高校生神王の問答
「だてに、神王を名乗ってないだろ?」
「ふん、笑えない冗談だわ」
「ああ、本当のことだからな」
「――っ! だから、いまはもう、あたしが神王なの!」
反射的に、真希凪は右に飛んだ。
風もないのに草木が折れ、濃い緑の道を描く。恋子の《見えざる手》が、真っ直ぐに伸びていたのだろう。
しかし、いまかわすことができたのはたんなる偶然だと、真希凪はわかっていた。
あたりには障害物のひとつもない。自由自在にして変幻自在の《見えざる手》を、このままで回避し続けることはとうてい不可能だろう。視界の隅に雑木林を見つけ、真希凪は走り出した。エミステラたちからは離れてしまうが、仕方がない。
「そういえば、まともにおまえとやりあうのは初めてだな!」
ジグザグに動きながら、真希凪は肩越しに叫ぶ。
雑木林に逃げ込むまでは、とにかく動き回って避けるしかない。だが、いまこうして走っている次の瞬間にも、いつのまにか前方に待ち構えていた《見えざる手》にとらえられてしまわないともわからないのだ。
「やりあう? 逃げ回るの間違いじゃなくて?」
「うっせー、逃げてから反撃するんだよ!」
「もちろん、逃がさないけどね!」
「!」
手にしていた砂をうしろに振り撒く。砂粒は弾かれることなく、重力に従い落ちる――そこに、《見えざる手》はない。ならば。
「上か!?」
砂を投げかけるワンモーションが惜しい。
体勢が崩れることもいとわず地を蹴る。手を伸ばす。指を伸ばす。眼前の岩に向けて。
「《伸びろ》!」
グンと、体が加速するのがわかった。
巨大な岩は神に命じられるままにその姿かたちをかえる。それはさながら、槍。雑木林をめがけ、その身を細くしつつ伸びていく。間髪を置かず、真希凪がいたところの地面が音を立てて弾けた。危なかった。しかしこれなら、逃げ切れる。
限界まで細くなった岩から手を離すと、真希凪は振り返った。
丘の上に、小さくなった恋子の姿が視認できた。一〇メートル以上、距離はとれているだろう。《見えざる手》の射程距離外にたどりついたのだ。
「……どうにか逃げ切れたか」
すっかり近くなった林に歩みを進めようとした、そのときだった。
「――!」
「……なんだ?」
恋子が叫んだのだ。
なんといったかはわからなかった。しかし。
「まさか」
瞬時に真希凪の足元を大きな影が埋め尽くし――それは、空から降ってきた。
腹の底に響くような着地音。それほどの衝撃にも耐えうる丸太のような脚。岩石のような巨躯。それらはすべて純白で。しかし、空を裂く稲妻のように割れた口は赤く、瞳は地獄のように漆黒だった。
真希凪は、その名を口にする。
「ライオウ」
深く息を吸い込むライオウ。胸のあたりが風船のように膨らみ、ゆっくりとしぼんでいく。
すさまじいプレッシャーだった。
イッカクもイビツも、二頭をまとめても、比肩できないほどの重圧。さきほどまでは手が届くように見えた雑木林が、夜空に浮かぶ星のように遠くなったようだ。
バチッと、音がした。
「……なんだ?」
ふたたび、音が弾ける。
音の発生源は、まちがいなくライオウだ。ライオウの体が、ライオウの体毛が、なびき、なびくたびに、音を立てている。静電気が弾けるように。雷鳴が轟くように。
イッカクは肉体の硬質化。イビツは双角の伸縮。
「……だから、ライオウか」
ライオウの能力は――放電。
逃げ切れるだろうか?
無理だ。
真希凪のなかでそんな自問自答が、一瞬のうちにかわされる。この脳内でのやりとりは、神経を電気信号が通りなされているものだと聞いたことがある。つまり、やろうと思えばライオウは、これくらいのスピードで、真希凪の体を雷で焼き尽くすことができるということ。
やはり、無理だ。ならば、と、真希凪はライオウに話しかける。
「おい、ライオウ。おまえも不思議なやつだな」
ライオウの顔は微動だにしない。
「天界城まで迎えにきて味方してくれるのかと思ったら、今度は一転、恋子の味方をして。まるで――」
まるで? 真希凪の思考がふと止まった。
「そろそろ、諦めたら?」
いつのまにか、恋子が丘を降りてきていた。その距離、数メートル。
「うぐっ」
逃げなければと思うまえに、真希凪は《見えざる手》に拘束される。
「あいかわらず、便利な神意だな」
「あんたのは、あいかわらず不便ね。……降参しなさい」
「……降参もなにも、俺は最初から負けてるつもりなんだけどな。いうなればこれは、甲子園で負けた高校球児たちが、マウンドの土を持って帰るようなもんだ」
もっとも、持って帰るのは土ではないが。
「じゃあ、なに?」
「さっきからいってるだろ――おまえはなんで、神王になった?」
「さっきからいってるでしょ――器があるからって」
苛立ちを隠さずに、恋子はいう。
「このままじゃ、押し問答だ。質問をかえてもいいか?」
「ご自由に。でももちろん、あたしがそれに答えるかどうかも自由よね。……ライオウ、この男を、あなたの電流で気絶させて。それで、おしまい」
そういって、恋子は踵を返す――しかし。
「……なんのつもり? ライオウ」
立ち去ろうとした恋子の行く手を、ライオウの尻尾が阻んでいた。
怪訝な顔をして振り返った恋子に、ライオウはうなずくかのように喉を鳴らし、目でなにかを訴えかけていたようだった。恋子はその瞳をキッとにらみかえし、
「なにをしているの、早くいうとおりにしなさい!」
ライオウは動かなかった。彫像のように、恋子から視線を逸らさない。
「……時間があるようだから、質問をかえさせてもらうぜ」
真希凪は確信を抱き、口にする。
「……なんでライオウは、ここを離れてまで俺たちを迎えに来たと思う?」
「ライオウ! どうしたの!」
ライオウの体から、プレッシャーが消えていく。
「それにもかかわらず、どうして俺が逃げるのを阻んだと思う?」
「さっさとこの男を黙らせなさい! ライオウ! ライオウ!?」
かわりに流れ出すは、神秘的ともいえる、不思議な感覚だった。
「そしてどうしてライオウはいま、命令に歯向かい、なにかを訴えかけているんだと思う?」
「知らないわよ! いいかげんにしないと、《手》で締めあげるわよ!」
深呼吸一回分の時間を挟み、真希凪はいう。
「――じゃあ、そうしてみればいい」
「――っ!?」
恋子の瞳の奥にある光が、ぐらりと揺れた。
「わかったわよ! なら、やってやるわ! やってやるんだから!」
「…………」
真希凪はゆっくりとまぶたを閉じた。
穏やかな風が頬を撫でる。雑木林のあいだを、音も立てず流れていく。とじたまぶたに、薄雲を透過した柔らかな光が宿る。息を吸い込むと、澄みきった空が、体を満たしていく。
そして。
「……そんなこと」
《手》が、締めあげるどころか、ゆっくりと真希凪の体から離れていく。
「……恋子」
風と、木々と、雲と、光と、空と。
それらにまじり、恋子の嗚咽が、耳に届いた。
「……そんなこと、できるわけないじゃない」




