表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/45

第25話・論功行賞

天文16年(1547)8月20日


■甲斐国 山梨群 躑躅ヶ崎館 大広間



躑躅ヶ崎館の大広間には御一門衆と重臣たちが揃っていた。初陣でいとも簡単に志賀城を陥し入れ、援軍にきた上杉憲政率いる関東管領上杉軍を殲滅、調略で上野国を平定。さらには小諸城、砥石城を奪ってみせた。信之が大手柄を立てたことに対して興奮しながら隣の者達と話している。4歳児ということもあり補佐に回った甘利虎泰と板垣信方、馬場信房が指揮したのではという言葉も聞こえる。





「まさか、信濃より先に上野を制圧とは…これで武田の先行きも安泰じゃ。」


「ですな。僅か4つという幼子で一人前…。いや名将の如き活躍をしたというのですからいやはや…」


「儂なんか4つの頃はまだ野を駆け回っていた」



「しかし4つの幼子では指図は難しいだろう。誠に若君が?」


「お尋ねしてもよいか?誠に甘利殿と板垣殿、馬場殿は補佐したのだろうか?」



「そうだが?俺が右翼、板垣殿が左翼だった。」



虎泰は腕を組みながら答える。



「信之様から釣り野伏せという戦術をして撃ち破るといわれてな」



信方がそう答えながら信之の方向をみる。



「三郎、釣り野伏せとはなんだ?」



晴信が問いかける。



「釣り野伏せとは全軍を三部隊に分けます。一部隊は囮に、二隊を戦の前に左右に伏せさせておきまする。敵を左右に伏せさせているところまで誘い込み、三方から囲み包囲殲滅する戦法です。囮となる部隊は大将自らの隊で、まず正面から当たり、わざと敗走を装いながら後退すします」


「それが釣り野伏せの「釣り」の部分ですな?」


駒井高白斎が頷きながら答える。


ーーーーーー駒井高白斎ーー15⁇〜1563年


【甲斐源氏の一族駒井氏。1542年9月25日の高遠頼継攻略の先陣を務める。翌の26日に藤沢頼親が籠る福与城を陥落させた。また降伏した信濃国衆との取次や調略も携わる。高白斎記の原本の作者とされている】



多方面に活躍する駒井殿か…。一家に1人は欲しいくらいの人材だよ!さずがチートですね。


「はい、駒井殿が言う通り「釣り」の部分はお分かりになりましたかと思います。野伏せの部分は敵が油断して追撃するために前進しますが、既に左右に伏せていた部隊で両側から襲わせます。これが残りの部分「野伏せ」であります。囮の部隊は敵を油断させるためにできるだけ少数がいいでしょう。左右から攻撃が開始されたら反転し逆襲に転じることで三面包囲が完成します」



おぉ!と歓声が起きる。



「しかしこの戦法は元々寡兵で戦う戦術であり囮の部隊は敵よりかなりの兵力差がつくので成功させるには相当の訓練が必要でしょう」



「そうだな。だが試してみる価値がある。さてそろそろ此度の戦についてだが、文句無しで戦功第1位は三郎 お主だ。褒美は何がよい?」



「では上野にある石倉城(後の厩橋城)と信濃の小諸城を頂きたく」



「それだけで良いのか?」




「はい、まだ私は4つですので」



なんと謙虚な…

ここにいるほとんどの諸将はそう思った。



「分かった。佐久群と石倉城(後の厩橋城)と上野の諸将を三郎の与力につけるゆえ、佐久と上野を豊かにせよ」



「はっ!」


信之は小諸城だけではなく佐久郡全域と上野国、一国を任され一応ではあるが佐久郡5万1千石、上野国46万6千石、合計51万7千石の大名になったのであった。


次から内政に入れるかもしれない…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ