嫁取りらのべえ
むかしむかし、なろ山のふもとの小さな村に、らのべえという若者が住んでいた。
ある日、らのべえが山に仕掛けた罠のようすを見にゆくと、獣道もない茂みの奥から女の泣き声が聞こえてくる。藪を払って近づいてみれば、小柄で美しい娘が、らのべえの罠に片足を挟まれてぐったりしているではないか。娘の両耳は毛むくじゃらでぴんと立ち、着物の尻からはふさふさして太い尻尾の先がのぞいている。ははあ、さては狐めが助かろうと思って人に化けたな?らのべえはすぐ気づいたが、
「猟師さん、猟師さん、後生ですから助けてください。助けてくれたらお嫁になります」と娘が言う。
「性悪ぎつねめ、おらを化かして逃げる気だろう」
「こんな傷ではそう遠くまでは走れません。逃げようと逃げまいと、どのみち死んでしまいます。もしもわたしが嘘をつくなら、きつね汁にでもしてください」
すがるようなかわいい声に、らのべえは打ち殺そうとして打ち殺せず、けっきょく罠を外してやり、たやすく折れてしまいそうなほど細い足の怪我を手当てしてやったうえで、仕掛け罠の見回りはひとまずやめにして、獲物を入れる背負い籠に娘の姿の狐を隠し、山道を下った。
村へ帰ると、らのべえの家の前で名主が待っていた。人に見つかったらおおごとだから出てくるんじゃないぞ、と狐にささやいて背負い籠を隅に置き、囲炉裏を挟んで名主の話を聞けば、らのべえに何の相談もなく縁談が決まったという。しかも、相手は鬼だ。
なろ山の奥にはおおむかしから鬼の村があった。鬼達のほうからふもとの村々へ悪さをしにくることはなかったが、村にとつぜん鬼の使いがあり「お互いに怖がっていては、いつ間違いがあるかしれない」と、鬼の村長の娘が嫁いでくることになった。
「若い衆はみな里へ出稼ぎに行ってしまって、婿としてふさわしい男といったらおめえだけだ。村のため引き受けてくれ」
もし断れば鬼どもを怒らせてしまい、村の者はにどと山へ入れなくなるだろう。らのべえは「へい」と答えるのがせいいっぱいで、ついぞ名主に狐娘のことを打ち明けられなかった。
次の日、腹ぺこ狐に粥を食わせて自分は何も食べずに寝転んでいると、「らのべえさん、らのべえさん」と、戸口から呼びかける者がある。あわてて狐を背負い籠に押し込め、出迎えてみれば、名主に付き添われた、これまた美しい鬼娘だった。華奢な鬼娘はおしろいをつけ、紅をさし、髪を油でととのえ、よい香りのする嫁入り装束で、昨夜らのべえを夢の中で追い回した筋肉達磨の大女などではなかった。
名主が帰っていったのを見届けてから、らのべえは鬼娘に狐娘のことを話した。らのべえの隣に座る狐のほっぺたには、まだ穀粒がくっついている。
「こいつがおらの嫁になりたいと言い張っている。おらはこいつを見捨てて地獄に落ちたくはない。だからといっておめえを嫁に取らないわけじゃないが、承服してもらえるだろうか」
すると鬼娘が言った。
「こんどのお話はわたしにとっても突然のことで、もしかしたらこうなるかも、と思っておりました。鬼と人とが仲良くなろうとしている大事なときに、わたしが泣いて山へ帰ったとて、何になるでしょう?らのべえさんはやさしいお方のようですから、すでに妻があろうとかまいません」
鬼娘は狐を見てほほえみ、狐も粥をくっつけたままの顔でにっこり笑った。
そして鬼の嫁を迎える宴の支度が始まったが、らのべえが川から釣ってきた鯉をまな板へ上げて締めようとしたとき、「らのべえさん、らのべえさん」と、鯉が喋った。
「後生ですから助けてください。助けてくれたらお嫁になります」
まな板の上に、またまた美しい裸の娘があらわれた。腰骨の下は脚がなく、ぬらぬら光る銀のうろこで覆われた鯉の尻尾だ。包丁を握ったままあっけにとられていると、らのべえの後ろで何か重たいものがどさっと落ちた。振り返れば、大きな白蛇が身をくねらせており、ひとまたたきするあいだに、この世の者とも思われぬ白い着物の美女に変じた。
「らのべえさん、このさいだから言ってしまいます。わたしもお嫁にしてください。あなたの家を長いあいだ護ってきたのに、わたしそっちのけでお嫁に囲まれるなんてひどいじゃない」蛇娘が言った。
狐娘ひとりならともかく、三人もの女となるとさすがに隠してはおけず、らのべえは狐と鬼と白蛇を連れて、古着を羽織らせた人魚を抱え、名主にわけを話した。名主はらのべえの話を聞くあいだじゅうそわそわして、しきりに眉へ唾をつけたりしていたが、美しい娘達に揃って頭を下げられ、「はあ」と、魂でも抜けたような返事をした。
“嫁取りらのべえ”の噂はたちまち村々に広まって、隣村や隣村の隣村からたくさんの客が名主の屋敷を訪れた。謡に踊りに大騒ぎの宴のあと、家へ戻ったらのべえと四人の嫁との最初の夜がやってきた。
薄暗い灯籠の明かりに照らされて四人が言う。
「らのべえさん、わたし達は身支度をしますから、『いい』と言うまで決して戸を開けないでくださいね」
嫁達がとなりの部屋へ引っ込むと、らのべえは布団に潜り、震え上がった。……こんな話を思い出したからだ。
ある旅人が峠越えの途中で日没を迎え、夕闇の中に人家の明かりを見つけた。さびしい山奥の庵には親切な老婆がひとり住んでいて、“老婆の部屋を覗かない”という約束で一晩だけ部屋を借してもらえることになったが、夜更け、物音に目を覚ますと、障子の向こうで怖ろしい形相の鬼婆が舌なめずりをしながら出刃包丁を研いでいた……。
どんちゃん騒ぎに浮かれている場合ではなかったのだ。考えてみれば、何の取り柄もない自分にいきなり四人も嫁ができるなんて都合がよすぎる!いっそ眠ろうとしたが、眠ろうとすればするほどかえって眠れず、いやだ、いやだ、と思いながらも布団から這い出て、らのべえはついに戸板に手をかけた。すると戸板が勢いよく弾け飛び、我が目を疑う光景が広がった。
灯火の明かりの中に、狼やら、狢やら、金狐やら銀狐やら、烏天狗やら、蛟やら、赤鬼やら青鬼やら、着物も背丈もさまざまな、そして、いずれもたいへん美しいもののけ娘がひしめいている。腰を抜かしたらのべえを最初の嫁の狐娘が助け起こし、もののけ達に代わって言った。
「驚かせてしまってごめんなさい。“嫁取りらのべえ”さんの噂を聞いたのは人間だけではないんです。このごろの人間達ときたら、“あやかし”“もののけ”のたぐいと見るや山から山へ追い立てるばかりで、わたし達には落ち着く先がありません。みんな、なろ山のふもとにやさしい殿方がいると知ってこっそり集まりました」
狐の言葉に続いてもののけ達が声を揃えた。
「らのべえさん、らのべえさん、後生ですから助けてください。助けてくれたらお嫁になります」
こうして、小さな村はかつてないほどの子宝に恵まれ、ふさふさの耳や尻尾や、うろこや角や翼のある子供らが、人間の子供らと野山を遊び回った。
らのべえの子供らは人と同じように歳をとったが、人間ともののけとの仲介をした“嫁取りらのべえ”の祭が毎年欠かさずおこなわれ、てんつく、てんつく、ひゃらり、ひゃらり、の囃子に合わせて若い男女が手を取り舞えば、なろ山の神も、どうどう、ごろごろ、と喜んだ。すっかり白髪の老爺になったらのべえは、いつまでも変わらず美しいままの嫁達と和やかに村祭を見守るのだった。
めでたしめでたし