刹那の邂逅
リクエストより、「首刎ね騎士の求婚理由」より一年ほど前の、ミハイルと謎の剣士の話。
リュドミラ王国の夏は、短い。
この国の植生は他国とは異なり、夏になったからといって草木が青々と生い茂ることはほとんどない。生えるのは主にコケやシダなどの植物で、それもあっという間に枯れ、冬を迎えると大地は雪に覆われることになる。
そんな短い夏に行軍するリュドミラ軍の足取りは、軽やかだ。
彼らは山岳地帯の民であり、足場の悪い中での戦闘や長時間の山登りなども得意だ。だがやはり、過ごしやすく動きやすい夏は騎士にとってもありがたい時期である。
……それは、リュドミラの平穏を脅かそうとする者たちにとっても、条件は同じだった。
「まったく、エーリャには困ったものだな」
針葉樹林で野営地を作っている最中、そう言うのはこの隊の頭であるカヴェーリン公・ボリス。
現国王の甥である彼は勇敢な騎士で、厳密に言うと王族ではないものの多くの国民からの支持を集めている。
ミハイルは、そんなボリスを敬愛する騎士の一人だった。
主君の隣に控えていたミハイルは振り返り、簡易椅子に座る主君を目を細めて見つめた。
「……エレオノーラ様は、ボリス様のことをとても心配なさっていましたね」
「ああ。……私は大丈夫だと言っているのに、夏こそ危険が多いと真っ青になって言っていて……」
「今回の遠征も無事に終わりそうですし、早く帰還して元気なお顔を見せて差し上げてください」
「もちろんだ」
ボリスはそう言って笑うと、大きな手でミハイルの背中をポンポンと叩いた。
ボリスはミハイルが一生かけてお仕えすると決めた主だが、戦友であり、兄弟のような間柄でもある。自分の愛称である「ミーシェニカ」を呼ぶ者は、今ではボリスしかいない。
戦場では雄々しく戦うが同時に冷静な眼差しも持っている、リュドミラ随一の騎士。それでいて朗らかで心優しく、冗談を言って部下たちを笑わせることもある。
またたった一人の妹であるエレオノーラには弱く、遠征のたびに妹の悲しそうな顔を見る羽目になるので、うんうん唸って屋敷から離れがたくなる主君を引きずって馬に乗らせるのは、ミハイルの仕事になっていた。
今もボリスは、目の前で薪を持ったまま転けてしまった新人騎士を見るとすかさず立ち上がり、手を貸してやっていた。
本来なら、王族の血を引く彼がすることではない。
だが……こういうことを自然にし、皆に慕われるボリスだからこそ、ずっとずっと仕えていたいと思っていた。
遠征の目的は、近頃国境付近に現れた旧エンフィールド王国軍残党の状況把握と始末だった。
二年前にエンフィールド王国の前国王が死に、新たな女王が即位した。
女王により旧王国軍は王都から追い払われていたが去年、ある事件をきっかけに軍の中心人物たちがことごとく捕らえられ、残党は散り散りになりながら他国へ逃げるようになっていた。
リュドミラを始めとした諸国の王たちは女王マリーアンナとの協議の末、国内まで侵入した残党は各国の騎士団や自警団で討伐し、エンフィールドに報告することにした。
エンフィールドが蒔いた種、と言えばそれまでなのだが、他国に騎士団を派遣するのは手間が掛かるし、各国の地形に慣れた者が処理をする方が適任であるためだ。
ボリス麾下の騎士の中でも切り込み隊長として期待されているミハイルは既に、美しき祖国の地を踏み荒らし、民たちからわずかな食料などを奪おうとする輩を何人も屠ってきた。
連中は、リュドミラの地形に慣れていないし、冬の寒さにも弱い。だが暖かくなった春から夏にかけてちょこまか動き始めたので、討伐していたのだ。
今回も、たくさんのよい報告を手に帰還できそうだ。
ボリスの命令で駐屯地近辺の見回りをしながら地理の調査をしていたミハイルは、こっそりと笑みをこぼす。ミハイルは金や勲章より、ボリスのために手柄を立てられたという成果がほしいのだ。
ミハイルは獣道を歩きながら、木々に括り付けられている色付きの石を確認する。
冬になって雪が積もっても大体の道の場所が分かるように、高い場所に目印の石を付けている。夏のうちにこれらの位置を確認し、破損や欠落があれば見習騎士たちに取り付けさせる必要があった。
この辺りの道は、問題ないようだ。
そう思って地図を鞄に入れたミハイルは――動きを止め、耳をそばだてた。
人の、気配。
山道を歩き慣れていないこの足取りは――敵だ。
素早く剣を抜き、針葉樹の陰に隠れた。呼吸を浅くして、相手の動きと人数を読む。
動きは――俊敏ではない。慣れない山道で、かなり疲弊している。
人数は、すぐ近くに四人と――少し離れたところに、もう一人……?
がさり、と近くで大きな音がした。
「……このあたりに、リュドミラ騎士団が?」
「ああ。……連中は、厄介だ。騎士団の手の届かない村でも襲って食料を――」
ミハイルは木の陰から相手の姿を確認し、彼らが旧王国軍の残党であると把握する。会話内容からして、祖国の安寧を脅かそうとする者で間違いないだろう。
ひとつ、ふたつ、呼吸をするとミハイルは飛び出し、容赦なく剣を振るった。
赤い血が夏の山道に降り注ぎ、絶叫が空を震わせる。
まずは、一人。
「なっ……!」
「リュドミラの騎士か!」
残りの三人の姿も、素早く確認する。
土の塊がボコボコと飛び出ているような足場は、平地であるエンフィールドで暮らしていた者にとっては、足枷にしかならない。
生まれ育った国の自然を味方に、ミハイルの剣は二人目、三人目を次々に捉え、血の軌跡をまき散らしながら地に伏せさせた。
「くっ……!」
四人目は敗北の色を悟ったのか、逃げの姿勢を取った。
逃がすか――と踏み込んだミハイルだが、四人目の左手が怪しい動きをしていることに気付き、はっと動きを止める。
あれは……おそらく、魔法の構えだ。
ミハイルは魔法の適性はもちろん、魔法への抵抗力がほとんどない。この至近距離で魔法を撃たれたらまずいし、もし火炎魔法などであればこの森が炎に包まれてしまう。
ミハイルが動きを止めたからか、敵はこちらを向いてにやりと笑った。
そして見せつけるように手の中に光を溢れさせ――
「うっ……ぐ、あ、ぁ……?」
いきなり樹林から飛び出した影が放った一閃が背中を切り捨て、魔法を放つ間もなく敵はどっと前のめりに倒れた。
魔法から間合いを取ろうと後退していたミハイルは、自分より少し高い位置に立つ相手を、惚けたように見る。
血の滴る剣を手にしているのは、まだ若そうな男。頭にスカーフのようなものをグルグル巻き付けており、その布の端が顔の横に垂れていた。
逆光のせいで髪や目の色ははっきりしないが、ミハイルよりもいくつか年上くらいだろう。
纏っているのはぼろぼろの革鎧で、籠手や脛当てにいくつもの傷が付いている。
彼から放たれるのは歴戦の強者の気配で――これまでいくつもの戦場を駆け抜けてきたミハイルの背中をも、ぞくっと粟立たせた。
男は剣を振るって血を払うと、地面に転がる四人の息がないのを確かめ、ミハイルを見てきた。
「……リュドミラの騎士だよな」
唇から放たれたのは、思ったよりも明るい感じの声で――そのわずかな発音の癖から、彼もまたエンフィールドの人間であることが分かった。
だが、今はもう屍になったこの四人とは、違う。
「……ああ、誰か知らないが、助かった。感謝する」
「気にすんな。お互い様だ。あんたの剣戟も、なかなかのものだった。……エンフィールドの人間は、案外魔道士が多い。気を付けなよ」
男はミハイルの感謝の言葉をさらっと流すと剣を収め、背を向けた。
もう行ってしまうのだろうか。
「……おい。世話になったのだから、軽く礼くらいする。おまえ……旅人か何かだろう? 軍の者に事情を説明し、飯くらいなら分けるが」
「どうも。だが、お気遣い無用だ」
男はひらっと手を振った後、自分の背後を肩越しに親指で示した。
「そっち、あんたの仲間がいるんだろう? 俺のことはいいから早く帰って、こいつらの報告とあんたの無事を知らせてやりなよ」
「……分かった。だが、ひとつだけ、聞かせてくれ。……おまえがこいつを倒したのは……なぜなんだ? 一応、おまえの同郷人だろう?」
ミハイルの問いかけに、男は動きを止めた。
「……。……ま、いろいろあるな」
答えてもらえないと思っていたら、男はこちらに背を向けたまま言った。
「ひとつは、こいつらに個人的に恨みがあるから。もうひとつは……あんたを見殺しにするわけにはいかないと思ったから」
「……俺を?」
「そ。……あんた、似てる気がしたんだよ。だから、放っておけなくて」
「……誰にだ?」
「さあな」
男は軽い口調で言うと、歩きだした。
ミハイルは彼を止めず、その後ろ姿が木々の合間に消えていくのをただ、見守っていた。
男は、振り返った。
今、彼は山裾の道を歩いているので、ここからは山道を行軍するリュドミラ軍の様子が遠目に見えた。
あの隊列のどこかに、先ほど助けた若い騎士がいるのだろう。
「……あんたは、俺みたいになるなよ」
男は呟くと頭を掻き、大きく伸びをした。
リュドミラの夏の日差しを浴びたその目は、美しく澄んだ青色をしていた。
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