第四十話 精霊の宴(遭難編 第五部)
目の前に広がるのは、いつも味の無い無機質な世界だった。
淡々と過ぎる毎日に、代わり映えしない光景。
小さな不幸を嘆き、小さな幸福を増長させようと尽力する人間達。
私、僕、俺、自分……もうどれが本当の一人称だったか忘れたが、そんな風に周りを見ていたのは確かだ。
だからだろうか、どうにも世界が好きになれなかった。
自分も、他人も、家族も、友人も、歪んで奇怪で哀れで虚しい。そんな闇を抱えていた。
あの日、大きな大きな洞に飲み込まれ、神に謁見し、別の世界を手に入れた。
世界を見る目が、人間を視る眼が変わった生活に喜びを感じた。
人は俺を誰も見ない。俺も人を誰も視ない。
形の歪つな物を見るくらいなら、一人でひっそりと暮らすのだと、その時は思った。
森の中で歩き続け、誰にも邪魔されない唯一の世界に浸りこみ、たまたま訪れた湖の湖面を見るまでは…。
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「さあ、着いたぞ〜」
森場に連れ出され、ログハウスから広大な森へと俺達は移動する。
使い方を教えろ、という俺の言を受けた森場が連れてきたのは樹海の更に奥。富士の山がより近く見える場所だ。
「ここが…何か?」
「なにも無いな。木以外」
「森場、どういう事だ?」
見渡す限りは樹々の集会。青々とした葉を茂らせた樹々が生命力を溢れんばかりに流している。
ここまで先導してきた森場は俺達の方を向き、腰に手を当てて恰幅のよい肩を震わせながら宣誓でもするように口を開いた。
「力の使い方を教えろと言われても、俺は口下手でな。お前さんらに感覚を教える事しか出来んのだ。という訳で、俺の力も貸してやるから、その力に慣れろという事だ」
両手を上に持ち上げ、その場で大きく手を叩いた森場に応えるように、風も吹いていないのに樹々が騒ぎだす。
揺れる枝に一つ、また一つと白い灯りが灯りだす。
その数は以前恐山で戦った鬼と同じか、またはそれ以上。
形作られた姿はまるで邪馬台国の祭司のような姿。顔が埴輪のような表情をしているのが、彼らを人間から遠ざける唯一の証左。
樹々の揺らぎは止まっていた。
その場の誰も、考える間も無く合流点などの打ち合わせも無く、森場以外の全員が散り散りに飛び出した。
「赤原さん!」
「今は逃げろ!この数…それに気配だけでもヤバイのが分かる!」
樹々の隙間を縫うように進む間にも、枝にはどんどん祭司が生まれていく。
どれもかれもが虚ろで空虚な目をこちらに向けて興味深そうにこちらを眺めている。
その様子から、こいつらにも感情に似た物がある事が確認できた。
「使って慣れろっつても、こんだけの数一度に相手しろとか、…一種の嫌がらせじゃあるまいな⁉︎」
どこまで行っても樹々からは祭司が生まれ、止まる事を知らない。
このまま逃げても無意味なのでは?と絶望感が押し寄せかけた時、影から一つの声が届いた。
『ライカ、そこの一際大きい樹を右に曲がりなさい。その後、真っ直ぐ行くと小さな窪みがあるから。そこまで逃げなさい』
「カゲメ?お前いつの間に…。まあ、いい。今は逃げるのが先決だ!」
近くを走っていた土花に軽いジェスチャーで逃げる方向を指示し、二人でカゲメの案内に従いながら森の中を走る。
途中から祭司達が敵意を見せ始めたが、あまり数もいなかったのでなんとか捌き切る。
横に縦に斜めに、右から左から背中へと伸びる手を切り飛ばし、血飛沫を顔に浴びながら見えてきた窪みに体を滑り込ませる。
遅れてきた土花に奥を譲り、小さな入り口で一対一をするべく二刀を構える。
『ライカ、よく見なさいよ。この窪みには結界が張ってあるわ。休憩する時に使え…って事じゃないの?』
カゲメの言葉を裏付けるように、入り口の所で祭司達が塊を作る。
今にも入って来そうだが、しかし向こうはあくまで覗き込むだけで入って来る事は無い。
暗がりに眼が慣れてくると、岩壁には人工的に書かれた象形文字のような絵が並んでいる。どうやらこれが結界の依り代のようだ。
「休憩っつても、これじゃあ出る時が大変じゃねえか。…おい、カゲメ。そろそろ出て来い」
「えっ?…カゲメ、いつの間に?」
「あんた達は私に聞く事がそれしか無いのかしら?」
俺の影から浮き上がるように現れたカゲメは小さな体躯で精一杯伸びをする。
伸びをしながらも、その目はいつも通りで暗く、黒く輝いていた。
そりゃ、誰だって気になるだろう。まさか知らない間に自分の影にいるなんて。せめていつから居たのかぐらいは知りたいのが人情だ。
「そんな事より、今はあの男が言った事を理解し、そして行動に移すべきじゃないの?クロベやセレとも合流しなきゃいけない訳だし」
「カゲメの言う通りなのは確かだが、理解するも何も一体何を理解しろと?森場の言ってた事なんて、そこまで大事な物じゃないだろう?」
「はあ…。ライカは本当、憑依してると短絡的になるわね。もし、コンとコルに会ってなかったらどんな人生を過ごしていたのかしら」
「そこには同意ですね…」
カゲメと土花が苦笑いしながら首を振る。まるで、何か嫌な想像を振り払うように。
小さな岩の窪みの中で俺と土花は向かい合って腰を下ろし、小柄なカゲメは土花の隣でリラックスし始める。
それにしてもこの窪み、雨や風は防げるだろうが、それでもあまり長居はしたくないというのが本音だ。
ここで一度休んだ後、もう少しマシな所を見つけるか、再び森場の所に戻るかした方が良いだろう。
「赤原さん、少し休むのなら憑依は解きませんか?されている側は疲労しませんが、している側は疲労しますから。出来るだけ消耗は抑えないと」
土花が微笑みながら提案をする。
コンとコルを気遣ってなのか、それとも何か二人に話したい事でもあるのかは分からない。
でも、土花が何か話をしたいらしい事は、その傷ついた微笑みで理解出来た。
「ああ…分かった」
一言答え、俺は内にいるコンとコルに語りかける。
しばらくすると、僕の体から二つの球体が飛び出し僕の隣で再び形を成す。
いつも通りの狐耳に尻尾。僕の憑依時を意識して作られたような和服。
僕の両隣りにちょこんと座り込んだ二人は先ほどのカゲメのように、体を大きく伸ばしてリラックスすると体を僕に預けた。
恐山での一件の後、何やらコンとコルがやたらベタベタしてくるようになったような気がするが……いや、たぶん気のせいだろう。
青田さんも憑依を解いていつもの無表情な顔になると、溜め息を一つ吐いて僕達を検分し始めた。
「……別に見かけの変化は……いやでも、現に………」
「青田さん?どうかした?」
ブツブツと独り言を呟いている青田さんに僕なりの気遣いとして声をかける。
しかし、彼女は僕の質問には答えず、ただひたすらブツブツと僕には聞こえない声で呟き続ける。その姿は…なんだかとても怖かった。
この窪みがもっと深くまで続いていたら、それこそ逃げるように奥に引っ込んだレベルで。
「まったく…この奥手少女は」
「何か言いました?カゲメ」
「言ってないわ。独り言よ」
カゲメの言には反応し、そこからしばらく二人で無言の火花を散らした後、カゲメも青田さんも黙りこくってしまった。
この状況についていけていないのは…やっぱり僕だけのようだ。
僕はあまり誘導尋問とかには向かないだろうし、ここは気になった事を真っ直ぐ聞いた方が良いだろう。…教えてくれるかは別問題として。
「ね、ねえ、青田さん。何かあるなら話してくれるかな?僕も気になるし」
「(キッ)」
いつも通りの無表情。しかし、その無表情なはずの目は細められ、僕を強く睨みつける。
何か気に障るような事を言っただろうか?
「ライカ、今はそっとしておきなさい。後で私がその体に教えてあげるから、今は思春期女子の理不尽な怒りに火をつけないの」
「後半のは明らかに要らない要因ですよね?あと、何が理不尽な怒りですか…別に理不尽に怒ったりなんか…」
カゲメが余計な事を言うものだから、青田さんが頬を膨らませていじけてしまう。その姿は大変可愛いのだが…結局、何を青田さんが怒っているのか分からず仕舞いだ。
それに、カゲメが体に教えるって言った時、何やら殺気じみた物を感じたのは、気のせいではないだろう。
休憩していた間の約三十分間。こんな感じの気まずい雰囲気が終始、流れ続けたのだった。
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「人っていうのは、誰だって秘密を抱えるものだよ。それがどんなに聖人君子でも、飄々とした軽い人間でも」
やましい気持ちがそこに少しでも介在すれば、人はそれを隠そうと尽力する。
『人が周りに見せるのは陽、隠すのは陰。本来ならばバランスの取れたそれが崩れる時、我々には負の感情が形作られる』
「そう。余計なピースは弾き出され、結局箱の中から出られない」
あの少年が陥った事態は、謂わばパズルのピースを無理矢理交換していたようなものなのだ。
そんな状態が長く続けば他のピース、果てはピースを置く基盤にまで歪みが発生しかねない。
「そういう意味では、あの師匠はよくやったと思うよ」
『不服そうだな。やはり、自分の眼で見なければ気が済まないか。昔のように、あの時のように』
「誰だって自分の知らない所で勝手に事が進むのは気に食わないだろ?ここまで来たんなら、俺は結末ってのが見てみたいね」
『勝手な主が…よくもまあ、そんな事を言えたものだ』
余計なお世話。俺がこんな性格なのは前々から分かっているだろうに。
第一、俺の勝手のおかげでまた段階が進んだんだ。まだ確定していないとはいえ、少なからず揺さぶりにはなったはず。
「あとは、彼らが内部爆発してくれるのを待つだけだ」
『惨い事をする。お前の師匠も気遣って話さなかった事だろうに…』
「気遣いだけで問題が解決すれば、まあ楽だわな。……さ〜て、お手並み拝見といこう」
ログハウス近くの樹に登って妖力の所在を探る。
ふむ、どうやら上手く分裂出来たようだ。となると、俺のする事は事態がどう転ぶかの予測と観測。
並びに、死なない程度の圧をかけ続ける。
「俺を主と認めるなら、もう少しこの茶番には付き合ってもらうぞ?…木霊」
『是非もない。この巡り合わせに幸があらん事を…』
幾つか造った拠点と休憩地点。一先ず彼らがするべき事はそれの探索と発見。
木霊の造った守護霊達の猛攻に耐えながら、どこまで続くかな?
俺の顔には笑みが浮かぶ。
やはり、時には刺激が必要だ。生きる為にも、私欲の為にも。
退屈は人を殺す。
この茶番は俺の退屈を、どれだけ殺せるかな?
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前には見慣れた背中がある。
狐の耳に二尾の尻尾。両手に持つ二刀は伸ばされる手を尽く斬り、そのスピードを一向に緩める気配が無い。
私はその背中の後ろで隠れるように追随し、時々伸びてくる手を同じように斬り落とす。
「土花!大丈夫か⁉︎」
「問題ありません!それより、足元の方にも気を配って下さい。足をもつれさせたら、その時点で袋叩きです!」
木々の間を高速で動くが故に、空気振動で互いの声が聴き取りにくい。
互いがそれぞれを気遣っている中、私は気遣いの他にも考えを巡らせていた。
「(お父さんが研究者…だったのは知ってる。でも、五十年前?私が覚えているお父さん達の歳はどう見ても三十代前半。…年月が合わない)」
今でもはっきりと思い出せる。
あの時…お父さんとお母さんが殺された日の事を。
あの影に、あの妖怪に、あの殺意と悪意の塊に殺される瞬間の事を。
実に呆気なく、前兆なども訪れずにそれは現れ、一薙ぎで二人を殺した。
鮮血は畳や壁にも飛び散り、家を粗方家捜ししてそれは出て行った。
もし、あの殺害現場で見つかっていたら、私もあの場で殺されていたのだろう。
それを今考えると……背筋が寒くなる。
「土花 !」
「えっ?」
赤原さんの叫ぶ声が聞こえた。
思考に埋没させていた意識は前へと向き、前にはいつの間にか祭司達により壁が出来ていた。
「い、いつの間に!」
急いで壁を迂回しようと方向を変える。だが、私が混乱している間に一人、また一人と祭司達が立ちはだかる。
埴輪のような顔には感情というものが感じられない。…まるで、少し前までの私のように。
「はっ……」
一瞬、そんな事を考えた瞬間、祭司達が昔の自分と被って見えた。
ただ敵に向かうしか出来なかった、弱く、それでいて不安定な玩具。
いつ砕けるか?いつ壊れるか?それしか目の前に存在しなかった選択肢。今目の前にいる祭司達は、まるで私の生き方の具現だと思った。
「土花 ⁉︎」
そう思うと、もう刀を振る力は無かった。
膝から崩れるように座り込み、祭司達が集まってくるのをただ眺める事しか出来ない。
頭では分かってる。でも、もう私は祭司達を祭司だと見る事は出来なかった。
たくさんの私が私を見下ろす。
無表情に、無感情に、こなすような仕草で刀を振りかぶる。
私の周りには何十人と刀を構えた私がいる。
この数の刃を受ければ、いくら憑依していても防げるものではない。
頭の中でチラつくのは『死』の一文字。
ついさっきまで考えていた『死』が、すぐ傍まで来ている。
それがはっきり分かっているのに、それでも足は動いてくれない。私を見下ろすたくさんの私の眼がそれを許さない。
昔の自分を捨てた自分を、『死ぬ』事に恐れを抱いている私を、無表情で無感情な眼をした私が許さない。
「(私は…私によって殺される)」
なんと詩的な表現で、それでいて残酷な表現だろう。
何者でもない、自身の手によって死ぬなんて……。
完全に戦意喪失している私に、私はなんの躊躇いも無く刀を振り下ろす。
やけにゆっくりと見える視力の良さは刃の一本一本、その細かなブレまでも完全に見通す。
これだけ鮮明ならば、私が出血した時なんかもさぞ鮮明に映し出すだろう。
目を見開いたまま、涙を流して最後の審判をひたすら待つ。
そして………鮮血が艶やかに、私の視界を塗りつぶした。
皆様お久しぶりでございます、片府です。
いや〜、今月はなかなかに危なかった。危うく二ヶ月目にして有言実行を破る所でしたよ。
さて、今回はお届けするのにだいぶかかってしまった『狐の事情の裏事情』ですが、皆様は今作をお忘れになどなっていないでしょうか?…正直、それが不安でなりません。
私、片府は四月より高校三年。受験生でございます。
推薦なんて狙えるような人間でないのは、最近の更新ペースを知っている皆様はお分かりになるでしょう。
ですので、私は現在塾に通って日々精進している所存でございます!
学校が春休みの今日この頃、私はまったく休んだ記憶がございません!…いや、少しはあるかな。
まあ、なんにしても。今日まで忘れずに読んでくださった常連様から一見様まで、読者の皆様には日々感謝しております。
多忙な為更新ペースは遅いですが、是非とも皆様、生暖かく見守って下さい。
では、今日はこの辺で。また次回でお会いしましょう。さよなら〜。




