「なあ、そろそろやめにしないか?」
学園から徒歩十数分。
ボクの家よりは近いけど、学生寮よりは遠い場所にクロイスの仮住まいはあった。
何でも学生寮で暮らすと他の生徒に迷惑をかけるから、と前に言っていた。
たしかに王族と一緒に共同生活って、恐れ多くて心も休まらないや。
ま、クロイスが相手なら大丈夫だけど。
「着きましたよ、セシリア嬢」
「あの、そろそろ荷物を返していただけませんか?」
「いえ、案内するついでに部屋まで運びますよ」
「そこまでしてもらうわけには……」
「それよりも、あまり驚かれないのですね」
そこは普通の民家というべき家だった。
貴族街にある屋敷の中でも質素で、とてもじゃないが王族が暮らすような場所には見えない。
ボクも最初は驚いたものだけど、何回か来ている身としては既に見慣れた光景だ。
「ハヤトからある程度は聞いていましたの。執事のローレンスさんと二人暮らしですよね?」
「なるほど、それなら話は早い。ローレンス! 客人を連れてきた」
「お帰りなさいませ、殿下。ほう、客人というのはお嬢様ですか」
「ああ。ハヤトの姉君でもある。部屋を案内してくるので、今夜の食事は追加で頼む」
「かしこまりました」
クロイスが側に置く使用人は、老執事のローレンスさんだけだ。
何でもローレンスさんとは長い付き合いで、最も信用の置ける人物だとか。
「はじめまして。ハヤトの姉であるセシリアと申します。本日は急な訪問申し訳ありません」
「いえいえ。ご丁寧にありがとうございます。殿下が招いた客人が、そのようにかしこまる必要はありませぬ」
「その通りです。さ、こちらへどうぞ」
「……ありがとう、ございます」
今までは受動的にだったけど、今回は自分の意思で親友を騙した。
そのことに罪悪感を感じたけど、家に帰りたくなかったのも事実だ。
イブさんやガイアルに負い目がある以上、少しでも誰かに話を……今まで我慢していた分、親友に甘えたかった。
「こちらが客間になります。本日はこちらで……どうかしました?」
「いいえ。何がでしょう?」
「今の貴方は……いえ、何でもありません。そうそう、髪が多少ハネておりますので、直すことを推奨します」
「は、はい」
「では、また夕食の準備が整いましたら呼びに参ります」
そう言い、クロイスは荷物を置いて出ていった。
結局、部屋まで運んでもらっちゃったな。ほんと、クロイスって王族らしくないや。
備え付けの姿見へといき、指摘された髪を見てみる。
「あれ、どこもハネてなんて…………あ」
ボクの髪は綺麗に整っていた。
これも日頃メイドさんたちのケアや、姉さんがうるさく手入れするように言っていたおかげだろう。
その代わり、瞳から涙が溢れそうになっていた。
ボクはクロイスの心遣いに感謝しつつ、姿見の前で何度も何度も顔を拭った。
それこそ、手にしたハンカチから水分が滲み出るくらいまで。
ようやく目の腫れも引き、そのまま笑顔の練習をしているとノックの音が響いた。
「はーい」
「お食事の準備が整いました。ご案内します」
「……どうも、ありがとうございます」
「いえ、何かありましたら遠慮せずにおっしゃってください」
「そ、そうですね……」
待機していたローレンスさんからサッと顔を逸らす。
……まだちょっとだけ腫れていたかな。
せっかく用意してくれたのに待たせるわけにもいかない。
そのままローレンスさんの後ろをついていくと、食卓には既にクロイスの姿があった。
「ご気分はいかがですか?」
「……ええ、おかげさまで落ち着きました」
「それは何よりです。まず、先に言っておきますが」
「ローレンスさんもご一緒ですよね? 私は構いませんわ」
ここではクロイスとローレンスさんの二人なので、食事の時間を分けるということはない。
客人がいるときも同様だ。
そこで拒否するようなお客なら、その時点で追い出すとも言っていたっけ。
それだけクロイスにとって、老執事さんの存在は大きいのだろう。
「……そうですか。では食事にいたしましょう」
「いただきます」
ウチとは違い、食事中にもクロイスがローレンスさんに話しかけ、それに優しく返答がくる。
人数は少なくても、会話がある食卓って楽しくていいな。
始めはウフフと聞き手にまわっていたボクだったけど、ローレンスさんは巧みにボクから話を引き出してくる。
これが聞き上手っていうのかな。
それでいて不快になるようなことはないから、ベテランの技だ。
「ほほほ。弟様と同じく、貴方様も園芸に詳しいのですね」
「は、はい。見ているうちに色々覚えましたの。意外と奥が深いのですね」
「ハヤトも良い姉に恵まれたようだな」
「え? そんなことは……そ、そういってもらえるとありがたいですわ」
実際にはありえない。姉さんは常に平常運転だ。
だけど、そんな無粋なことは言わない。
ここはクロイスのことを知っていても不自然じゃないように、弟と仲良しアピールをしないとね。
「さて、食事も終えたことですし、そろそろ湯浴みでもしようかと思いますが」
「私は最後でよろしいですわ。そんな図々しい真似、できませんもの」
「いつも通り、ローレンスが先に入るか?」
「……そうですね。では、殿下よりお先に入らせていただきます。後片付けはお願いできますか?」
「了解した」
その言葉に、頭の中で疑問が浮かぶ。
声にこそ出さなかったけど、いつもクロイスが一番じゃなかったっけ?
不思議そうに眺めていたら、ボクの視線にクロイスが気づいた。
「いつもローレンスが先に入っているのか? とでも言いたそうだな」
「……そうですね。どうしてクロイス様が先ではないのかと不思議ではあります」
ボクの家では父さんが一番だ。
理由も単純で、一番きれいな状態だから。
一人が使用後、その都度掃除するわけにもいかない。なので、立場が上の人間から順番に使用するのが普通だ。
「いつもは俺が先だ」
「あ、やっぱり。どうして今回は……」
「やっぱり? どうしてそう思ったんだ?」
逆に問いかけられて、背筋が寒くなった。
「え……あの。普通に考えると、立場が」
「そうだな。普通に考えたらな。じゃあ、俺の家は普通か? 使用人と共に食事をし、二人のみで暮らす。そして、主人でもある俺が後片付けをする」
「いいえ……」
後片付けなんて、ボクですら行なったことはない。
危ないからってメイドさんがやらせてくれなかったのに、ここでは率先してクロイスがやろうとしている。
故に、ローレンスさんに譲ったとして、それがこの家の普通だと言われたらおかしくないはずだった。
これが、初訪問なら。
「なあ、そろそろやめにしないか?」
「…………」
「お前、ハヤトだろ」
ゴクリ。
決定的な事実を突きつけられ、頭の中を瞬時に考えが駆け巡る。
対するクロイスの表情は、呆れているようにも疑うようにも見え、そして悲しんでいるようにさえ見えた。




