家族との別れ
私はこの村があまり好きではない。
文字や魔法を覚えようとするだけで、大人達は過敏に反応して、「あんたもこの村を捨てるつもり?」と殴られるし。
トマト畑を見る。
これはアレックスと二人でこっそり作り始めたものだ。収穫できたのは翌年。
生のままの甘くみずみずしいミニトマトは皮は少々固めだが、その分輸送には適していて、王都で飛ぶように売れた。多少出荷に遅れてもドライトマトとして出荷できるのもよかった。
他人が成功しているのを見ると真似し始める人がいるのは分かっていた。
幼い私は、トマトが塩害に強いことを知っていても、大人たちに連作障害について教えなかった。知らなかったのだ。
五年後にはトマト作りに失敗する。
『バカだねえ。失敗したら自分が恨みを買うことはわかっていたんだろう』
知識はひけらかすもんじゃないよ。魔法使いはちゃんと対価をいただかないと、と耳元で連作障害の秘密を囁いた。
この小汚ない壺は当時から師匠の家にあった。この壺の存在を知っていたら、もっと村は潤っていたかもしれない。それなのに師匠は黙っていた。
『師匠の月謝膨らむ一方だから、何とかしたかっただけなのに』
当時の私はそう愚痴った。本当は自分で村を良くしたいという欲もあった。
連作障害の秘密は門外不出。他の村でも栽培できるようになったら、あっと言う間に価格破壊が起きてしまう。
そうすれば、競争から取り残されるのは|この村(私たち)のほうだ。
子供は大人になる前に文字を覚えてさっさと国を出て行く者が多い。
都会への出稼ぎ隊が、歳若い村娘にお見合いの話を持って帰り、さらに過疎化が進んで……
中には都会で騙されて村に帰ってくる者もいた。
大人はすっかり都会に対する印象を悪化させて、子供が、文字を覚えることさえ嫌った。
魔法使いの弟子になったり、ちょっと文字を覚えようとしただけで、「あんたもこの村を捨てるつもり?」と母親に殴られた。
私としては少しでも早く魔法を覚えたかった。文字のある生活が当たり前だったので、最低限の読み書きは覚えようと思っただけなのに。
身体を最低限清潔に保ちたいってだけで、とても気味悪がられていた。
借金の・・・月謝分は自分で稼ごうとして、こそこそ呪符のバイトを始めたが、それも家族は気にくわなかったようだ。唯一しぶしぶ認められたのは害獣駆除(モンスター退治)だったわけだが。
私は、トマトを一つもぎ取って、食べる。おいしい。
食べ終わってヘタを捨てると、壺を手に立ち上がった。
「さて、どうやって母さんを説得しようか」
◆
幽霊のメーナ王女を家に入れるわけにはいかないので、かわいそうだが馬車で待ってもらって、ルシラは我が家にお泊まりだ。(間違ってもアレックスの家に泊まらせるわけにはいかない)
王都の、それも神殿育ちのエリートのわりにはルシラは馬車移動も、我が家の料理にも彼女は文句を言わない。
「ささ、食べて食べて」
母が椀によそったトマト雑炊をルシラは「ありがとうございます」にこっと微笑んで受け取った。もうその笑顔が...キュンとなるほどかわいい。ああ、頭を撫でたい。モフりたい。
「いい歳してまだ勇者一行に選ばれるのを夢見てるの?冒険者ごっこは危険だし、あの魔女の月謝も高くないんだし」
「月謝分はモンスター退治で稼いでるだろ。家にも金入れてるし」
客人の前でくどくど説教をしないで欲しい。
「そりゃ、助かっている部分もあるけれど、所帯持つなら安全な職にしなさいよ」
母の発言にトマト雑炊をぶっと吹き出した。どうやら彼女紹介と誤解したようだ。
「は?!この純白の法衣が見えないの?どう見ても巫女様でしょ?」
「巫女って言ったって、ずっとお務めするのは半分以下なんでしょ?ちょっと変なしゃべり方する息子だけど、よろしくね」
「はあ」
母の願いに曖昧に答える少女の耳はちょっと耳が赤い。
「魔王退治に行くからしばらくは帰ってこれない」
どう告げようかと思ってさんざん悩んだのに、いつもの連絡事項になってしまった。
「へー。何日ぐらい?」
母もいつもの調子で返す。
「もしかしたら年単位?」
「嫁さんと旅に出るんなら邪魔しないよ」
てっきり反対するのかと思っていたが以外とあっさり承諾してくれた。
「は? 嫁さんじゃないし、アレックスも一緒だから」
「お嫁さん盗られないようにしなさいよ。女に関しちゃそこいらの砂賊より手ぐせが悪いんだから」
母は全くと言って信じていないようだ。
ちなみに父は巫女様を物珍しげに見た後は、始終黙ってトマト雑炊を食べていた。
◆
翌朝の旅立ちの時。
「母さん。今までありがと」
私はここまで育ててくれた母をしっかり抱き締めた。
「なに結婚式の新婦みたいなこと言っちゃってるの」
母は軽く背を叩いてくれる。
「ああ、それとこれ。かわいいお嫁さんにね。私が結婚した時に使った物よ」
我が家には似つかわしくない、純白のベールだ。母から差し出されたそれをルシラは受け取らずそっと押し返した。
「いえ、これは...無事に帰ってきた時にお渡しください」
「そう。わかったわ」
母は最後まで信じてもらえなかったが、いつもは見送りに出ず、さっさと畑に行く父が珍しく玄関口に立って「いつでも帰ってこい」と言ってくれた。
「うん。必ず帰ってくる」
◆
師匠のところに立ち寄ると真珠のピアスはネックレスになっていた。
「よく、こんな大きな宝石がありましたね。」
「ガラスだよ。ガラス」
「……ガラス」
すごい力が付け足されたのかと期待していたのに、ちょっとがっかりだ。
「ガラスの歴史は古い。昔から呪具の力を高めるための疑似魔石として使われていたんだよ。
遠く東の国では……」
「わかった。わかったから」
「行っておいで・・・…お父様。かの者とこの世界に安らかなる未来を」
師匠は懐かしむように、金のランプを撫で、祈った。
狭い家を出て、ほうっとため息をついた。
「私が信じているのは遠い世界の神です。師匠のご先祖でも、この世界の神でもない」
師匠は一言も「帰ってこい」とは言わなかった。
◆
村の出入り口で待っていたアレックスと合流した。
「で、ちゃんと恋人さんには別れを告げたの?」
「まぁな。全員に別れを告げるのは本当に大変だったぜ」
アレックスが上機嫌に答える。
どう大変だったかは聞かないで置こう。
私は師匠のところで書き写させてもらった地図を広げた。地図は大雑把だが、二点どうしても気になることがある。イタリアの長靴半島ぽいものが描かれていることと、東半分の真ん中に魔法古語で『アジア』と書かれている点だ。
他の部分は自分の知っている地図とはずいぶん違うような。この地図を私の知っている世界地図と比べてみるとアフリカと中国の端がくっついている。極端に言えば大地が不格好なドーナッツ状になっているのだ。
ただ、交易路自体はしっかり書き込まれているので、問題はたぶん無い。
「ルート35から天文台コースを経由してユスフル川を越えるってのが一番妥当か」
「面倒な回り道をせず、まっすぐ目的地に行ってちゃっちゃと倒せばいいだろう?」
いつも通り何も考えていない幼馴染みの発言。本当に勇者か?
ー『勇者なんて見捨ててしまえばいい』
一瞬師匠の言葉が頭をよぎるが、その考えを振り払う。
「砂漠をろくな目印も無く突っ切るだなんて無理。それに川を越えたらモンスターの生態が変わる。古都ルーリーで情報収集を行わないと」
◆
アレックスとルシラは幽霊が最初こそ不満たらたらだったが、メーナ王女殿下は結構役に立った。
〈ルシラちゃん。あの男が変なことしたら即効死の言葉囁いてあげるからね〉
「お願いします」
「けっ」
メーナ王女殿下の呪かが恐ろしいのか、これまでのところ勇者はルシラには全く手を出してこない。
馬車からは出れないが、結構な戦力で、死の呪文は強烈だ。
〈万死ー(ばんしー)攻撃ホォオッチョー〉
生物系モンスターどころか、攻撃のとおりにくいゴーレムなどにも、有効。(なんでも埋め込まれた札の「真実」文字を呪って「死」に書き換えているらしい)範囲攻撃も可能らしいが、呪歌の類いなので効果範囲設定を間違えれば敵ともども死んでしまうことになりかねない。効果は基本一体のみに絞っている。
ついでにネクロマンシーの技も使えるらしいが、アンデッドを一度出したら、自分の意思で消せないそうで、放置は良くないし、連れて行くにしても、町に入りにくい、と微妙に使い勝手が悪い。
死骸の臭いでモンスターを呼び寄せてしまう場合さえある。
町に近づいたら、浄化の魔法であの世に還すか、馬車の中に隠すしかないのだが、問題は浄化担当のルシラだ。一度、試しに出したネズミのアンデッド。最初は気味悪がっていたのに三日後には情が湧いたのかようで、涙を流しながら浄化していた。
メーナ王女が悪霊化しても絶対浄化とかできないだろう。
「歯応えがねえな」
そうこぼす柄の悪い勇者を眺めながら思う。
ーー自分達の運命を知ってから、十分準備をした。
本当に、すべて終わったとしても私たちに未来はあるのだろうか。と。
参考資料 プトレマイオス図