旅立ちの前に
「首刎ね騎士の求婚理由」開始直前の、アリソンの話。
「毛皮のコートに、保湿効果のある肌着……それから、襟巻きだったか? こんなに必要なのか?」
「そう。リュドミラはとても寒いらしいから、防寒着はいくら持っていっても足りないくらいなのよ」
「……衣類だけで馬車がいっぱいになるのも当然だな」
アリソンの呟きに、「それもそうね」とエレンが笑みを返した。
エンフィールド王国第一王女・カミラに仕える女騎士アリソンは数日後、政略結婚に臨む主君に随行して、北のリュドミラ王国に行くことになっていた。
現在、彼女は随行仲間である魔法薬師エレンと共に、荷物の最終確認をしていた。食料などはぎりぎりにならないと積み込めないが、衣類であればなるべく早く揃え、馬車に積めるのだ。
リュドミラ王国は積雪期が長く、冬の寒さはかなりのものになる。
アリソンは鍛えているのでまだいいが、主君であるカミラは優秀な魔道士だが少々体調を崩しがちなので、彼女が嫁ぎ先で快適に過ごせるように準備をしていた。
エレンと一緒に荷物のチェックをし、魔法薬の材料を買いに行くという彼女を見送り、アリソンはうーん、と背伸びをした。
これから彼女は二時間ほど、休憩だ。
いつもなら自室でごろごろしたり町で買い食いをしたりするのだが、今日は予定があった。
「いらっしゃい、アリソン」
「失礼する。……おお、子ども用の靴。なんだかいいな、こういうの」
アリソンが言うと、彼女を出迎えたシェリルは微笑み、玄関脇に置いていた子ども用の小さな長靴を手に取った。
「トラヴィスが生まれてから、うちの中もすっかり子ども仕様になってしまったの。……ほら、あそこ、見て」
「おおっ、坂ができているな。そういえばあそこ、少し段差があると思っていたんだ」
シェリルが示す先の廊下の隅には、緩やかなスロープができている。このウォルフェンデン男爵家にしばしば出入りしていたアリソンだが、そういう変化を見るとなんだか新鮮な感じがする。
アリソンの幼なじみであるシェリルは去年、元気な男の子を産んだ。
アリソンも出産祝いのために産後間もなく会いに行ったのだが、トラヴィス・ウォルフェンデンは父親譲りの赤金髪と母親譲りのヘーゼルの目を持っており、将来はなかなかの美男子になるだろうという直感があった。
そんなトラヴィスももうすぐ一歳で、父であるエグバートのことを「とー」、母であるシェリルのことを「かー」、と呼んでいる。
ちなみにアリソンは自分のことを「アリソン」と呼ばせることが密かな夢だったが、どうやらそれは叶わなくなりそうだ。
アリソンは持ってきていた手土産をメイドのリンジーに渡し、シェリルの勧めを受けてソファに座った。
「忙しいのに会いに来てくれて、ありがとう。出発の準備は進んでいる?」
「ああ、腐らないものはもう積み終わった。……それにしても、リュドミラまで二ヶ月。到着した頃にはもう向こうは秋だなんて……隣国の話とは思えないな」
「リュドミラは標高も高いし、そういうこともあるのね。……エレンたちも、元気にしている?」
「ああ。……そうだ、差し入れの中に、皆から預かったものも入っている。エレンも、この前君がくれた菓子のお礼にと、安眠効果のある薬草茶の粉末を入れていたぞ」
「えっ、嬉しい! エレンに、ありがとうって言っておいてくれる?」
「了解した」
ポンポンと言葉を交わす傍らでは、リンジーが手慣れた様子で茶を淹れてくれた。
……この茶を味わえるのも、これが最後かもしれない。
「それにしても……アリソンがいなくなってしまうなんて、考えられないな」
シェリルの呟きに、アリソンは剛胆に笑った。
「それは私もだよ。国を離れることに異論はないが……どちらかというと、変な気持ちだな。生まれ育った国を離れる、というのは」
「そうだよね……私たち、外国に行ったことがないし」
「もう少し情勢が落ち着けば、君たち夫婦も旅行などに行けるようになるのではないか?」
「そうね。リュドミラはちょっときついけれど……いつか、エグバート様の故郷に行ってみたいと思っているの」
「ベルニ王国か。まあ、あそこなら行けるかもしれないな」
かつては城下町の外をうろついていた旧王国軍も、二年ほど前のある事件をきっかけに、国境付近まで追いやられていった。
王位継承権を放棄したとはいえ王家の血を継ぐエグバートとその妻であるシェリルは、旧王国軍に狙われる立場があった。
だが、女王マリーアンナの施策により国の情勢は落ち着きつつあり――この調子だと数年以内には、シェリルとエグバート、そして二人の子であるトラヴィスも気楽に外出できるようになるのではないかと、アリソンは考えている。
……そこに自分が同行することは決してあり得ないのは寂しいことだが、これも使命だ。
「アリソンがリュドミラに行くことについて、アリソンのお父さんとお母さんも、結構あっさりしていたよね」
「まあ、そうだな。元気があるならそれでいい、ということだったし、両親としてはむしろさっさと結婚してほしがっていたな」
「リュドミラでいい人が見つかればいいけどね」
「どうだろうな。……だが、リュドミラ人は筋骨隆々になりやすいというから、もしかすると私の運命の君に会えるかもしれない」
アリソンの異性のタイプは、筋肉もりもりで自分にも勝てるような戦士である男性だ。
実のところ、シェリルの夫であるエグバートや養父であるディーンはかなりいい線を行っているのだが、どちらも恋愛対象として見たことはない。
人の――しかも親友の夫を盗る趣味はないし、ディーンは未だに独身だがアリソンにとっても年の離れた兄のような存在なのだ。
「私もそうだが、シェリルも元気でやるんだぞ。……そろそろ二人目がほしいとか言われるんじゃないか?」
「ま、まだそうでもないよ。でも……私としては、トラヴィスをお兄ちゃんにしてあげたいとも思ってるんだ。子どもがたくさんいると……きっととても楽しいと思うし」
「うん、いいことだ。無理はせずに、たくさん子を産んでくれ」
照れたように笑うシェリルに微笑みかけ、アリソンはぐいっと茶を飲むとカップを置いた。
「……そろそろ失礼するか。慌ただしくて、すまないな」
「ううん、お仕事の合間に来てくれたのだから、それだけで嬉しいよ。出発前にはまた、手紙を書くからね」
「そうだな。……それに私が向こうに行っても、いい機会があったら手紙を書く」
玄関に向かうアリソンは振り返り、からっと笑った。
「あっちは冬になると郵便機関が麻痺するそうだから、少し手間取るかもしれないが……いずれ、『旦那を捕獲した』という手紙を送れるようにするから、期待していてくれ」
「あはは、了解! エグバート様と一緒に、楽しみにしているからね!」
そうして去り際には軽く抱き合い、アリソンは男爵邸を後にした。
本当はもう少しゆっくりお茶をしたかったし、トラヴィスの顔も見たかった。
だが乳をもらって腹いっぱいになったトラヴィスはお昼寝中だったようだし、おぼっちゃまの目覚めを待てるほど時間に余裕があるわけではなかったので、断念した。
預けていた馬を受け取り、ひらりと背に跨る。そうして並足で歩かせながら、アリソンは晴れた空を見上げた。
秋の空は澄んでおり、空気もおいしい。
「……さらば故郷、だな」
呟いた後、我ながら自分らしくないと思ったアリソンは頭を掻き、馬の腹を蹴ったのだった。