高校生神王の即位式
『えー、天界のみなさん、はじめまして』
会場の静謐な空気を、マイクで拡大された真希凪の声が震わせた。
心なしか、遠くに見える薄雲まで揺らいだようにも見える。真希凪は自分がいましていることの壮大さを改めて実感し、ゴクリと生唾を呑んだ。幸い、その音がマイクに拾われることはなかった。
『このたび《世界神王》に即位した、浅葱真希凪です』
どんな反応が来るのかと身構えていた真希凪だったが、あとに続いたのはハウリングのみだった。キーンという甲高い音が、晴れ渡る空のした、虚しく木霊する。拍手は皆無に等しく、場内にはどこか白けた雰囲気すら漂っていた。戸惑う真希凪のとなりに控えていたエミステラだけが、力強く手を叩いていた。
たっぷり一〇秒、居心地の悪さを感じるだけの時間が過ぎたあと、真希凪は逃げ出したい気持ちを必死に堪えて、ふたたびマイクに口を近づける。
『たぶん、俺みたいな人間、それも、ただの高校生……って言ってもわからないか、ええ、とにかく俺みたいな子どもが神王に即位しても、みなさんも戸惑うばかりだと思います』
眼下にはおびただしい数の群衆が、まるで暗雲のように広がっていた。
頬を伝う汗は、この暑苦しい王衣のためだろうか、はたまた地上よりも少しだけ近づいた太陽によるものだろうか、それとも。
『でも、それは俺も同じです』
空と太陽とのあいだに存在する天界の中心――天界城。
その中央広場を見下ろす位置で、真希凪はひとり、言葉を絞り出していた。
『みなさんも御存知でしょうが、俺は《一〇〇日ゲーム》の勝者です。けど、それだけです。わけのわからないまま力を与えられて、戦いあって、そして最後に残っただけなんです』
息が苦しかった。
『もちろん、最後の勝者が神王の座に就くことは知っていましたが、俺としてはただ、生き残るために戦っていたら最後のひとりになっていて、そして結果、ここにいる……ちがうな、言いたいのはそういうことじゃなくて』
しかしそれは、空気が薄いからではなかった。むしろ逆だ。空気が重かったからだ。一息吸い込むたびに、肺のなかは、体のなかは、はち切れんばかりの重圧に蝕まれていく。それこそ、このまま自分は破裂してしまうのではないかと思うほどに。
真希凪はとなりに控えるエミステラの顔をちらりと盗み見るが、エミステラの視線は遠くの一点に向けられており、助けの求めようもなかった。もっとも、仮に真希凪が助けを求めても、エミステラが手を貸すことはなかっただろうが。
『ええと、だから俺は、その、一年生みたいなものです、神王の一年生、もう高二なのに……はは』
そう言ってから真希凪は、顔が羞恥に染まるのを感じた。
なにを言っているのだろう、自分は。
そして、なにを言おうとしていたのだろう。
エミステラに言われ、即位演説のために用意してきた文章など、とっくに忘れてしまった。思考をまとめようにも、まとまらない。一本の長い紐をがむしゃらに絡ませようとしても、形にならぬまま、ストンと落ちてしまう感覚。そして自分自身さえも、落ちていく感覚。
「――真希凪様」
「!」
エミステラのつぶやきで、真希凪は我を取り戻す。
群衆たちは、黙り込んでしまった真希凪を見て、ざわついていた。しかしそれは、決して彼らが真希凪を心配しているわけではない。むしろその喧騒は、ほとんどが好奇と嘲りにより構成されているようだった。
情けない神王を囃し立てるような、そんな騒々しさ。
だがそれは、彼らの意図するものとは別方向に、機能した。
「……さっきは無反応だったくせに、こういうときだけ……ズルいぜ」
「真希凪様?」
そう、すなわち、真希凪の闘争心を煽るような形で。
『――やい、おまえら!』
気づけば真希凪は、壇上の縁に足を掛け、マイクを固く握り、そう叫んでいた。
『さっきから俺が大人しくしていれば、つけあがりやがって! おまえらは俺なんてお呼びじゃねーと思ってるんだろうけどよ! 俺だってべつに、神王になりたいと思ったわけじゃねー!』
「なっ、真希凪様!?」
エミステラが慌てて真希凪に掴み掛かるが、真希凪はそれを振り切り、続ける。
『でもよ、一〇〇日ゲームの勝利者が神王になるっていう取り決めなんだろ!? おまえらの都合であんなクソゲーを俺たちに押しつけて、それで俺が神王になったら文句を言うだなんて、いくらなんでも勝手すぎるんじゃねーか!?』
真希凪の言葉に、それまで口を噤んでいた群衆たちは、次々に声を荒げはじめる。
「黙れー!」「調子乗ってんじゃねーぞ、人間!」「さっさと人間界に帰りやがれ!」「引っ込め童〇野郎―!」「そうだそうだー!」
『なっ……、う、うるせー! ち、ちげーよ! ……いや、ちがくねーけど! つーかそんなこと関係ねーだろ!? やんのかコラー!?』
「おうおう、やったるわー!」「いますぐそこから引きずりおろしてやる!」「血祭りにしてやるぜ童〇野郎!」「そうだそうだー!」
「だ、だからそれは関係ないっつってんだろ!?」
それは、売り言葉に買い言葉だけでは済まなかった。
群衆のなかから宙に躍り出る複数の影。人間と同じ姿をしたものもいれば、鷲やライオンのような頭を持つものもいる。いずれも天界人であり、その顔には怒りの形相を浮かべていた。
一方で真希凪も、さっきまでの強張った表情はどこへやら、口を斜めにし、雄叫びをあげる。
「へっ、いいぜ、ここで俺の力の素晴らしさを見せつけてやる!」
「駄目です、真希凪様!」
「止めないでください、エミステラさん!」
「いえ、そうではなく――」
エミステラの言葉など聞かず、真希凪は右手をかざし、叫ぶ。
「《神意》!」
しかし。
「……あれ?」
発動するはずの神意は、発動しなかった。
呆然とした真希凪の耳に、エミステラのため息まじりの声が届く。
「神王となった貴方様の神意は制限項目ですので、使用することはできません」
「それを早く言ってくださいよ……って、早くも囲まれた!? くそ、こうなったら肉弾戦だ! かかってこいやー! って、集団で来るのはズルいぞ……ギャー!?」
たちまち血の気の多い天界人にボコボコにされる真希凪を後目に、エミステラは呆れ果てた様子で言葉を漏らす。
「やれやれ、即位式で天界人に袋叩きにされる神王……天界はどうなるのでしょうか」
「モノローグはいいから、早く助けてくださいよー!?」
浅葱真希凪、一六歳。大神高校二年生。
一〇〇人の参加者によって一〇〇日間行われた一〇〇日ゲーム。
その唯一の勝利者となった真希凪には、最初に掲示された通り、とある優勝賞品が与えられ、それを境に真希凪の生活と肩書きは一変した。
優勝賞品。
それはあろうことか、世界を統べる神王の座だったのだ。
浅葱真希凪、一六歳。大神高校二年生。兼、世界神王。
これは世界神王となった――いや、なってしまった真希凪の、後日談。