光をこの手に
本編よりも十年ほど前の、ジャレッドの話。
物心付いた頃から抱いていた、夢があった。
自分には母がいなくて、父と兄二人は自分のことを無視してきた。
話しかけても相手にされず、どうしても振り向いてほしくて袖を引っ張ったりしたら、「触るな!」と怒鳴り、叩かれた。
どうして、どうして、自分だけ。
兄二人はあんなに愛されているのに、どうして自分だけ、こんな思いをしなければならないのか。
家族は冷たかったけれど、屋敷の使用人たちは優しかった。
特に、生前の母に仕えていたという侍女はこっそり自分を匿い、甘いものをくれたりした。
そして母の話をしてくれて、「ぼっちゃまは、お母様に祝福されて生まれたのですよ」と教えてくれた。
亡き母は、自分が生まれたことを祝福してくれた。
だが元気だった母は、第三子である自分を生んで間もなく、命を散らしてしまった。
父は、政略結婚で結ばれた母のことを誰よりも愛していた。
兄二人も、優しい母親のことが大好きだった。
だから、父や兄たちは自分が憎いのだ。
せめて、自分が女の子だったら。
せめて、少しでも母に似た容姿を持っていれば。
こうは、ならなかったかもしれないのに。
それでも彼の胸には、一条の光があった。
それは、侍女が教えてくれた、「エグバート様」のこと。
母は隣国出身で、王妃の従者として共に国を渡り、父と結婚させられたという。
王妃には、エグバートという王子がいる。赤金髪に青の目の、見目麗しい少年だそうだ。
だが彼は幼少期の魔力診断により、王族としてはあって当然の魔力をほとんど持たない可能性が高いと診断された。
魔力がないのは、自分も同じだ。だがたかが侯爵家の三男と王子とでは、「魔力なし」の持つ意味が全く異なる。
母である王妃を亡くし、苦境に立たされる孤独の王子。
自分と同じ国の血を継ぐ、見たこともない少年はいつしか、密かな憧れになっていた。
大きくなったらこんな家をさっさと出て、騎士になる。
そうして――エグバート王子に仕えるのだ。
ジャレッド・エマニュエル・キャラハンは十二歳で家を出て、見習騎士になった。
騎士団養成機関である寄宿舎学校に入ることについて、父親は何も言わなかった。むしろ、さっさと出て行ってくれてよかったとおもっているのか、「二度と帰ってくるな」とさえ言ってきた。
物心付いて何年も同じような扱いをされてきているので、十二歳といえどジャレッドは達観していた。
父にも兄たちにも、期待しない。
王妃を見捨ててエグバートを無視する国王にも、忠誠を誓う気はない。
自分が会いたいのは、エグバート王子だけだ。
だが……ふと、思った。
エグバートのことは「不良品王子」などという失礼な二つ名で聞くことがあるが、果たして彼はどのような少年なのだろうか。
年はジャレッドより一つ上なので、十三歳。彼も去年、逃げるように寄宿舎学校入りしたとのことだから、先輩として勉強しているはず。
……楽天的でなんとかなるさ精神のジャレッドも、さすがに不安になってきた。
もし、エグバートが冷酷な人間だったら――心の支えを失ったジャレッドは、ついに生きる意味を失うかもしれない。
侍女は昔、「エグバート王子殿下は心優しく、真面目なお方です」と言っていたが、今も同じとは限らないのではないか。
ジャレッドは寄宿舎学校に入学し、狭い自室に荷物を運び込んだ。
……そうしていると。
「……失礼する! 今回、キャラハン侯爵家のご子息が入学したと聞いたのだが――!」
廊下の方から馬鹿でかい少年の声が聞こえ、ジャレッドは眉根を寄せた。
廊下で、誰かが受け答えをしてジャレッドの部屋の位置を教えたようだ。
やがて大きな足音が近づいてきて――作業中のため開け放ったままだったドアの前に、大柄な少年が立った。
癖のある赤金色の髪に、青の目。
身長が高く、まだ少年期だろうになかなかいい体格をしている。
――その姿を見た途端、ジャレッドの体が歓喜に震えた。
この人は。
質素な制服を着てもなお、生まれ持った気品を失わない、この方は。
「キャラハン侯爵家の息子は……俺です。ジャレッド・エマニュエル・キャラハンです」
ジャレッドが緊張でかすれる声で名乗ると、赤金髪の少年は「おお!」と大声を上げて満面の笑みになった。
「君がジャレッドだね! 乳母から話は聞いていたよ! 私はエグバート・ブレンドン・ストックデイル。私のことは……分かるかな?」
彼は遠慮がちに言うが、この寄宿舎学校にいる者で彼の名を聞いて「分かりません」と言う馬鹿はいないだろう。
彼が、エグバート王子。
ジャレッドの心を照らしてくれた、希望の光。
ジャレッドは持っていた木箱を下ろし、緊張で手を震わせながらお辞儀をした。
「……お、お初にお目に掛かります。俺は、アデーレ・キャラハンの息子です……」
「ああ、聞いているよ! 君のご母堂は私の母の侍女で、ずっと親しくしていたそうだな。キャラハン侯爵家に私と同じ年頃の三男がいると聞いて……ずっと会いたいと思っていたのだ」
「……俺と」
ジャレッドの声が、震える。
会いたいと、思ってくれていた。
こんな自分でも、エグバートは会いたがってくれていた。
不遇な立場なのに。
王子でありながら魔力を持たず、妾妃・マーガレットや第一王子・ウォーレスからいびられ、国王からも放置されているというのに。
ジャレッドは、その場に膝を突いた。
何かを考えての行動ではない。エグバートを前にして、自然と体がそうしたのだ。
「……エグバート殿下。俺も……ずっと、あなたに会いたかったです」
「そうか、それは嬉しいな! ……よかったらこれから、仲よくしてくれないか? まあ、私は少々厄介な立場で、友になっても君にとってあまり利益はないだろうが……」
「何をおっしゃいますか。……どうか俺を、あなたを守る盾にしてください」
ジャレッドはそう言い、深く頭を垂れた。
エグバートは照れたように「盾だなんて、恐れ多いな!」と言っているが――とんでもない。
ジャレッドは今、生涯の主君をこの王子に定めた。
これから先、エグバートが辛い目に遭おうと、彼を傷つける者が現れても。
エグバートが幸せになり、ジャレッドを必要としなくなる、その日まで。
ジャレッドは盾として、彼を支え、守る。
それが、薄暗かった人生に差し込んだ光を手に入れた、ジャレッドの願いだった。




