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火事

のんびり進める予定です。

◇火事


 蒸し暑い夏の夜だった。

 娘と一緒に寝ている最中に、揺れと音に叩き起こされた。


「な、なに? 地震!?」


 けむり。次いで、切迫した音が鳴る。非常ベルだと気づくのに瞬きほどの時間を要した。焦げ臭い匂いが部屋に漂う。

  夫も私もタバコを吸わない。元栓と戸締りは寝る前に二回チェックするようにしている。


  煙の出所は窓の上部にある小窓だ。深夜だというのに、赤い光を映し出すカーテンを引くとこのマンションの下の階から煙がもくもくと立ち上っているのが見えて、心臓が止まりそうになった。夫の寝室の真下だ。急いで小窓を閉める。


「起きて!カズマ火事よ!」 


 娘の体を乱暴にゆすり、同時に隣の部屋で寝ているはずの夫に大声で叫ぶ。


「ママ?」


 部屋を出ると夫の部屋のドアの下から、黒い煙が漏れ出し、居間のカーテン越しに不気味な赤がゆらゆら揺らめいている。 


「カズマ起きて!何やってんの!早く!逃げっ……」


 夫の寝室のドアを開けると、一気に黒い煙がなだれ込んで来た。


「あ、あなた!? カズマ!? 」


 ベッドから這いだそうとしたのか、頭だけ力無くはみ出し垂れている。

 一瞬確認できた彼の姿はすぐに黒い煙で見えなくなる。駆け寄り、急いで小窓を手探りで閉じようとするが、煙を吸い込んでしまい、意識が遠のく。


 その時ピンポンピンポンとチャイムが数度鳴らされ、次いでドンドンと扉が叩かれた。


「山崎さん!?大丈夫!? 」


 玄関の扉ごしで隣の姉川さんが叫んでくれる。


「だ、大丈夫です。げほ……ここあ、玄関開けて」


 娘の背でも玄関の一番上のロックに手は届くはずだ。

 一番上のロックをかちかちして遊んでいたのを最近見たばかりだ。


「う…パパは? っげほ」


 娘の咳き込む声。プラスチックの焦げる匂い。喉の奥がひりひりする。

 夫のベッドの端に手を突くと何かに触れた。指の先だ。それはしっかり私の指にかけられ、そして意思を持って離される。


「立っ……て」


 目が沁みながらも、口を手で覆い手探りで窓を閉めることにだけは成功した。


 スプリンクラーが作動するが、夫の部屋は煙が滝のようにあふれている。

 鎮火を待っていたら、一酸化炭素中毒になりかねない。


 私では夫を抱えて逃げられない。私は一人で夫を連れ出すことを諦めざるえなかった。


「先に外出て。げっほ。口をっ、袖で抑えて……」


 廊下に出て、がくりと膝を突く。立てない。


「行きな……」


 一瞬、娘が煙の向こうに見えた。 数歩先で娘が玄関の一番上の鍵に手をかけようとしている。隣の姉川さんは扉の向こうで「ここあちゃん頑張って。すぐ消防車来るからね」と励ましている。


 でも、ダメだ、視界が……ほんのちょっとの距離なのに。スプリンクラーで立ち上った水蒸気と黒い煙が全身にふりかかる。心がくじけそうになる。体が熱に晒される。酸素が足りない。


 息が出来ない。 


 逃げろという言葉は、娘に届いただろうか。



◇クラウス・メルケー



 ユウシャ……血……あらわ



 妖精が囁く。眠い。幸せだった頃の夢は儚く掻き消えた。


 クラウス・メルケーは、カーテンから漏れる光をさえぎるように目蓋の上に腕を置き、不機嫌な声で言った。


「一介の騎士には、関係ないだろ?」


 ……関係アル!!


 いつもは鈴虫のような羽音だが、今朝はなぜかセミのように羽をけたたましく震わせ叫ぶ。

 昨夜は、午前1時まで仕事で、今日は昼からの出仕予定だったのに。


「関係無かったら、有給とって寝直してやる」


 急いで軍服に着替えながら「リズ。出るぞ」と叫べば、部屋を出た頃には、メイドが、バスケットに野菜とハムと目玉焼きを挟んだナンを用意してくれていた。


「もう少し早く起きたら、日食が見えてましたのに」

「見るんじゃない。目を焼くぞ。」


 日食を見て、眼医者にかかったという話は聞いたことがある。


 着替えの間もメイドとのわずかな朝のやり取りの間も、妖精は早くと急かす。どうやら妖精の要望に答えない限りは、朝食を食べられそうにない。


 妖精の甲高い声にうんざりしながら即刻走り出したクラウスの隣を併走しながら、リズはたずねた。


「で、なんで昼ランプのクラウス様が早起きしたのですか」

「勇者が現れるんだとよ」


 リズは、目をしばたたかせた。


「こんな日には取替え子(チェンジリング)が起こるって本当なんでしょうか」


 チェンジリング……取替え子と呼ばれる存在はこの世界では少数ながら存在する。妖精の声が聞こえたり、魔術が使えたりと言った人々だ。


 時代によっては、迫害されることも崇められることもある。

 今は、表面上は普通の人間と大差ない扱いを受けていて、その特殊な能力を生かして占い師や魔術師として生計を立てている者がほとんどだ。チェンジリングの中には宮廷に仕えている者もいる。 


「特別な日に特別なことがあれば記憶に残るだけで、特別なことはいつでも起こっているんだ」 


 クラウスの生まれた夜も月食だったと聞いたが、彼にとっては気にするのも馬鹿らしいことだ。


 大通りを一歩入ったら、幾人かの女性が声をかけてくるが、妖精の囁き……怒鳴り声が煩くっていちいち構ってられない。


 そこからさらに2ブロックを進んだ先で、やっと妖精が静かになる。


「これが、勇者? 冗談だろう」


 今日は間違いなく一番特別な日だ。


 彼女の髪をひっぱる男を殴り倒してやりたいが、ここには職務としてきているのだ。

 手順は踏まないと。



隣の姉川さん……ヒロイン親子の姓が山崎なので、考えるのがめんどくさいから『戦国時代の戦い』から拝借。今後の登場は未定。


クラウス・メルケー……通称『若様』。金髪碧眼。白の軍服を着用。


最初はバス事故の予定でしたが、いろいろありましてリメイク。


この作品、最初の予定では『人妻勇者と転生魔法使い』というタイトルでした。

魔法使いのほうは5話より後に登場する予定です。タイトルはまた元に戻すかもです。


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