側にいられるのなら。
アデーレは、それだけでよかった。
結婚式でもずっと不機嫌そうだったので、彼は初夜でも一緒に寝たがらないだろう、と思っていた。
だが侍女によって愛らしい寝間着姿になっていたアデーレのもとに、オズワルドはやって来た。
侍女たちを追い払うと灯りを消し、びくびくしていたアデーレをベッドに放り投げる。
「……侯爵夫人としてのおまえの役目は、ひとつだけだ」
呆然とするアデーレを組み敷き、オズワルドは無表情に言い放った。
「子を産め。俺とよく似た男児を、キャラハン侯爵家の跡取りとなる者を、産め」
「オズワルド、様……」
「黙れ」
冷徹な青の目で睨まれ、ああ、とアデーレは一筋だけ涙を流す。
自分は決して、愛されない。
彼がアデーレに求めているのは、キャラハン家の容姿を濃く受け継ぐ男児を産むことだけ。
夫の手が寝間着に掛かり、繊細な布地が引き裂かれても、アデーレは抵抗しなかった。
そうして夫の背中越しに見える窓の方を見ながら――慕わしい主君フィオレッラのことだけを、思っていた。