高校生神王の日常(2)
一〇〇日ゲーム。
それは、人間界で行われたとあるゲームを指す。
一〇〇人の参加者が、神意と呼ばれる能力を駆使し、他の参加者を倒していくという、簡潔にして明瞭な一〇〇日間のバトルロワイヤル。
しかし、勝者に与えられる報酬は絶大だった。
世界を統べる世界神王の座。
それが、一〇〇日ゲームの勝者に与えられる、優勝賞品。
はじめは半信半疑であった参加者も、神意という奇跡のような力をまえには自分たちよりも上位の存在を信じるほかなく、やがてその神王の座というまるで眉唾ものの報酬も信じるようになったのだ。
真希凪も例外ではなく、ほかの多くの参加者と同じように、徐々に信じるようになった。
しかし、べつに真希凪は神王になりたいと思っていたわけではない。
はじめはただ、がむしゃらだった。むしろ、面倒なことに巻き込まれたことを憂いつつ、それでもなお、負けるのが癪だった。だから、戦い、勝ち抜いた。それだけだ。
それでもやがて、真希凪の心にひとつの想いが芽生えるようになった。
だが――、
「はあ」
大神高校への通学路を歩く真希凪の表情には、そのような思いなど欠片ほどもなかった。あるのはただ朝飯を食べ損ねたことによる空腹感と、帰宅後、エミステラにどやされることに対する憂鬱感だけであった。
そんな真希凪の肩を叩く、ひとりの男子生徒の姿があった。
「おはよう、浅葱。どうした、朝から沈んだ顔して」
「両國」
振り返ってみれば、そこには一年生からの友人である、両國重富だった。その重々しい名前を裏切らない真面目な委員長のタイプの人間であり、クラスメイトからの信頼も高い。
「いや……朝飯、食い損ねてな」
真希凪は簡潔に結果だけを伝える。
重富は一〇〇日ゲームの参加者ではない。一〇〇日ゲームは人間界で行われていたが、その存在は当然、秘匿されていた。であるから重富は真希凪がその優勝者であり、かつ神王となったことも知らないわけであり、朝の騒動について子細に説明するわけにもいかないからだ。
重富は器用に片方の眉を持ちあげ、
「なんだ、寝坊か? 朝は食べないと駄目だぞ。午前中の活力の源だ」
「ま、午前は省エネ運転で乗り切るさ」
「浅葱の場合、省エネっていうより、そもそも運転をしない感じがするけどな」
「ほっとけ」
「もちろん、ほうっておくとも」
しかし、口ではそういいつつも、重富がほうっておくことのできない人間であることを、真希凪は知っていた。そうでなければ自分に話し掛けてくるなんて真似はできないだろうからだ。
少しまえの――一〇〇日ゲームがはじまるまえの自分が少なからず荒んでいたことを、真希凪は自覚していた。あのころはすべてが面白くなかった。そんな真希凪にとって、一〇〇日ゲームはある意味で丁度いい刺激だったと言えよう。
そしてそこで出会った、様々な参加者の面々も。
彼、彼女らは、いまもこの世界で、ほとんどが普通の生活を送っているはずだった。
「……あいつらはいま、どうしてるんだろうな」
そのつぶやきが重富の耳に入ることはなかった。重富の視線は、大神高校の正門のあたりに釘づけになっていたからだ。
「うん?」
つられて真希凪もそちらの方向に目を向ける。なるほど、たしかにそこには生徒たちによる群れができており、時折、黄色い歓声も聞こえてきた。
嫌な予感がした。
重富が真希凪の抱いた予感と同じことを、口にする。
「水星だ」
「……そうだな」
たっぷりとした長髪。洗練されたプロポーション。そして、思わず息を呑むほどの美しい顔立ち――大神高校に通う二年生にして、大神高校のアイドル、水星恋子が、泉のごとく湧き出る愛情を、周囲にばら撒いていた。空間が歪むではないのかと思うほどの熱っぽい視線にも軽やかに微笑み返すその姿勢は、まさにアイドルだ。
しかしその表情が、かすかに揺らいだ――突如乱入した、男子生徒によって。
「水星さん!」
どよめく生徒たち。
「なんだ、決闘の申込みか?」
そんなはずはなかった。
「――す、好きです! 付き合ってください!」
離れた真希凪たちのところまで届く、男子生徒の決死の叫び。やがて、彼女の顔に、口に、不躾な視線が注がれる。真希凪のとなりで重富が、小さく息を呑んだ。
彼女はしばし呆けていたものの、すぐに困惑したような顔をつくり、
「……ごめんなさい」
と言った。男子生徒ががっくりと肩を落とす反面、周囲の生徒たちはどこか安堵にも似た吐息を漏らす。その様子を見て真希凪は、もし彼女が了承していたら、男子生徒はたちまち袋叩きにあっていたのではないかと思う。
「……不幸中の幸いってやつだな」
「うん? なにがだ?」
「いや、なんでも。……犠牲者はあれで、何人目だ?」
「犠牲者とは、言い得て妙だな」
重富は苦笑する。
「たしかあれで、通算九九人目だ」
「おいおい、ついに三桁突入かよ」
「水星のやつ、どこまで記録を伸ばすんだろう」
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、っていう諺の反証をするまで、とか」
真希凪の言葉に重富は、
「……まえから思っていたんだが、浅葱は彼女が嫌いなのか?」
「まえって、どれくらいまえからだ?」
「具体的にはわからないが、冬休みが明けてからだから……三か月まえくらいか」
三か月まえ――すなわち、約一〇〇日まえ。
「いい勘してるぜ、おまえは」
「……なにか、あったのか?」
「まあ、いろいろと」
まだなにかいいたげな重富から視線を外し、真希凪はつぶやく。
「まったく、あいつもよくやるよ」
彼女がふと振り返った。真希凪の漏らしたつぶやきが聞こえたのだろうか。だとすれば彼女は相当耳がいいはずであり、事実彼女は、耳がよかった。
彼女は群衆のなかに真希凪の姿を視認すると、口をぼそぼそと動かした。
「なんだ?」
重富が怪訝な表情をする。
しかし真希凪には、彼女がなんと言ったのかはっきりと理解することができた。
「あの野郎」
「なに見てんだ、バーカ」
と、彼女は言ったのだ。