「君だけに言えば、いいのかな?」
一日の授業も終わったところで、イブさんのほうからこちらにきた。
いつもならボクが行かないとさっさと帰ってしまうのに、何か用事って……お昼のことしかないよね。
「……少しいいかしら?」
「ナ、何かな。お昼のことなら、何もなかったよね」
「中庭に行きましょ、ね?」
「ちょ、待ってよ。荷物だけ持って、わわわ!」
有無を言わずに連行される。
最近では珍しくなくなった光景に、クラスの人々はまたかといった表情で見送ってくれる。
ちらっとクロイスに助けを求めたけど、静かに首を横に振られた。
「あのね。さっきの月が……という言葉は、あまり口にしないで欲しいの」
「さっきの? 何もなかったよね」
「ああもう! 忘れてって言ったのは私の返答のことよ! とにかく、月がどうこうなんて、軽々しく言っちゃダメよ!」
理由までは教えてくれなかったけど、イブさんにとっては大事なことらしい。
たしかに月も出てないし、不自然だったかも。
「わかったよ。これからは言わないようにするね」
「え……それは、ちょっと」
「別の言葉なら良いんだよね? 月が美しいとか、今宵も綺麗ですねとか」
「そ、そうだけど……言ってくれないのは困る、かな」
目の前にいる彼女は、ボクが見たこともないくらいモジモジとしている。
両手で指をツンツンしながらこちらを見てはすぐ逸らす仕草を、クロイスが見たら何て言うだろう。
「言ってほしくないのでは?」
「そうだけどっ! そうじゃないの!」
「ふふ。イブさんがそこまで取り乱すなんて珍しいね。ということは」
彼女は先の未来が視えるらしい。
それを合わせると、何を言いたいのかはボクでもわかる。
「君だけに言えば、いいのかな?」
「っっ!!」
どうやら正解だったようで、イブさんはピクリとも動かなくなった。
代わりに今度は顔だけではなく、耳の先だけ赤くなっているようだ。
器用なことするなーと眺めていると、思いの外すぐに正気へと戻ってきたみたい。
「そ、その! 機会があったらでいいわ! いつか二人で、海岸で月を眺めている時にそのセリフを……」
「随分と具体的なんだね。ま、そうか」
未来のボクは、イブさんにその場所で伝えたのだろうか。
大切な言葉だというなら、今のボクが姉さんの身体で、軽々しく口にするようなものじゃない。
彼女は何も言わなかったけど、未来が視えるということはボクも知っている。
彼女に向けてニコッとしてみた。
「ボクが元に戻れて、イブさんとそういう関係になったら……言うかもしれないね」
「約束はしてくれないの?」
「不確定になった未来だからこそ……可能性が出て面白いんでしょ?」
この前彼女から言われた言葉をそのまま返す。
そのことに気づいて、イブさんも微笑んでくれた。
それからは謝罪から始まり、ボクもイブさんもいつも通りに戻った。
イブさんとは昨日クロイスの家に泊まったこと、婚約者を決められたせいで家に帰りたくなかったことを伝えた。
その時のイブさんは驚いていて、理由を聞くと姉さんに婚約者なんていなかったみたい。
ま、原因はわからないけどボクは父さんに直談判する予定だ。
その時に気になったことは聞けばいっか。
荷物もあるので教室へ戻ると、数人残っている中にクロイスの姿があった。
昨日置いていった荷物もあるので、一緒に帰ろうと待っていてくれたらしい。
「セシリア嬢。今日はご一緒してもらえますよね?」
「もちろんですわ」
「なら私はこれで……」
「貴方も途中まではどうですか? 前々から話したいとは思っていたのです」
バッと親友の顔を見る。
よし行け! ようやく攻めだしたか!
これも二人を近づけようと頑張った成果かな!
しかし、喜ぶボクとは裏腹に、イブさんの返答はあっけないものだった。
「女子寮まではすぐですので、お気になさらず」
「そうですか。では」
「え?」
もっと引き下がると思っていたけど、クロイスの対応もそっけない。
イブさんが完全に見えなくなった後、歩きながら隣にいる人の袖をちょいちょいと引っ張る。
「ん? 何だ」
「よかったの? あれ」
せっかく勇気を出して話しかけたのに、やんわりと断られてしまった。
今までのクロイスなら、ボクに泣き言を伝えるくらいにへこんでいたはずだけど。
「ああ。彼女を振り向かせるのは難しいだろうな」
「そんな……ずっと好きだったんじゃ?」
前を歩いていたクロイスは立ち止まる。
それにつられ、すぐ後ろを歩いていたボクは少し追い越してから見つめ合う。
「……そうだな。俺も、本当の気持ちと向き合ってみる」
「うん。それでこそクロイスだよ」
手を繋ぐことはしなかったけど、再び歩き出した親友の背中を追いかける。
その姿が周りにどう見られていたか、ボクが知るのはまだ先のことだった。




