「既に夜も遅い。今日は俺の家へ来い」
全身から伝わってくる振動で目を覚ました。
うっすらと目を開けると、地面ではないフカフカしたものの上で横になっているようだ。
その時、急に強い振動が来た。
「きゃっ!」
「……ん? 目が覚めたようだな」
「はれ? 君は……見たことがあるような」
「………………」
見渡すと、馬車の中で男性と二人きりだった。
目の前の男性は、何か言いたそうに、それでも堪えるような顔をしている。
苦虫を噛み潰したような表情って、この顔のことをいうのかな?
「本当に、わからないのか?」
「ちょっと待って。友達ならすぐに思い出せるはずだし、あの色から見て先輩でもなさそう。でも下級生の知り合いなんて…………あ」
「色で判断されるのは微妙だが、久しぶりだな」
ようやく思い出した。
あの時イブさんに迫って、決闘を強要してきたガイアル本人だ。
そういやボクが釣りに行く前にも、何度か話しかけられたっけ。全部まともに取り合わなかったけど。
「どうしてここに? というか、私は何故貴方と馬車に乗っているのでしょうか?」
「覚えていないのか? なら、無理に思い出さなくても良いだろう」
男性に捕まって、知り合いの声が聞こえたところまでは覚えている。
だけど、今の状況と繋がらない。
だってあのガイアルが……ねえ。
「まさか、ガイアルが誘拐を企てていたなんて……」
「おい、馬車を止めろ。この令嬢はここに置いていくぞ」
「じょ、冗談ですわ! 先程はありがとうございました!」
この後輩は冗談が通じないタイプみたいだ。
これがクロイスだったら「バレたら仕方ないな。このまま俺の部屋で遊び尽くそうぜ」となるんだけどな。
ボクを助けてくれた恩人は、不機嫌なままこちらを睨みつけたままだ。
「危うく街の闇という場所まで連れ去られるところでしたわ。私の力では敵いませんでしたの。貴方は私の恩人です」
「そ、そうか。危ないところだったな……いくら腕に覚えがあるからと、こんな時間に不用心だぞ」
「それについては深く反省しています」
ボクなら襲われるわけがない。そんな楽観的な気持ちだったのは事実だ。
まずいな、男の時の気分がどうも抜けないや。
もしそんな事を父さんに言ったものなら、また地獄の二週間が開始されてしまう。
「既に夜も遅い。今日は俺の家へ来い」
「え? そんな急に……」
示された時間は、ボクが最後に見た時間よりも二時間ほど進んでいた。
どうやら思っていた以上に気を失っていたらしい。
「とはいってもな。もうすぐ俺の家だ。それに、セシリアの家も知らなかったからな」
「貴方の家に付くまで、時間がかかりすぎていませんか?」
「それはアイツを兵士に引き渡していたせいだ。全く、あんな奴の侵入を許すなんて弛んでいる」
あの後駆けつけたガイアルによって、男性は御用になったらしい。
何でも体術はそれなりにできるらしく、クロイスには剣術でも体術でも負けたことがないと自慢された。へー。
「よ、用意もないので帰らせていただきます!」
さっきも使った言葉でその場を乗り越える。
夕飯はもうとっくに終わっているだろう。
父さんや姉さんも心配しているはずだ。それに、女にだらしないと評判のガイアルの家に連れ込まれるなんて、恐怖しか感じないや。
「安心しろ。お前……セシリアの家のほうには専属の使いを出そう。家はどの方向だ?」
「要りません。私はこのまま帰りますので」
「とはいってもな。もうすぐ出歩くことは困難な時間だ。ウチの専属なら問題ないが、俺も馬車を出せないぞ?」
夕飯も終わり、人々が各々の時間を過ごす夜。
その時間は、騒音の関係で馬車を走らすことが禁止されている。
特例として認められる場合もあるけど、よほどのことがない限りは馬車を使えない。
そして、その時間にあと数分でなってしまう。
ならば歩きでとなるけど、ボクの家からガイアルの屋敷は中々距離がある。
さらにはガイアルが言った専属のように、闇に溶け込む技術を持っていないとかなり目立つ。
目立つと何があるかって? さっきみたいに誘拐されるのだと。
いつどこで家出少女を狙った誘拐があるかもわからない。さっきの輩みたいに、急に現れる可能性だって捨てきれない。
ボクが思案している間に、いつしか馬車の揺れも収まっていた。
ガイアルが外に合図を出しているところを見ると、どうやら目的地にたどり着いたみたい。
「あの……護衛をしてもらうことは」
「フン。泊めてやることはできるが、そんな無駄なことはできない。第一、もしセシリアが不幸な目にあったら俺が責められるのだぞ?」
ボクも一応、貴族の令嬢だ。
令嬢というのは認めたくはないけど、そういうことになっている。
そして護衛を付け、もし襲われ不幸な目に合うと、護衛の責任。
つまりガイアルの……エニフ家の責任問題ともなる。
お世話になる立場だというのに、ボクのワガママのせいでエニフ家を困らせる訳にはいかない。
客人を泊めるというのには、お家を護るという意味も含まれているのだ。
「……すみません。お世話になります」
「ああ。俺は先に行く。あとはそこのメイドに案内してもらえ」
「え?」
何をされるのかと身構えていたけど、ガイアルは一人のメイドさんを残してスタスタと屋敷の中へ入っていった。
もしかして、ボクの考え過ぎ?




