第三十五話 合流 (孤立編 番外版2)
遡る事、クジョウの御葬式にまで遡る。
「クロベ、少し良いですか?」
「ん?何だよ」
御葬式は朱雀苑で行われているが、広大なこの屋敷では御葬式に使われている部屋とそうでない部屋で分かれている。
客室は勿論の事、使われていない部屋の大半は何かしら客人の為に設けられた場所である。
その中での言わば娯楽室とも呼ぶべき場所、ビリヤード台などが置かれた部屋で、クロベは一人でソファに座っていた。
ワインレッドのソファに身を沈めたクロベの目は疲労の色が見え、少なからず心にダメージを負っているのが分かる。
「あなたも悲しいと思うんですね。意外です」
「俺だからこそ、とも言えるな。何度見ても、人の死…殺人っていうのは慣れねえもんだろ?」
その気持ちはあまりよく分からない。
何百年と過ごしている内に、私は一体幾つの命を吹き消した事か。…いや、命を数で見ている時点でもうダメな気もする。
思い出すのは歩いた道筋。
その前に立ちはだかる者は何人だろうと許さない。
当時の、ライカ達に出会うまでの私はそんな気持ちで復讐に取り憑かれていた。
おそらく、それは今も変わらない。
妖怪の分身とも言える刀を奪われ、持ち過ぎた力を封印されて相応の器に収まった。
この時点で本当は満足するべきだった。
でも、クジョウが殺された場所に残されていた妖気、どこかで感じたような気がする。
だからこそ、私はここにいる。
「クロベ、頼みがあります」
「…何だよ」
さっきとは違う、警戒心を露わにした返答。
その目も実に据わっており、触れれば切れるような鋭さを秘めている。
黒いワンピースの裾を翻して、私は一歩クロベに近付く。誰にも聞こえなくするように。
「私に…刀を返して下さい。もう一度、私を本来の私に」
「……… 」
クロベは目線を逸らす事もなく、それでいて何か言うでもなく、ただ真っ直ぐ私を見る。
品定めをする卸売業者のように、値踏みする職人のような目で。
そんな時間がどの位経っただろうか?
気付けば遠くで聞こえていたお経も聞こえなくなり、御葬式が終わったのだろう、沢山の人が歩く音がしている。
この娯楽室に足を運ぶ人はいないだろうが、それでも行動を起こすならなるべく早くしたい。
「理由は何だ。聞かせろ」
私の心境を読んだように、ようやくクロベが口を開く。
そういえば、これはライカにも話していない事でしたね。私が人間でなくなった話は。
ライカだけでなく、ツチカにも、同じ妖怪で親しくなったコンとコルにも話していない。私のトップシークレット。
「理由は…話したくありません。たぶん、刀が戻れば自然と口を滑らすでしょうが、今は話したくありません」
「それで通ると、本気で思ってるのか?」
クロベの声に苛立ちが混じる。
元教師志望だっただけに、こういう問答的な物をクロベは大事に思っている。
何かお願いしたいならそれなりの態度を、何かお願いしたいならそれなりの理由を求める。
私にはあまり理解出来ない、でもクロベやツチカ、ライカの世界では当たり前の観念。
でも、まだ確証も無ければ、もしかしたら気の所為かもしれない。
そんなくだらない事に巻き込みたくないと思うのは、それは今の私だから。
妖怪としての特性を殆ど剥奪されて、出来る限り人間に近付いたからこそ思える気遣い。
何も知らなければ矛を向けられる事はない。
それは、私の逃げの一手でもあるのですよ。
「通らなければ…押し通すまで」
「そこまでして取り戻したいか?別に今のままでも問題無いだろう」
「日常生活ではそうでしょうね。でも、私は元々復讐の悪鬼ですから、このままでは私は忘れてしまう。…あの日の惨劇を」
食べ物一つに喘いだあの日、お腹を空かした兄妹達はそれでも文句を言わずに笑いあった。
あれはとうの昔の事として流されてしまったけれど、あの村を焼いた惨劇を流す事だけはしてはいけない。それなのに…
「幸せ過ぎて忘れそう。そんなの私は一度として自分に許した事は無いんですよ、クロベ」
思い出す…あの日からの燃えるような日々を。
思い出す…私に向けられた刃の数を。
思い出す…私が摘み取った、名も知らない者達の慟哭の瞬間を。
「私に刀を返しなさい。断るのなら、相手がクロベでも容赦はしません」
長らく忘れていた宵闇の笑み。
そうです。こんな基本的な事を思い出すのにこんなに時間がかかるなんて。
刀を取られると、ここまで私は自分を見失うものなのですね。
クロベの顔も、初めて出会った時のように油断ならない『相手』として見る事が出来ている。
そうです。私達は最初から、和解なんてしていなかったのですから。
「刀は私の魂です。ぬるま湯に使っていては、魂も錆びつきますよねえ?鴉」
「その呼ばれ方も久々だな。俺自身は何も思われねえが、確かに頃合いではあるかもな」
ソファから立ち上がり、クロベは私の横をすり抜けて入り口へと近付く。
私がその背中をただ黙って見ていると、クロベはおもむろに振り返って私を睨んだ。
「来な。今のお前が俺に一撃入れたら、刀を返してやるよ」
少し前ならあり得ない。クロベが私に向けた、宣戦布告の瞬間だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夕方の空は朱色に燃え、若草は風に揺れてさざめきが起こる。
草原に伸びる影の数は二つ。
影を操る妖怪の少女と烏を操る妖怪持ちの男。
「さてと、ここなら場所としては十分だろ。あいつにも見せてやろうぜ、俺達の喧嘩をよ」
「喧嘩なんて生易しい物ではありませんよ。ただの賭け事、ギャンブルにも等しい、そんな物でしょう?」
「へへっ、だいぶ俺達に慣れてきたみたいだな。ギャンブルなんて言葉、どこで覚えたんだよ」
「テレビです」
即答する私に苦笑を溢すクロベ。
身も蓋もないとはまさにこの事でしょうねえ。
身体も幼なければ知識も幼い。その幼さを補う為に幼い手法を取るとは、なんとも皮肉に満ちている事でしょうに。
夕方の時間帯は影が最も浮き彫りになる時間帯。
逆に日が落ちてしまえば影が出てこなくなり、私の力は無力化する。
まだ日は一分の欠けもなく天にあるが、それも徐々に消えていくでしょう。
クロベに鴉の翼が生えると同時に、私は持てる力を精一杯使って地を蹴る。
刀を持っていない私は得物を持たず、且つ力を抑えられた所為で自分の影しか操れない。
「私が技を考える時が来るとは思いませんでしたよ。…『影絵』」
私から伸びる影からポツリポツリと現れる、シルエットが私に似た異形の衆。
あの人魚…セレの水人形からヒントを得た小技の一つ。
「ふ〜ん、影に妖気を纏わせて物質化させたか。昔のお前なら考えなかった事だな」
「余計なお世話です。あなたの浮かべているその笑顔、少しずつ破壊してあげましょう」
クロベは笑顔、対して私はいつもより厳しい顔立ち。クロベの言う通り、昔の私なら絶対に無かった事でしょう。
鴉の羽根が音も無く私達に襲いかかる。
二•三人の影は対応に間に合わずに消滅したが、残りの十数人は自身の影を出して羽根を断つ。
「ほう…、良い反応だな。大元のお前がどうやってそいつらを操ってるかは分からねえが、実力はお前と同じくらいか?」
「流石、ご明察ですよ。ただ違うのは、私がこの影達に指令を出しているのではなく、影自体が独自の思考を持って動いている事です」
最終目標だけをインプットし、あとは独自の思考に任せるAI式妖怪。
それが…『影絵』
「私と同様に影を操る能力も健在ですし、これであなたも少しは苦労するのでは?」
十数人の影が一斉に自身の影から凶刃を出す。
「さあ、行きましょう!」
『影絵』に先陣を切らせてクロベに近付く。
クロベの羽根は数こそ脅威だが、威力はさほど高くない。
影達に先陣を切らせれば、影達が壁になって羽根を防いでくれる。その間に一撃入れれば…私の勝ち!
「足元がお留守なのは今も相変わらずみたいだな。そんなの、甘すぎる!」
風が吹いた。ただ、私にはそれしか認識する事が出来なかった。
だから、私の前を先陣していた影達が消失した時、私はそれがクロベによる攻撃だと判断出来なかった。
いや、判断出来なかったのは問題ではない。だって、それは死角から来たのだから。
「そういえば、妖怪には『属性』と『特性』があるんだってな?坊主の雷然り、嬢ちゃんの重力然り、俺にも何か無いかと探してたんだが、良いもんを見つけた」
『影絵』を消された私は地を蹴り後方へ、その時に見えた物は…
「お、狼?」
「ちと違うな。性格には、狼型をしたモグラの妖怪だ」
合計で五匹。クロベの言う通りであるならばモグラの妖怪は、五匹とも穴の中から上体を出して唸っている。
だが、目は無いが耳はあり、鋭い鉤爪や体毛があるそのシルエットは完全に狼。
どうしてクロベがこんな物を?
「不思議そうだな。説明しても良いが、時間も惜しいだろうし、俺に一撃入れたら何でも話してやるよ」
悠々と空に昇りながら、クロベは黒い翼を羽ばたかせて浮遊する。
その厚顔さには腹が立つが、油断していると足元をすくわれる事はクロベが教えてくれた事。
相手に塩を送る程、私は優しくはない。
「『影絵』を不意打ちで破られるとは、やはり技を使うのには慣れていませんねえ。となると、純粋に戦った方が私らしい…ですか」
凶刃を三本、影から出して臨戦態勢を取る。
確かにクロベの言う通り、時間はあまり残されている訳ではない。
クロベが何を思って刀を返す事にこんな試練を設けたのか、何の意図も無いとは思いますけど…。
「意図があるならばお互い様…という感じですか」
「何か言ったか?」
「いいえ…」
狼を刃で対処しながら、私自身は一歩も動かずに宙に浮かぶクロベを睨む。
影の刃は伸縮自在で強度の変更も可能、鞭に刃を取り付けたような物にする事も出来る。
もし、そんな武器を前にただの動物が、しかも目の無い動物が向かってきたら、どうなるでしょう?
「所詮は不意打ち、それ以上でも以下でもないわ」
両断、その言葉が似合い過ぎる程の綺麗な断面を残して狼は沈黙する。
結局、最初の攻撃以外は出オチでしかなかった。
「クロベ、あなたの『特性』が何か分からないけど、時間が惜しいから一撃で終わらせましょう?」
退屈そうに空を飛ぶクロベは、その言葉を待っていたかのように口の端を持ち上げる。
やはり、戦闘狂の部類であるクロベが加わってこないなんておかしすぎる。
どこか試すような意味を込めていましたね、あの雑魚共に。…まったくもって腹の立つ。
「お互い手数が取り柄な訳ですし、出来る事は精々妖力か霊力を込めるだけでしょう?」
「お前は妖力一択、俺は妖力と霊力を使えるのは不公平じゃないか?」
「関係ありませんよ。どうせ、一撃に賭けるんですからね」
三本あった影の刃が一本の大きな凶刃に変わる。
その一本に、私の全妖力を注ぎ込む。小さくても制限をかけられたこの身体に溜まる妖力を、箪笥の引き出しを次々に開けるように。
影によった作られた刃は輝きを帯び、その輝きは妖力を注ぐ程に増していく。
「んじゃあ、俺もやりますか!」
鴉の翼から大量の羽根が飛び、頭上で大きな刃の塊へと変質する。
夕陽は半分以上落ち、これ以上は影を映すのも難しくなる。
だから、もっと力を引き出す。
空っぽとなった箪笥の中を掻き回すように、限界を超えた妖力は刃から溢れ、私自身も気を失う寸前。
それでも、向こうもするように精一杯の一撃を与える。
最悪死んでも…そこは自己責任で。
「終わらせましょう!」「終わりだ!」
同時に放たれた覚悟の一言。
それを聞き遂げ、今まさにクロベに突撃しようとした私の影に変化が起こる。
「「えっ?」」
影から徐々にせり出てくるその物体は、一本の刀。
柄も刀身も黒一色の、懐かしい細身の刀。
クロベに盗られたはずの私の刀が、何故か私の影から出てきている。
まるで、私に抜けと言っているように。
「クロベ…これは?」
「い、いや俺にもさっぱり分からない。だが、烏が俺の中で大暴れしてやがる事を考えると…ただ事ではないと思う」
鋭利な刃として向けられていた鴉の羽根は、その標的を私から刀へとシフトチェンジされている。
クロベの判断とは思えない…となると鴉の判断でしょうか?でも…
「抜けと言うなら抜きましょう。私の分身、私の半身は、どこまでも私なのだから」
一思い。そんな気持ちで抜いた漆黒の棒。
柄を握り、刀身を滑らせ、その全容を正眼に構える。
塞がれていた栓を抜くに等しい感覚。
刀を影から抜ききった瞬間、私の身体から制限を解除された妖力が噴き出す。
そして思い出す。
自分がどうやってこの世の『影』を操っていたのかを。
「はあ…はあ…はあ…」
身体を縛っていた鎖が切れたような開放感と共に、一気に妖力を流した事により疲労が身体を支配する。
「だ、大丈夫か?カゲメ」
私が刀を抜いている間に解いたのか、憑依をしていないクロベが近付いてくる。
ああ、その肩に乗る鴉が鋭い眼で私を見る度に、私の中で一つの達成感が溢れ出す。
「ええ、大丈夫ですよ。むしろ気分が清々しいくらいに、『完成感』があります」
久々に浮かべる黒くて深い笑み。
何か欠けていたピースを填めたように、私の妖力は澄みきっている。
それと同時に、浮かんでくる自身の力の使い方。
「なるほど、こうやって使えば良かったんですね…。ふふっ」
「カゲメ、本当に大丈夫か?まさか、刀を取り戻してまた人を殺すつもりか?だったら、刺し違えてでもお前をここで殺すぞ」
物騒な言葉を使いますねえ。別にそんな事は今はどうでも良いのに。
それより、今はもっとやるべき事があるでしょう。
「 クロベ 」
「何だ?」
「ライカと合流しましょう。たとえライカが拒んでも、今は合流する時です」
私の変わらない気配の所為か、クロベは最初は驚いた顔をしていましたが、やがてまた笑みを浮かべ始める。
そう、私は何も変わらない。
刀を取り戻して力を戻したとしても、その中身は変わらない。
思い出も、学んだ事も、考え方も全てが私。
どうにも予想とは少し違う結果になってしまいました。
私の中で渦巻く怨みが消えるのを心配したのは、力を失って平和ボケしたと思っていたから。しかし、どうにもそうじゃなかった。
じゃあ何だ?と聞かれると困りますが、しかし力を取り戻しても何も心境は変わらない。
怨みが再燃する訳でも、ましてまた人を殺す事を躊躇わない訳でもない。
本心ではない行動も、躊躇った末の行動も、全ては人間の特性。
私はまた、人間の真理を一つ思い出した。
「行きましょう、クロベ。ツチカの影が近付いて来ます。おそらく、彼女も何か話があると思いますよ」
「おう、了解。…改めてよろしくな、カゲメ」
何を今更とは思うものの、何となく気持ちは分かる。
だって、私ももう人を殺したくはないのだから。
小さな体躯は動き続ける。
一度死んで身体は人間でなくとも、その魂が人間に戻る事が出来るのだと、私は初めて知った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「それじゃあ行くぞ、ガキ共」
「ええ」
「おう」
「……」
三人の顔が久々の輝きを取り戻す。
あの少年がいなくなってから、彼女達の笑顔はどこかくすみを帯びていた。
私も昔は全力で笑い、全力で駆け抜けたものではあるが、彼らのような一つの集団は見た事が無い。
石となって深い眠りに落ちても、外の世界を俯瞰的に鑑賞する事は出来た。
まあ、見えたのは醜い妖怪共が私を勝手に奉っている所だけではあったが、それでも亀裂は存在していた。
私を奉っていた一匹の妖怪が私に触れ、ギリギリの所で手を離した。
しかし、それを見た他の妖怪共は結局、その妖怪を殺した。
小さな行動でも亀裂に変わる。
しかし、彼らにそれは似合わない。
「一瞬の旅だが、安全運転は出来ない。酔わないように気をつけなさい」
私を含めた四人がそれぞれの手を握って輪っかを形作る。
眼を閉じ、祈り、私に全神経を委ねれば、変化はそうかからずやってくる。
回るような酩酊感。
洗濯機の中にいるような回転は、その実、僅か数秒でしかない。
回転が収まり、身体の感覚がしっかりすれば感じるようになる寒さ。
眼を開ける。
眼前には引きつった笑みを浮かべる一人の少年と二人の狐妖怪、そして…
「赤原さん…何をしているんですか?」
「おいおい、坊主。久々に会ったと思ったら、出会い頭にこれは何だ?」
「ライカ、セレに何を?」
そして…私を目覚めさせた人魚は、影女並の小さな姿で少年に抱きついていた。
俗に言う、コアラ抱っこの構えで。
「これは、あのね?ちょっと…いや、かなりの事情があってね。だから、その、ごめんなさい…」
少年がしようとした言い訳は口に出ず、結果としては最悪の再会となる。
宿には三人の幼女に揉みくちゃにされた男子高校生。
これは、胸躍る修羅場が始まりそうじゃない?
一週間が終わる。それがありがたいのかありがたくないのか、賛否両論な議題だとは思いませんか?
どうも、最近疲労が溜まりつつある、片府です。
気がつけばいつの間にか十一月も中旬に突入。今年もあと僅かになってしまいました。
まあ、最近は一週間が長く感じるので、一年終わるのはまだ先のような気もしますが。
それでも、四季とは忠実で、徐々に体にそれを報せてきます。
ついこの間まで暖かかったのに、気が付けばストーブが活躍しだすようになっていて驚きました。
ああ、また布団から出たくない季節になるのか、と思うと憂鬱にさせられますね。
さて、今回で『狐の事情の裏事情』の孤立編は完全終了。
そして次はスピンオフが待っています。
スピンオフでは書いて欲しいキャラの日常なども募集していますので、ドシドシお寄せ下さい。
では皆様、次回はスピンオフの後でお会いしましょう。さよなら〜




