眷属の告白
あの場所から、どうやって地上に戻ったかはわからない。
階段を重い足どりで引き返して来たのか、それとも初代神王の力で地上まで飛ばされたのか。だが、どちらにせよ結果は変わらない。
天界城の外はすでに夕方、空は藍色に染まり、太陽が沈む地平線の近くは情熱的に赤く、その反対側の空は静謐な濃紺色にあふれていたということ。
結果とはすなわち、自分が神王の器ではなく――いや、そのことはすでにわかっていたことだが――恋子こそが、真の神王たる人物だった、ということだ。
「俺はあそこで負けるはずだった。そこを、恋子が助けた――助けてくれた。けど、そのせいで恋子は神王にはならず、俺が神王になった。……なってしまった、か」
なってしまった。
その言葉が、まさに本当に言葉通りの意味だったとは。
笑おうにも、もはや笑えなかった。
「……真希凪様」
「エミステラは、知ってたのか?」
俺が、未完成品だって。
真希凪は自嘲気味に、いや、正真正銘の自嘲として、いう。
「……いえ、知りませんでした」
「おかしいとは思わなかったのか?」
我ながら、意地の悪い質問だと思う。
「いえ、その……正直なところ、聞いていた話とは違うと、思いました」
「聞いていた話、ってのは?」
「ですから、教育係の教育の、知識の一環として、聞いてはいたのです。選定の儀は、神王の器をはかるものだと。どのような天界獣を選び、またどのような天界獣に選ばれるかをみることで、その神王の器がわかる、と。……しかし」
「俺はどんな天界獣を選ぶどころか、選ばれるどころか、それすらもできなかった、と」
「…………」
エミステラは無言だった。しかしこの状況における無言は、肯定の意思表示に他ならない。なるほど、今回、初代神王に呼ばれた理由は、エミステラのそうした疑問にあったのかもしれない。
「……恋子は、知ってたのかな」
「いえ、それはないかと思います」
エミステラは語気を荒くしていう。
「恋子さんだけではありません。この事実を知るのは、真希凪様と、初代神王様と、わたくしだけです。……ならば、隠し通すことができます」
「……どういうことだ?」
隠し通す。エミステラのその言葉の意味は。
「そのままの意味です。いいですか、真希凪様。神王様の任期は一〇〇年。真希凪様は残り九九年と三三九日を神王として過ごさなければならないわけです」
「ちょ、ちょっと待て、エミステラ」
「いいえ、待ちません、真希凪様。たしかに真希凪様には神王としての器はないのかもしれません。しかし真希凪様は一〇〇日ゲームでも最後の三人まで残りました」
「いや、だから」
「封印されているとはいえ、神意もすばらしいものです。それに――いえ、なにより、真希凪様はきちんと天界獣を従えているではありませんか! ならば誰一人、真希凪様が神王ではないと疑うものはおりません! ええ、そうです、ならばわたくしたちは――」
「エミステラ!」
「――っ」
真希凪の叱責に、エミステラは体を震わせる。
「……いや、悪い。でもエミステラ、おまえは本当にそれが最善だと思っているのか?」
「ベストではないかもしれません。しかし、ベターではあると思います」
エミステラらしい発想だった。
「なるほど。つまりエミステラ、おまえの答えは、俺がこのまま神王をやる、ということか?」
「――はい」
「そうすることのメリットは?」
「むしろ、真希凪様が神王をやめることによるデメリットですが」
エミステラはいう。
「単純な話、次期神王に値する器のものがおりません」
「……なるほど、だから任期は一〇〇年なのか」
一〇〇日ゲームの参加者は、それこそ老若男女、生まれも千差万別だった。彼らは、一〇〇年のあいだに生まれ、そして一〇〇年のあいだに天界によって精査された、神王の器を持つものだったのだ。
「正確には、神王の器を持つものではありません。神王の器の原石を持つものです。そして今回の一〇〇日ゲームの結果、神王の器を持つものは、恋子さんのみだった――そういうことです」
だから、次の一〇〇日ゲームを開催しようにも、器を持ちうるものがいないのだから、開催しても仕方がない、ということだ。
「そいつらよりは、俺が神王をやったほうが被害は少ない、そういうことか。……たしかに、ベストではないが、ベターだ」
「被害って……そういう意味では」
「でもそれなら、エミステラ。まだほかにも、ベストの方法はあるんじゃないのか?」
ふと、エミステラの表情が翳った。
「どういうことでしょう」
「わからないはずはないと思うんだけどな。……要するに、俺はベストでなくベター。それなら、ベストのやつにかわればいいんじゃないか、ってことだ」
つまり。
「俺が神王をやめて、恋子にかわればいい」
「……たしかにその通りです。しかし真希凪様――貴方様はそれでいいのですか」
「どういうことだよ、それでいいっていうか、それしかないだろ」
「……ユミルさんのとき、真希凪様は、ユミルさんを傷つけないように、自ら傷つき、しかしユミルさんを守りました。あのときの気持ちは、いいのですか」
「いいって、どういうことだよ」
「…………」
無言の迫力に圧され、真希凪は渋々と口をひらく。
「あのときは、俺が神王だと思ってたからだ。でも、それは間違いだった。あのときはうまくいったけど、今回は――いや、これからは、そうともいかないだろ。それこそ無責任ってもんだ」
エミステラは、なにもいわない。
「それに、本当なら恋子が神王になるはずだった。なら、そこに不当に俺が居座っているのは、おかしいだろ。少なくとも恋子はそれを知る義務がある」
「……なるほど、真希凪様の言い分はわかりました」
エミステラは渋面をつくりうなずく。
「じゃあさっそく、恋子を探して連絡を――」
「その必要はないわ」
真希凪は弾かれたように声の主をさがす。
が、正確には探す必要はなかった。天界城の城壁のうえに、大きな山があったからだ。それは明らかに、恋子の大きさではない。
「……恋子」
天界獣のそれだった。
そこには天界獣を左右に控えた、恋子が屹立していた。
「話は聞かせてもらったわ。――そしてこれで、確信が持てた。やはりあたしが、神王になるべき存在、器だったのね」
いつのまにか月が雲間から顔を覗かせていた。垂直に落ちる月光が、恋子の顔に影をつくっていた。
恋子は、笑っていた。
「おかしいと思ったのよね。こんな簡単そうな――簡単なこともできないなんて。やってみたら案の定、簡単すぎたわ。さすがに何十体も連れてくるとユミルがかわいそうだから、強そうなこの子たちだけにしたけど」
「……天界獣を二体も従えているなんて」
エミステラがいう。
そう、恋子はあろうことか、天界獣に二体を連れていた。一本角と、二本角。一本角の天界獣は、ライオウに負けず劣らずの巨躯。長い一角は月の光を浴び、青白く輝いている。二本角のそれは禍々しくねじ曲がり、夜の空を雄々しくも突いていた。
「紹介するわ。一本角がイッカクで、二本角がイビツ。……べつにあたしがつけた名前じゃないわよ。それに、ユミルに聞いたわけでもない――この子たちが、教えてくれたの」
恋子は月光を照り返す真白の腕をふと持ち上げ、一本角の――イッカクの喉に手をやり、優しく撫でる。グルルと喉を鳴らし、目を細めるイッカク。となりにいた二本角――イビツは怒ったように鼻を鳴らすと、恋子は「ごめんごめん」といい、その頭に手を置く。
そして、思い出すかのようにいう。あたかも、散歩中にふと目に入った一輪の花に、なにげなく声を掛けるかのような自然さで。
「どう? 真希凪」
「……なにがだ」
「これが、天界獣と心を通じ合わせるということよ。決して暴力ではなく、この子たちがあたしを受け入れ、あたしがこの子たちを受け入れる」
「へっ、そのくらい、俺にもできるっつーの。……ライオウ!」
同意を示すかのようにライオウは短く唸り、真希凪に近づく――そのときだった。
「――ライオウ」
月の光のように静謐な恋子の声が、真希凪と、ライオウの耳に届いた。
「ライオウ? ……おい、ライオウ!」
ライオウはまるでユミルの笛の音を耳にしたときのように、ふらりと一瞬体勢を崩し、そして翼を広げる。
「こっちへ来なさい、ライオウ」
「……まさか」
エミステラがつぶやく。驚きをあらわにする。
恋子の言葉に魅せられたかのように、ライオウは引き寄せられる。吸い寄せられる。
「恋子、おまえ、ライオウになにをしやがった!」
「なにをしたって、心を通じ合わせただけよ。神王ならば、普通にできること」
そういって、恋子はふわりと、ライオウの背にまたがった。イッカクもイビツも、ライオウには逆らえないようだ。不満げに喉を鳴らすも、その両側で翼を広げる。壮観だった。
「……短いあいだだったけど、ご苦労様、真希凪」
ライオウの白銀の翼が、闇夜を裂いた。
「おい、恋子――恋子!?」
真希凪は必死に叫ぶも、濃い闇のカーテンがそれを阻むかのように、立ちはだかる。
「ありがとう」
恋子は真希凪に背を向け、その顔は見えない。
「そして」
しかし。
「……ごめんなさい」
恋子の目元で、光が瞬いたような、気がした。




