愛情の証をあなたに 1
リクエストより、「廃品王子の婿入り事情」61話から62話の間の話。
かなり甘め仕立てです(当社比)。
ある日の、ウォルフェンデン男爵邸にて。
「……」
「……」
テーブルを挟んで難しい顔をしているのは、男爵令嬢の婿と、令嬢付きメイド。
メイドは顔を上げると、傍らに置いていた鞄に手を差し込み、そこから紙包みを取り出した。
それをすっとテーブルの上で滑らせ、「ご査収ください」と言う。
令嬢の夫は頷くと、紙包みを大きな手で持ち上げた。鍛えられた筋肉の鎧を纏う見た目のわりに丁寧に包装紙を剥がした彼の青の目が、「そこ」に記されていた文字に釘付けになる。
『愛しい妻と円満な関係を築くための、三十の方法』
「……若旦那様がお求めになった品は、こちらでよろしいですね?」
メイドに聞かれ、男はごくっと喉を鳴らして頷いた。
これは、以前彼が信頼できる部下より贈られた『可愛い恋人を口説くための、三十の方法』の続編――もとい上級編である。
恋人期間を終え、晴れて夫婦となった者たちが幸福な結婚生活を歩めるように指南する書籍。丁寧な解説と美麗なイラストで彩られたこれは、今の彼が必要としている資料であった。
「ああ、助かった。しっかり読ませてもらおう。それと、この件はシェリルには――」
「もちろん、内密にいたします」
「ああ、ありがとう」
男は頷くと、メイドが買ってきてくれた書籍をそっと懐に入れて、立ち上がった。
今日はせっかくの休日なので、これを隅から隅まで読み込むつもりだ。
シェリルがエグバートと結婚して、しばらく経った。
季節は夏真っ盛りで、長時間屋外に出ていると日光で肌が焼けてしまう。
幸い、エンフィールドの夏はからっとしているので汗でベタベタになることは少ないが、照りつける日光はかなりのものだし、それが白い建物の壁に反射したりすると眩しくて目を開けていられなくなる。
エグバートとの仲は至って良好で、シェリルはベタベタに甘やかされていた。
あまりにも甘やかされたらすっかりエグバートに依存してダメ人間になってしまいそうなのだが、以前それをエグバートに言うと「ダメ人間になってもシェリルは可愛いから、問題ない」とよく分からない返答をされたので、抗議するのは諦め、自衛に徹することにした。
「……シェリル、頼みたいことがある。聞いてくれるか?」
「はい、何でしょうか?」
夕食後の茶の席で改まった様子の夫に切り出され、シェリルは聞き返した。
彼は至極真面目な様子なので一見するととんでもない深刻な話をされるのかと思うが、そういうわけではない。彼はいつでも真面目なので、話を聞いてみないと深刻かそうでないかの違いが分からないのだ。
エグバートは「感謝する」と礼を言った後、給仕をしてくれていたリンジーに部屋を出るよう頼んだ。
そしてリビングに二人きりになると一つ咳払いをし、「シェリル」と重々しい口調で名を呼んだ。
「今夜寝る前に、あなたの全身にキスをしたい」
「……」
「してもいいだろうか?」
何をおっしゃっているのですか、と突っ込まなかった自分は偉いと、シェリルは思った。
シェリルは、思案するために数秒黙った。エグバートはその沈黙をどう思っているのか、ごくっと唾を呑んで深呼吸しながら待っている。
「エグバート」
「ああ」
「念のため聞きますが、全身、ということは全身なのですよね?」
「ああ、全身くまなく、だ」
今この場にリンジーが残っていれば、「真面目な顔をして何を言っているんですか」と突っ込んだかもしれない。
「あなたへ捧げる愛情をどのように表現すればいいのか、ずっと悩んでいた。その解決策の一つ、というわけではないが、シェリルのきれいな肌を手で、唇で、存分に愛でたいのだ」
「……」
「……その、あなたが嫌なら、やめる。今後絶対にこのようなことは口にしないと聖女神に誓おう」
「これくらいのことをいちいち女神様に報告しないでください……」
間違いなく、聖女神も困惑するだろう。
とはいえ。
(さては、貴族の方から何か情報を仕入れてこられたかな……)
旧王国軍関係者が追い出されてから、エグバートは積極的に社交界にも顔を出すようにしているようだった。彼は男爵令嬢の婿なので厳密に言うと貴族ですらなくなったのだが、それでも顔見知りなどに声を掛け、一緒に食事をしたりしているそうだ。
これまでにもちょくちょく、彼は突拍子もないことを提案してきていた。
どれも、生真面目な彼が自力で思いつくようなネタではないので、誰かを恋愛の師として話を聞いているのだろうと思っていたが……今回は、こう来たようだ。
彼は元来生真面目な勉強家で、少々頭が固いところもあるがそこがまた魅力だと思っている。
……だが、真面目人間にスパイスを加えると、時々とんでもない化学変化を起こすのだとシェリルは知った。
エグバートは、シェリルとのふれあいを楽しんでくれている。
手を握り、抱きしめ、キスをする。そういった日々のふれあいを積み重ねて、二人は夫婦としての仲を深め合っている最中だ。
(全身にキス……な、なんだかすごいことになりそう)
彼がどこまでの知識を得ているのか分からないので、念のために確認をする。
「エグバート、全身にキスというのは、唇で触れるだけのものなのですか?」
「いや、痕を付ける」
非常に男らしく、どきっぱりと断言された。
なるほどそういうことか、と納得したシェリルは、頷いた。
「……分かりました。明日は休みですし……キス、してください」
「ああ、ありがとう! 今の私は間違いなく、エンフィールド中で一番幸せな男だ!」
「大げさです……」
シェリルは苦笑するがエグバートは本当に嬉しいようで、わざわざテーブルを回ってシェリルを抱きしめ、顔中にキスしてきた。
エグバートからの愛情を受けながらふと、シェリルは疑問に思った。
(……エグバートって、「痕」の付け方、知っているのかな?)




