愛情の証をあなたに 2
風呂に入った後、シェリルは主寝室に向かった。
結婚当初はエグバート専用だったこの部屋のベッドも、いまではすっかりシェリルの寝場所になっていた。
ベッドはとても大きいので、シェリル一人で寝転がるとスペースが余りすぎて、なんだか心細い気持ちになってしまう。隣に大柄なエグバートがいてくれるから、シェリルはこの部屋で心地よく眠れるのだ。
シェリルが寝室に入ったとき、エグバートは何か本を読んでいるようだった。だがシェリルに気づくとさっと栞を挟んで立ち上がった。
「すみません、エグバート。読書中でしたか?」
「いや、気にしなくていいよ」
エグバートは微笑むと本を片付け、大股でシェリルのもとまで歩み寄ると腕の中に包み込み、つむじにちゅっとキスを落とした。
「シェリル……すごくいい匂いがする」
「あ、分かりましたか? 実は今日、リンジーが洗髪剤を新しくしてくれたんです。甘くておいしそうな匂いでしょう?」
「……ああ。甘くて……食べたくなってくる匂いだ……」
エグバートはぼそっと呟いた後、誰もが見惚れるような優しい笑みを浮かべてシェリルの手を取った。
「さあ、ベッドに行こう。今日はたくさん、あなたを可愛がらせてくれ」
「……は、はい」
茶を飲んでいる最中に相談されたときは、色々衝撃的すぎたので逆に冷静でいられたが、今になって気恥ずかしくなってきた。
エグバートは――やり方を知っているのかどうかは別として、シェリルの全身にキスマークを刻む気満々みたいだし、こうなったら明日の朝は立てなくなるかもしれない。
(どきどきする……けど、嬉しい……)
優しい手つきでベッドに誘われ、シェリルのルームシューズは床に跪いたエグバートが丁寧に脱がしてくれる。まるで、お城のお姫様にでもなったかのような気分である。
シェリルを寝かせ、顔の両脇に両手を突いたエグバートがぎしりとベッドを軋ませ、シェリルに覆い被さってきた。
どき、どき、と心臓が緊張と期待で高鳴る。
端整な顔が近づいてきて、まずは両頬に軽くキス。すぐにそれは唇へ移り、呼吸すら奪い取るような深いキスを贈られる。
最初の頃はどちらも不慣れで、歯がぶつかったり呼吸が苦しくなったりしたものだ。その時のことを思い出してついシェリルがくすっと笑うと、「こら」と優しく叱られた。
エグバートの手がシェリルの寝間着に伸び、そっと襟元を広げられた。シェリルの目線の先で、エグバートの喉の出っ張りがごくっと動く。
そして彼は身を屈め、シェリルの首筋に顔を埋めた。
唇が柔肌に触れ、シェリルが甘い声を上げると――
「……」
「……」
「……おかしい。痕が付かない」
顔を上げたエグバートが、少し焦ったように言った。
彼は眉根を寄せ、シェリルの首筋を指先で擦り、もう一度キスをした。そして顔を上げると不思議そうに首を捻る。
シェリルは幼なじみのアリソンなどから、恋愛のアレコレを教わっていたので、痕の付け方も――実践したことはないが、知識としては知っている。
だから、エグバートがキスをして少し肌を吸うだけだったので、これでは痕は付かないだろうな……と予想はしていた。
(……やっぱり、ご存知じゃなかったみたい)
「……あの」
「ま、待ってくれ! 確か、こう、口づけをして肌を吸うことで痕が付くはずなのだが……」
「理屈としては合っていますよ。もっと強く吸わないとだめみたいです」
シェリルが教えると、俯いて唸っていたエグバートははっと顔を上げた。
「……シェリルは、知っているのか?」
「ええ、まあ……アリソンとかとそういう話をするので」
「そ、そうか、アリソン殿ならよかった。……いや、よくない」
エグバートは大きなため息を吐くと、「すまない」と項垂れた。
「あなたにたくさんの愛情の証を贈りたかったのに、なんという間抜けなざまだ……」
「いえ、大丈夫ですよ。私だって、耳年増なだけですし……ほら! 何事も挑戦、練習が大切でしょう!?」
上半身を起こし、シェリルはエグバートの拳を両手で包んで励ました。
エグバートは真面目なので、苦手なことにもコツコツ取り組むことができる。
現に彼は幼少期から押し殺していた魔道士としての才能を開花させ、今ではさまざまな魔法を放てるようになっているではないか。
「何事も、一発でできるのが全てじゃありません。私、エグバートにしてもらえるのなら、とっても嬉しいです。できるまで待ちますし、もしうまくいかなくても、気にしませんよ」
「シェリル……」
「ですから……してください」
そう言ってシェリルが背伸びをし、ちょんっとエグバートの頬にキスをすると、彼の瞳に生気が戻ってきた。
彼は唾を呑むと頷き、そっとシェリルを寝かせた。
「分かった……頑張る」
「ええ。……首だと少しやりにくいかもしれないので、二の腕の内側とかはどうですか?」
「それもそうだな。では、手を」
恭しい動作でエグバートはシェリルの腕を取ると、薄い寝間着の裾を捲った。そして日に焼けないために青白いシェリルの二の腕に唇を寄せ、少し吸い付く。
「……ん? この痣のようなものでいいのだろうか?」
「あっ、きっとそうです! ……あ、もう消えちゃいましたね」
「では、もう少し強く、長く吸うのか……シェリル、付き合ってくれるか?」
「もちろん、どこまでもお付き合いしますよ」
「ありがとう。……では」
エグバートは先ほどより少し大きく口を開いてシェリルの二の腕に唇を当て、ちゅうっと音を立てて吸い上げた。
ほんの少しだけぴりっとした痛みが走り、シェリルが「んっ」と声を上げると、彼は顔を上げた。
そして――
「お、おお! 付いている!」
「本当ですね。……私も実物は、初めて見ました」
歓声を上げるエグバートが、達成感に溢れた顔でシェリルの腕を見つめている。
そこには、小さな虫さされ痕のような鬱血痕ができている。これがアリソンの言っていたキスマーク、で間違いないだろう。
腕を持ち上げたシェリルがしげしげと痕を見ていると、エグバートがそわそわし始めた。
「……だが、まだ小さいな。その、シェリル。他の場所にも試してもいいか?」
「ええ、もちろんですよ。……たくさん、付けてくださいね?」
「シェリル!」
許可をもらったエグバートは、飼い主から「よし」の指示をもらった忠犬のように目を輝かせると、シェリルに覆い被さってきた。
そんなエグバートが可愛らしく、愛おしくて……シェリルはくすっと笑って、自分の首筋にキスをするエグバートの髪を優しく撫でた。
シェリルは、忘れていた。
エグバートは真面目な生徒なので、授業の後にもしっかり復習をする。反復練習だって、欠かさない。
そしてシェリルは先ほど、「どこまでも付き合う」と宣言した。
結果として、最初はエグバートの愛情表現を微笑ましく思っていたシェリルも次第に「あれ?」と思うようになり、しかしそこまでになるともうエグバートを止めることができなくなっていた。
そして翌朝。
シェリルは着替えを手伝ってくれたリンジーに、「時には『待て』も必要ですよ」と苦笑されることになってしまったのだった。
愛情の証をあなたに
おしまい。
番外編も、次の登場人物紹介で終わりとします。




