高校生神王の遠征
真希凪は、小高い丘を登っていた――登っているはずだった。
頭上には憎らしいほどに眩しい太陽。そのしたを平然とした足取りで進む人影に、真希凪は目を細めつつ、かれこれ一〇回目になる言葉を投げ掛ける。
「おーい、エミステラ。……まだ目的地につかないのか?」
「もう少しですよ、真希凪様」
そのエミステラの返答も、また一〇回目だった。
今日は土曜日。午前授業から帰宅した真希凪は身支度もそこそこに、天界――天界城に転送された。目的はひとつ。先週に決めた、第五天界地区への用事を果たすためだ。エミステラは「いつでもいい」といっていたものの、同時に「できれば二日間欲しい」ともいっていたので、学生である真希凪としては週末しか選ばざるを得ない。
相手に選択の権利を委ねるふりをして、その実は他に選ぶ余地はないという手法をとるエミステラは、実に狡猾――べつの言い方をすれば優秀な教育係だといえるだろう。少なくとも、最初から「週末をあけてください」といわれるよりは、よっぽどよかった。
それに、エミステラが「二日間欲しい」といえば、それはおそらく「二日以上でも二日以下でもなく、きっかり二日」という意味なのだ。真希凪はそれくらいエミステラを信頼しているし、それについて問題はない。
それに、天界城の外に出るのは初めてだということ、そして天界の街を探索することができるということで、真希凪はこの機会をピクニック気分で捉えていた。
であるから、そのことはいま、真希凪の気分を沈ませる直接的な原因ではない。
問題はべつにあった。
「たしか俺たちは、『少し小高い丘を登っている』んじゃなかったのか?」
額の汗を拭いつつ、真希凪は問い掛ける。
「そうですが」
「かれこれ俺たちは二時間ほどこの緑の道を登っているわけだけど、それでもおまえはこれを少し小高い丘と形容するのか?」
「……そうですね」
「少し逡巡しただろ、いま」
歩みを止めず、エミステラはまえを向いたまま答える。
「逆にお訊きしますが、もしわたくしがこの山を『少し小高い丘』ではなく、『片道二時間は掛かる山』だといったら、真希凪様は着いてきましたか?」
「な、え、エミステラ、おまえ、嘘ついたのか!?」
「お答えください、真希凪様」
悪びれる様子のないエミステラに、真希凪は諦めにも似た一種の爽快感を覚えつつ、
「……べつの方法を提案しただろうな、たぶん」
「そうでしょうね。ですが――」
エミステラは振り返る。逆光で、その表情は読めなかった。
「残念ながら、べつの方法はないのです」
「ないって……そんな。転送装置とかはないのか? 眷属転送みたいな」
「ありません。あれは神王とその眷属のみに許されたものですから」
「なら、なにかほかに移動機関は? ないはずはないだろ、だって第二に移動するためにみんながみんな、こんな道のりを歩くはずが……」
「ええ、歩きませんとも」
と、エミステラはうなずく。
「じゃあ、あるんだろ? 鉄道とか、自動車みたいなやつが」
「真希凪様は天界に来てから、そのようなものを目にしましたか?」
なかった。
もちろん、たんに真希凪が外に出た経験に乏しいということもあるが、それでも少なくとも、天界城から見渡すかぎりでは、その城下町には鉄道も自動車も走っていない。
「……ひょっとして、ないのか?」
「そのあたりについてはもう少し先の天界地理学の授業において扱う予定でしたが、べつに構わないでしょう。……幸い、時間はたっぷりありますし」
「たっぷりあるのかよ……はあ」
その言葉の意味することを真希凪はしっかりと汲みとって、その分だけ深いため息をつく。
まだまだこの山道は続くようだった。
「では、真希凪様。まずは復習からいきましょうか――天界の構成を述べてください」
「いきなりか。……えっと、天界は天界城を中心にして、その特色ごとに第一天界地区から第六天界地区までわかれているんだよな」
朝四時からエミステラに教えられた天界地理学の授業を思い出しつつ、真希凪は答える。
「各地区の特色は、天界城のすぐ周辺を取り巻く、政治を担う第一地区があって、そのさらに周りを、天界貴族が住む第二、教育都市の第三、文化の中心である第四、農林及び水産を受け持つ第五がぐるっと囲んでいる。そしてそれをさらに囲うように、平民が住む第六がある――で、あってるっけ?」
それなりに自信はあったが、真希凪はエミステラの機嫌をうかがうように尋ねる。
「よく勉強されていますね」
どうやら正解のようだ。
「だってエミステラ、間違えたりすると怖いし」
「間違えなければいいのです」
「……そりゃそうだ」
身も蓋もなくなるような返答だった。
「そして先ほどの真希凪様の疑問ですが、自動車はありませんが、鉄道網はあります」
たしかに、天界で自動車が交通渋滞を起こしている光景は、想像しがたかった。
「鉄道は第二から第五地区をつなぐように、また第六地区の内部に存在しています。そして第二から第五地区の鉄道網と第六地区の鉄道網を結ぶようにもありますが、第二から第五地区と天界城を繋ぐものはありません」
「つまり、天界城のある第一地区は、周囲から孤立してるってことか」
「そういうことです」
「でもそれだと、不便じゃないか? 第一地区のやつらはどうやって、他の地区に移動しているんだ?」
「ひとつは、自分で飛んで移動しています」
「ああ……なるほど」
なんともシンプルな答えだった。
そういえば、天界人には翼があるのだった。真希凪は頭上を仰ぐ。そこには交通渋滞とは無縁であろう、自由な空が広がっていた。
「ですが一方で、第一地区に拠点をおくような要人たちが、自身の翼で空を飛ぶということはほとんどありません。だいたいがほかの飛べるものに乗り、空を渡ります」
「要するに、リムジンとか、チャーター便みたいなものか。ならなんで、それに乗せてくれなかったんだよ。俺も神王ってことは、要人だと思うんだけど」
「そうです、真希凪様。貴方様は神王なのです――いくら眷属の尻にひかれていても、この程度の山道でヘトヘトになっていても、それにかわりはありません」
「エミステラ、本当にそう思ってる?」
「当たり前です。そうでなければ、わたくしもこの道にお付き合いしていません」
その背に生えた純白の翼を見せつけ、エミステラはいう。
「とにかく、真希凪様は神王、それは確定事項です。ならば真希凪様が乗るものも、それ相応のものでなければなりません。それを、いまから行く第五地区で手に入れるのです」
「それ相応のもの、ねえ。なんだろうな」
首をかしげる真希凪に、エミステラは含むような笑いを携え、
「真希凪様には、すでに馴染みのあるものです」
「馴染みのある? それっていったい――」
「さあ、それは御自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか」
そう言われてはじめて、延々と続いた山道が終わりを迎えかけていることに真希凪は気づく。エミステラを追い抜かし、残りの坂道を駆けあがる。
登山からの解放と、視界に飛び込んできた広大な草原を目にして、真希凪は歓声をあげる。
「ここが第五天界地区か!」
第五天界地区は農林・水産の機能を担っているということもあり、自然に溢れていた。
地平線が視認できるほどに拓けた、青々とした平原。いくつも並べられた風車は雄大にその羽を回しており、その足元からは濃い影が伸びている。
深呼吸をすると、緑の匂いが肺を満たす。途切れることのない青空に、白い雲が列をなしていた。風が吹くと、それは広がる草木を押し倒して進み、濃い緑の波がその軌跡を彩った。
「どうですか? 真希凪様」
「なんか、いい感じだな。こういうところに住んでみたい、っていうか」
「天界城では不足ですか」
エミステラは苦笑する。
「いや、そういうわけじゃなくて……でも、あそこはなんていうか、少し堅苦しいというか……。俺みたいな人間には、こういうところがいいかな」
「真希凪様――」
なにか言いかけたエミステラが、ふとなにかを捉えた。真希凪もそちらの方向に視線を走らせると――、
「そうね、あんたみたいな人間には、こういうところの犬小屋あたりが、お似合いかもね」
第二章スタートです。
次回更新は明日の予定です。