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第四十二話 地に足をつけて (遭難編 第七部)

 目に見えない物は斬る事は出来ない。

 見える物でも斬れない物は多々とある。

 今のこの世界には矛盾が蔓延り、人は思い通りに事を運ぼうと躍起になる。思惑を練り、反抗する者を排除し、自分より優秀な者や劣っている者を糧として貪る。

 人間の欲深さは神をも恐々とさせ、それが災いし一度滅んだ。…方舟に乗った数少ない者達を除いて。

 時が経っても、人の欲深さは変わらない。

 数が増えれば欲は増え、欲が増えれば質も増す。

 誰よりも富を、権力を、名声を、力を、全てを誰よりも多く…

 そんな人間は今一度、滅べば良い。

 今度は誰も残さず、情を与えず、ただ静かに滅ぼすのだ。

 人間は嫌いだ。大嫌いだ。

 小さく、脆く、拙い者達が多過ぎる。…だから、神になりたい。

 愚かな人間達に洪水を与えられるような、そんな神に。

 ああ、でも、これもまた欲の一種なのだと、誰よりも自分が理解してしまう。だから、全てを忘れよう。何もかも……全てを……

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 回想は終わり、夜の存在しない森にて雨が降る。敵を倒しては身を隠し、森を探って機会を伺う時は終わりを迎えた。

 曇天から雨が降りしきる。

 そういえば、初めて妖怪を殺した時もこんな感じの雨だったな。不意に心の中に去来した懐かしさに、罪悪感に近い物が混ざり合う。

 混在する記憶は微かな熱を帯び、あの日からの日々を追想させる。

 手に残る感触は生々しく

 振り下ろす刃は血の涙を流し

 幼き自分の眼は雨と涙に濡れ輝く

 今目の前で降りしきる雨はとめどなく過去の自分を責め立てる。

「過去の自分に対する試練…なんとも趣味の悪い趣向だろうな?」

「そうね。自分の嫌な記憶、拭い去りたくとも拭いきれない記憶を見せつける事で心を乱す。それがこの森自体にかけられた呪い…と言った所かしら」

 切り立った崖の上に立つ俺とカゲメは刀を一振りずつ握る。

 俺の左手には雷の具現『妖刀 虎狐』。

 カゲメの手には光の一切を拒絶する影の刀。カゲメ曰く、『異刀 影糸』と言う刀は彼女が先程命名した付け焼き刃の名だ。だが…

「本当は分かっていたのよ。ただ、やっぱり認めたくなかったのね。自分がもう人ではない事を、人であってはいけない事を」

 刀を握る小さな手が震えている。

 彼女の長く黒い髪、同じく黒いワンピースは彼女が妖怪であり、影である証だ。

 どれだけ人のような生活をしても、どれだけ人と関わろうとしてもそれは幻、儚く消える。

『影糸』とは、自らを戒める鎖なのだとカゲメは言った。影な己を、糸は敵を捉えて縛り上げ、やがてはどちらかを絞め殺す。

『異刀 影糸』とは、つまりカゲメの覚悟の証だ。俺の『妖刀 虎狐』のように、自分が思う覚悟を形にした物。…最初に会った時とは比べ物にならない、目的を確立したカゲメの道。

 その道を邪魔する者は何人もおらず、引き返す為の手段の無い一本道は伸びる。

 カゲメは刀を取り戻す事で、ようやく悪鬼の業から抜け出せたのだ。

「さあ、仕事をしましょう。ツチカもそろそろ配置に着いた頃でしょうし」

「ああ、天気は上場。後は…土花次第だ」

 虎狐を天へと真っ直ぐ伸ばし、大粒の雨を地へと打つ雲の中から自分の探す雲を探り当てる。

 雲の数は決して多くないが、作戦決行に支障は無い。…森場を誘き寄せるくらいならな。

「カゲメ、影の配置は?」

「結界のある窪み、並びに洞窟や不自然に拓かれた場所のべ四百二十カ所。その全てに眼を光らせてるわ。安心しなさい」

「そうかい。んじゃあ…落とすぞ!」

 縦に一閃。動かせる右手を全力で振り下ろし、ここら一帯にある雷雲から雷を落とす。

 空にあらかじめ放っておいた『虎狐』の妖力に引っ張られ、集まった雷雲達はあちらこちらで自然の猛威を振るって地を穿つ。森は焼け、徘徊していた精霊達を蒸発させてもなお穿ち続ける。

「ライカ、もう良いわ。大体分かった」

 カゲメの合図を受け、落としていた雷雲の『拘束』を解いて落雷を止める。普通の森なら大火事ものだが、そこは神聖な森だけに火が燃え移る前に火は消されて何事も無かったかのように鎮座していた。

 雷を落とし終え、俺とカゲメは崖を降りてカゲメの先導の元走りだす。

 精霊の方はただでは済まなかったらしく、右を見ても左を見ても残党がいる気配は無い。また湧いて来る前に決着をつけたい所だ。

「カゲメ、土花の方はどんな感じだ?」

「私の影の先導を受けて、あの男の隠れ家と思しき結界へ向かってるわ。それにしても、まさか結界を隠す為に更に結界を張るとはね。器用な男だわ」

 今回の作戦はこうだ。

 精霊達の猛威を掻い潜り、雨の降る今日までなんとか生き延びる。そして、俺の『虎狐』の能力の一つ『拘束』を使って雷を統制、利用する。雷を辺り一帯に落とした後、あちこちの影の中に配置しておいたカゲメの眼で不自然に雷を防御する場所を見つける。

「そして土花がそこに強襲、出来れば押さえてもらうって寸法だったが、よく考えると奴がいない可能性もあるんだよな?」

「まあ、そうね。……でも、多分だけどあの男はそこにいるわ。私の影は少なくともこの森の中にいる姿を見ていない。あまり遠くにいたら修行にならないし、近すぎたら見つかる危険がある。程良い距離にいるのが無難だもの」

 戦闘経験の多いカゲメらしい観察の仕方だ。まだ素人同然の俺にはそこまで考えは広がらない。

 土花も…たぶんそこまで考えてはいないと思う。俺が言った作戦だから。ただそれだけの理由で従っていそうだ。…良くない傾向なのは間違いない。

 雷で粗方精霊達を倒したお陰で、ほとんど襲撃を受けずに森場の隠れ家らしい場所に進む俺達。

 あまりに順調過ぎて調子が狂うが、そろそろ土花が隠れ家に着く頃だろう。俺達もあまり詮無き事を気にしている場合ではない。

「……胸騒ぎがするな。カゲメ、急ぐぞ!」

「ええ!」

 一際強く地を蹴る。

 森の樹々がざわめき、まるで異分子である俺達を威嚇しているようだ。

 ザワザワと鳴る樹々のように、俺の胸中も意味の分からない不安に駆られる。不安を殺す事も出来ないまま、俺達は夢中で目的地を目指した。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 不自然に拓けた場所に出た。

 雨の日とはいえ、雲の向こうには太陽があり、そしてその陽の光は地上に影を作る。

 私の前を先導していたカゲメの影が拓けた場所に出た途端に消失してしまった。おそらく、役目を果たして消えたのだと思う。

 赤原さんの雷が落ちてからここまで、まったく精霊達にかち合う事なく隠れ家と思われる場所に着いた私は、何もない拓けた場所でどうしようかと悩んでいた。

 目の前にはただ拓けているだけでまったく穴のような物が無い。隠れ家なのだから、少しぐらいはその形跡があっても良いものなのに…。

「結界で隠れてる?いや、それならもっと大掛かりな外見にするはず。こんなにあからさまにする必要は無い…」

 赤原さんの腕の中で泣いた後、少々迷いは吹っ切れたものの、相変わらず私は過去の自分を恐れていた。

 壊れかけの玩具だった私の影がヒタヒタと、私の後を執拗に追いかけてくるような感じがしてならない。でも、これを乗り越えないと、私は赤原さんの元に居られないような気がした。

「今のままじゃ…戦えない」

 あの『狩り』の時のような、弱い自分を壊さないと私はまた置いて行かれる。誰よりも側に、誰よりも隣に立ちたいと願っても、このまま鼬ごっこを続けたくなんかない。

「結界が仕掛けられるとしたら何か穴を作らないといけない。穴が無いと言う事は…穴が隠れている?」

 考えろ。

「こんな所に洞窟は無い。不自然に拓けているとは、つまり拓けていなければいけないという事」

 考えろ 考えろ。

「もし、私が森場さんなら……」

 考えろ 考えろ 考えろ!

「穴を……地面に穿つ」

 行動は速かった。

 手に持つ土塊で出来た柄を下に向け、刃を地面に振り下ろす。

 刃はまるでプリンに刺さるように地面に埋まり、埋まった刀身から強力な重力球を作り出す。

「確か、ブラックホールは重力に耐えきれなくなった惑星の末路。ならば、重力を極限まで絞り尽くせば…」

 目に見えない、それでも確かに存在している重力球を精一杯絞る。イメージとしては、重力球の中に更に重力球を作る感じ。

 重力操作は大味だが威力の高い技術だ。その分、精神力を使うし身体から力が抜けていく。

 重力を二重に操る私の顔は汗が吹き出し、顔を思わずしかめてしまう。

 ピキピキッ!

 地面から微かに聞こえた何かが割れるような音。それが響いた途端、地の下で何かが弾け、地面もろとも私は吸い込まれかけた。

「……危なかった」

 地面を吸い込んだ小さなブラックホールはクレーターを作り出し、範囲内の全ての土を無へと帰す。

 縦に穿たれた穴は何処までも伸び、真っ暗で一寸先が見えない。

 ここじゃなかったかな?と私が思った途端、ガラスが砕けるような澄んだ音が幾つも森にこだました。

 そして変化する。目の前に広がる拓けた空間。

「虹の……箱庭?」

 澄んだ音の正体は恐らく結界。隠れ家を覆っていた結界に穴が開き、隠れていた景観が姿を現したのだ。

「綺麗……」

 思わず口から感嘆の声が上がる。

 虹色の薄い壁の向こうには小鳥が囀り、花々が私を誘うように揺れている。

『理想郷』

 まさにその言葉が相応しい、この世で一番の光景を前に私の足は自然と虹の壁を通過した。


 ーーー私の身体をその場に遺して。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「やあ、いらっしゃい」

 小鳥囀る理想郷の中、花のサークルの中央でそう言ったのは一人の綺麗な女性だった。

 黒と緑を足したような深い色の髪と目、セレのように完成されたスタイル。

 セレと違うのは、その耳がエルフのように尖っている点とその雰囲気。

 セレの纏う雰囲気は流れるように他者を誘う魔のような雰囲気だ。だが、その人の纏う雰囲気には、人を誑かすような魔の空気を感じない。それどころか、他者の気持ちを鎮めるような優しい雰囲気を感じた。

「貴方は…」

 警戒心を最小限に保ちながら、私は花のサークルの中央に立つ女性を見据える。

 質問ならいくらでもしたい。

 貴方は誰か?

 ここは何か?

 ここは、本当に自分が探していた隠れ家なのか?

 私は心中を落ち着けようと一つ深呼吸をする。

 花の香りが鼻腔をくすぐり、自分の中で暴れる焦りと不安をなだめすかす。

 私の憑依はまだ解けていない。ならば、彼女が敵意を露わにしても行動は起こせるはずだ。

 あくまで平静に、相手の出方を伺って正しい行動をする。それが私の戦いだ。

「そんな所で立ってないで。さあ、私のお家に行きましょう?」

 細くか細い指が私に向かって差し出される。

 相変わらず敵意も無ければ殺気も無い。ただ、紳士のようにエスコートする為に差し出された華奢な手。

 ここで払い落とすのは簡単だ。でも、もしかしたら彼女の行く所に森場さんがいるかもしれない。

 そう思い、私はゆっくりと彼女に歩み寄り、その白く細い手に自分の手を乗せる。

 私の手を掴んだ女性は楽しそうに、嬉しそうに小躍りしながら私を誘う。

 彼女の深緑の双眼の中で、私は困惑しながらも楽しそうに笑っている自分の顔を無感情に眺めるしか出来なかった。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「土花!」

 俺は叫ぶ。彼女の名を。

 固く閉じられた両の目は開く事はなく、呼吸は酷く小さい。

 今すぐ呼吸が止まるような危険な感じではないものの、土花を見つけてから十数分。確実に先ほどよりも呼吸量が減っている。

「ライカ!セレを見つけて来たわ!ツチカの容体は?」

「何じゃ、何じゃ?雷が降ってきたと思ったらカゲメが我の影から出てくるし。連れて来られた場所に小娘が倒れておるし。…小僧、ちゃんと説明をするのじゃぞ?」

 途中までは本気の愚痴りをしていたセレも、土花の様子を見るとすぐに碧眼を鋭くする。

 セレが土花の診断を始めた後、俺はセレと入れ替わるように土花達から少し距離を取った。

 気がかりではあるが、土花の事で俺に出来る事は何も無い。強いて言うなら…

「なあ、こそこそしてねえで出て来いよ。セレの後を尾けてたんだろ?土花のこの状況も、お前の仕業か…森場」

 セレとカゲメが来た方向に向かって俺は問う。

 これが奴の戦い方なのかはまだ分からない。そもそも、森場が何の妖怪を持っているのかすら分からない。

 だが、そんな事は関係ない。

「まあ、怒りなさんな。その娘はまだ死なないし、死ぬ事はない」

 久しぶりに聴いた声が、一本の樹の幹から返される。

 その幹に手をかけ、森場は姿を現した。厳しい顔つきで出てきた森場には敵意は無い。だが、恵まれた体躯の所為もあり、その立ち姿は歴戦の猛者の風格を醸し出していた。

「殺る気たっぷりに見えるのは、俺の気の所為だと思いたいな」

「君の眼は節穴じゃないさ。現に、君はあそこで眠る彼女の為に俺と一戦交えなきゃならない。だから、俺の方も準備は万端だ。」

 森場が視線だけを俺の背後に送る。

 おそらく、今頃はセレとカゲメが尽力しているのだろうが、こちらの会話の内容から判断して、すぐに俺の加勢に入るだろう。

「良いのかよ。こんな所で話して。そんな事を聞いたら、セレとカゲメが加勢に入るとは考えねえのか?」

 確かに今の立ち位置は二人から少し距離があり、森場は樹の幹と俺の体を盾にして姿を認知させていない。だが、俺が後ろを向いて二人を呼べばその限りではない。

 最悪、カゲメだけでも呼べれば勝機は十二分にある。

「そんな事は分かっているさ。でも、君はそんなつまらない事をして死にたくはないだろ?」

 こちらの心を見透かすように笑う森場。

 以前言ったと思うが、俺達は奴の能力も、ましてや妖怪の名前すら知らない。下手に後ろを向いたら、その瞬間に俺は死んでいるかもしれないのだ。

「さあ、どうする?このまま指を咥えて彼女を見殺しにするか、はたまた俺をボコって何か聞き出すか。選択は君に委ねよう」

 卑怯な奴だ。今さっき、自分で言っていたではないか。

『現に、君はあそこで眠る彼女の為に俺と一戦交えなきゃならない』

「場所を変えよう。…土花を巻き込むのは悪いからな」

「それだけじゃないだろ?ただ、君が一人でやりたいだけだ。自分の力を過信した、自信の肥大した我が儘だ」

 森場の姿が森の奥の闇へと消える。

 俺の精神を掻き乱すように発せられた最後の言葉は、俺の中の闘争心に火を点けて爆ぜる。

 振り返った先に見えたのは、相変わらず淡々と眠り続ける土花とそれを診断して苦心するセレ。そして…ばっちりと目が合ったカゲメの顔。

「行ってきなさい」

 カゲメが音の無い言葉を俺に送る。

 言葉を使わず、口の動きだけでそれを伝えたカゲメは、再び土花へと視線を戻した。

「ああ、行ってくる」

 左腕に奔る痛みに変化は無い。

 この先に行けば、俺は森場と戦わざるをえない。それでも…

「調子に乗るなよ、森場!土花を弄ぶのはここまでだ!」

 怒りで声を荒げ、虎狐を力いっぱい握りしめながら、俺は森場の後を追うように森を走った。

アウト?セーフ?いや、完全にアウトですね〜。何が今月中にもう一本でしょか。結局、月初めになってしまいました。有言実行出来ず、申し訳ありません。

さて、自販機の中身が殆ど冷たいに変わり始めた今日この頃。皆様はどうお過ごしでしょうか?ゴールデンウイークも始まり、休養を取られている方も多いと思います。

私、片府はゴールデンウイークの予定は漢文の勉強をするしか予定に無い、淋しいウィークになると思います。

さて、近況報告はこれ位にして、そろそろ本編の話に移行しましょう。

今回の副題名は『地に足をつけて』です。でも、読者の皆様は今回、何が地に足をつけてなのか分からなかったと思います。

当たり前です。私も分かりませんから!

『地に足をつけて』は次回とある人が地に足をつける事で完結したいと思います。

次回はいつになるのかな?私もまだ未定ではありますが、出来るだけ早く出せるように尽力致します。

では皆様、また次回でお会いしましょう。さよなら〜。

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