高校生神王の日常
「真希凪様、おはようございます」
散々な目にあった即位式から数日。
真希凪が神界ネットワークに接続するやいなや、それを待っていたかのようにひとりの女性が真希凪のまえに姿を現した。
「あ、おはようございます……エミステラさん」
真希凪が頭をさげると、エミステラは鼻梁のうえにしわを寄せて、不満そうに口を尖らせる。美人はどんな表情をしても華があるものだと、真希凪は思った。
「真希凪様、何度言ったらわかるのですか。わたくしのことは呼び捨てでいいと。そしてわたくしに敬語を使う必要はないと、常々言っているではありませんか」
「いや、でも、そう言われても。エミステラさんは年上ですし」
「確かにその通りです。わたくしの年齢は大まかに三〇〇。一方で真希凪様は一六。わたくしが真希凪様よりも年上であることに疑いはありません。しかしそれ以上に、そんなことは関係ないのです」
エミステラはなぜか自慢げに胸を張ると、白い天界装束に包まれながらも一目でその豊かさを認識できるボディラインが強調された。
いくら目のまえにあるものが神界と人間界を繋ぐネットワークによって真希凪の自室に映し出された立体映像だとしても、その存在感は圧倒的であり、真希凪は思わず視線を逸らす。
「聞いているのですか? 真希凪様」
「うおっ」
いきなり顔を覗き込まれ、真希凪は大きくのけぞる。それは突然のことによる驚きというよりもむしろ、いまだ見慣れない澄んだ瞳に慌てたということのほうが理由として大きかった。
その真希凪の反応にエミステラは鼻を鳴らし、
「年上に敬意を払わなければ無礼だと考えているのはわかりましたが、いきなりひとの顔を見て驚きをあらわにするというのは、無礼ではないのですか?」
「すいません」
怒っているわけではないのだろうが、それでもエミステラの慄然とした態度に、真希凪は自然と萎縮してしまう。
「それで、わたくしの話はご理解いただけましたでしょうか」
「……わかりました」
「おかしいですね。本当にわかったのなら、そんな言葉づかいになるはずはないのですが」
観念するしかないようだった。真希凪はため息をひとつついて、
「わかったよ、エミステラ」
「よろしい」
エミステラがそう微笑むと、彼女の肩ほどの髪が軽やかに舞った。
硬質な四角いフレームの眼鏡と、厳しめの口調。そのふたつはエミステラの性格をそのままに表していたが、その反面、眼鏡の奥の瞳と叱咤を飛ばす口元は、エミステラが微笑むととても魅力的なものになることを、真希凪は知っていた。
「いいですか、真希凪様」
そんな真希凪の気持ちなど露知らず、ふたたび顔をしかめて、エミステラは続ける。
「貴方様はあの一〇〇日ゲームの勝利者なのです。一〇〇人の参加者により繰り広げられた、一〇〇日間の闘争の、たったひとりの勝ち残り」
「……またはじまったよ」
と、真希凪は小さくぼやいた。
「はっきり言って、真希凪様は世界神王としての意識が欠落しています。なんですか、あの即位式は。たしかに即位演説について真希凪様に一任したわたくしにも非はありますが、それでもあれは酷すぎます」
「そんなこと言われてもですね……じゃなくて、言われてもな。ゲームが終わってしばらく経つけど、いまだに俺は、自分が世界の王だなんて実感が持てないよ」
「なにも、いまの時点で世界神王たれと言っているのではありません」
真希凪の弱音を、エミステラはピシャリと跳ねつける。
「世界神王の自覚を持つよう言っているのです。いいですか、真希凪様。まずは自信をお持ちください。たしかに貴方様はただの高校生ですが、同時にあのゲームの勝利者でもあるのです。それは紛うことなき、真希凪様の実力によるものなのです」
それはもちろん、わかっている。
いや、わかっていた。
しかしその唯一といっていい自信の糧も、いまは粉々に砕け散ってしまったのだ。
「だって、俺の神意は封印されちまったし。……即位式でも、ボコされて終わったし」
「たしかにそれは痛手ですが」
エミステラは渋面をつくるも、すぐに凛とした表情を取り戻し、
「ですがかわりに、貴方様のうしろには天界がついています」
「……俺についてきてくれるかな?」
「大丈夫です、そのためにわたくしがいるのですから。真希凪様が素晴らしい神王になるためのサポートは、わたくし、エミステラ・アルテミスにお任せください。そのためにはまず、神王に相応しい所作等から身につける必要がありそうですけどね」
「……はいはい」
アルテミス家は代々、世界神王の教育係を受け持ってきた家系だ。そのため、彼女たちは幼いころから一流の教育係になるための教育を受けてきている。エミステラもその例外ではなく、優秀だ――教育係としても、ひとりの天界人としても。
「ああ、でも」
と、思い出したかのようにエミステラは言う。
「?」
「あのときの真希凪様の啖呵……わたくしは嫌いではないですよ?」
「――っ!」
軽く目をつむってウインクをするエミステラ。これもアルテミス家流の人心掌握術なのだろうかと、真希凪は高鳴る鼓動を感じつつ思うのであった。
しかしエミステラはと言えば、まるでなにもなかったかのような顔をして、ネットワークの向こうで紙束のようなものを取り出した。
「ではさっそくですが、いくつか溜まっている業務があります」
「げっ」
「まず、書類の確認及び捺印等の雑務処理が数十件」
「すでにいくつかの域を超えている!?」
「それと、天界貴族からの謁見の申込みが数件」
「今度は少ないな」
と、安心するのも束の間、
「これを一ヶ月以内の御自分のスケジュールに組み込んでください」
「なっ!? いやいや、それは無理だろ!? だってもうすでに、予定はいっぱい……」
「できる、できないではありません。組み込んでくださいといっているのです」
非情にも――いや、無情にも、エミステラは言い捨てる。
「だから、できねーっつーの! できるっていうなら、エミステラがやってみろよ! ……いや、やってみてください!」
「わかりました。では、天界史及び天界地理学の授業を早朝に移動します。したがって明日からの真希凪様の起床時間は朝の三時に――」
「それは朝じゃなくて夜だ! やっぱりいい、自分でやる!」
「そうですか。では次に、来週中に行う予定の第二天界地区査察の細かい日程ですが――」
まずい。このままでは、いろいろと困ったことになる。なにがとは具体的にいえないが、大雑把にいえば、自分のこれからの高校生活が。
そう察した真希凪はおずおずと手をあげ、
「あのー、エミステラ。俺、そろそろ学校に……」
「はい? なんですか、真希凪様。立派な神王になりたいと? 素晴らしい心掛けです」
「うっ」
あえなく撃沈した。
エミステラは真希凪を蔑むかのように目を細めるが、やがて肩をすくめて、
「まったく……。ですが、最初から詰め込みすぎるのも酷というものでしょう。それに、高校生活との両立は達成しなければなりませんし」
「そ、それなら!」
「ええ。しかし、お耳に入れておきたいことがいくつか。まず、第五天界地区から、天界獣が脱走しました。危険度はBランク。大事にならないうちに天界兵に見つけさせます。そしてもうひとつ――あっ、どこに行かれるのですか、真希凪様!?」
「決まってるだろ、学校だよ!」
堪え切れなくなった真希凪は、脱兎のごとく部屋を飛び出した。天界ネットワークを介して喚き散らすエミステラの声を背に受けつつ、真希凪は彼女の機嫌を直す方法に頭を悩ますのだった。