第二十六話 旅 (孤立編 第一部)
夜の闇の中を走る寝台特急。
時刻は既に0時を過ぎ、一緒に乗っている三人の付き人は眠っている。
列車は今、青森県を目指して進んでおり、おそらく明日の朝に到着するだろう。
僕も少しは寝た方が良いのだろうが、残念ながら熟睡すると何が起こるか分からない危険性がある。
最低でも誰か一人は起きていないと安心して眠る事も出来ないのだ。
「(さっさと体を明け渡せ。)」
まただ。また、あの声がする。
僕と同じ声、しかし僕とは明らかに相容れないだろう乱暴な声。
もう何度もこの声を聞いた。
お陰で、最初はビクビクしていた僕も慣れ、声の主にも投げやり感が出ている。
しかし、それでも絶対に気を抜く事は出来ない。
気を抜けばあっという間にこの声の主に体を奪われ、僕はまた『無』の内に放り込まれる。
直感や予感ではなく、経験としてそれが分かる。
既に三度、一人でいた時に乗っ取られたのだ。何と面倒なじゃじゃ馬か。
「引っ込んでくれ。頼むから、頼むから。」
静かな寝台特急に僕の声が響く。
体を侵食される事がこれほど気持ち悪いとは、最初考えもしなかった。
一度体を渡せば、僕にはほとんど手が出せない。
こうして今僕がいるのも、僕が体を盗られる度に三人が僕を気絶させてくれた賜物なのだ。
寝台特急は走り続ける。
人知れず、その身に爆弾を抱えた少年を地獄に送るように。
目的地はまだ視えない。
華蓮の言葉の通りに、僕の経験を元に、ようやく見つけた抑える方策。
自分の存在を文字通り消して、仲間や友人を裏切って、僕は自分の為に路を行く。
僕は…赤原 雷咼は目を閉じる。
自身に宿る『憤怒』を抑えるように、嵐が過ぎるのを待つように。
置いてきた人達の事を、想いながら。
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ぱっちりと、大変目覚めの良い朝でした。
京都から帰ってきて約一週間。
朱雀苑での出来事は過去の物となり、私と黒部さん、カゲメの三人はいつもの生活に戻りつつあります。
食卓に囲まれた三人分の料理。
今日で京都の事件はちょうど一週間を経過しました。
あれから久城さんや月緋さん、朱雀さんとは連絡を取り合う事もなく、京都の件は私にもよく分かっていません。
久城さん曰く…
『時期が来たら話します。』…との事。
その時期が明確に提示させる事もないままに一週間が過ぎて、結局私達は気にしない事にしています。
気にしても教える気の無い人間からは何も聞けないのです。だったら忘れていた方が気は楽です。
『忘れた頃にやってくる。』なんて言葉がありますが、まさにその通り、という訳です。
「どうしたんですか、カゲメ?さっきから上座を気にしていますが、何かあるんですか?」
私の正面で朝食を食べているカゲメが何度も上座を気にしているのを発見した私は、カゲメに一つ問いかける。
カゲメは気まずそうに顔を逸らすだけで何も答えず、ただ黙々と食事を続ける。
まあ、それでも何度か 誰も使わない上座 を気にしてはいるのですが。
「ご馳走様でした。」
食べ終えた私は静かに手を合わせて一杯のお茶を入れる。
黒部さんはどうせ昼頃まで寝ていますし、ご飯は後でラップに包んでおきましょう。
「あの、ツチカ?」
「何ですか?」
不意に話しかけてきたカゲメに答えながら、私は一口お茶を飲みます。…はあ、癒されます。
まあ、顔には表情が出ませんが。
「あなた、好きな人はいますか?」
「ぶっ‼︎」
咄嗟の事にカゲメにお茶を吹きかける。
無表情のまま吹いた所為か、カゲメは反応が遅れてもろにお茶を浴びてしまいました。
し、しかし、いきなりこんな事を言われたら誰だって動揺します。
「な、何を言っているんですか?急に。」
私が頬を赤くしながら問い返すと、カゲメは上体を机の上に乗せて切迫した様子で私に圧力を与えてきます。
「そ、それで⁉︎だ、誰が好きなんですか⁉︎名前を言ってください!」
「何を慌ててるんですか?そうですね…ええっと、あれ?」
名前、名前ですか。
どうしてでしょう?誰かが好きで、その人がどういう人なのかも分かるのに、名前や姿、声や思い出が思い出せない。
いや、思い出せないというより、元々無かったようにさえ思えるのです。
なんだっけ?ではなく、あったっけ?なのです。
カゲメも私の様子にはすぐに気付いたらしく、残念そうに眉をひそめています。
「思い出せない…ですか?」
「え、ええ。確かにいたようにも思えるのですが、いなかったようにも思えます。むしろ、いなかった方が強い感じです。」
カゲメはそこまで聞くと静かに立ち上がり、おそらく自室へと戻っていきます。
しかし、あの様子ではカゲメは誰か知っていたのではないか?などと冷静に判断するまで、私はお茶を見つめました。
一本の茶柱が立つそのお茶は、私には幸福ではなく、不幸を運んできた報せのように感じました。
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ピシャリと襖の扉を閉める。
やはり、あの時見た光景は嘘ではなかったのですね。
この一週間。
ツチカ、クロベの動きを見ていましたが、やはり二人には三人に関する記憶が無くなっています。…いや、無くなっているというより、無かった事にされているという所ですか。
畳の上に敷いた布団の上に正座する私は、一週間前の光景を思い出します。
そう…あの三人が消えた日の事を。
あの日、私はいつも通り眠り姫•ツキヒから逃げて屋敷の中を走り回りました。
ようやくツキヒから逃げ延びたのは良いのですが、一つ問題がありました。
そう、迷ったのです!
この屋敷と遜色なく、いえそれ以上の洋館であった朱雀苑で私は迷いました。
一応は家なのだから適当に歩けば誰かに会うだろう、などとおもっていたのですが…
「ひ、人っ子一人いないですね。これならまだ眠り姫に見つかった方が助かります…。」
はあ〜、かれこれ何百年も歩いてはいますが、まさか家の中で迷うとは。
「こうなれば、片っ端から扉を開けて案内なり探すのが良いですね。」
そうと決まれば行動は早めに、それでいて迅速にしなければなりません。
おそらくライカ達は既に戻っているでしょうから、あまり子供扱いされたくはありませんが心配もかけたくありません。
私は手近にある扉からゆっくりと開けていきます。
一つ目、何もなし。
二つ目、特になし。
三つ目、やはりなし。
三度目の正直、という言葉を聞いた事はありますが、その三度目もはずしてしまいました。
「はあ、こうなれば大声で歩いてみましょうか。少し恥ずかしいので敬遠していましたが、背に腹はかえられません。」
いや、既に迷っている時点で恥ずかしい事は承知していますよ。
という訳で私が声を出して助けを乞おうとした時、一つの扉が目に入りました。
半分だけ開けられた扉、そこはまだ私が開けていない所でしたから不思議でした。
「……よし。」
力を封じられているとはいえ、これでも何百年と生きる妖怪。こんな事でビビってはいられません。
私は無意識に足音を殺し、扉自体に体をくっつけるようにして中を覗き込みます。
「ライカ?それに狐二匹に、セレ…ですか。奥にいるのは、クジョウの野郎?」
少し豪奢な椅子に座っているクジョウに、ライカ達四人が何か話している姿。
声自体は少し控えられているが、妖怪の私には大した効果を与えられない。
少し聞き辛いですが、何か良くない事がありそうですね。大変興味が…おほん!大変気になります。
「鉄道会社への切符の手配ですか?確かに出来ない事はありませんが、どうなさいました?」
「余計な話をするつもりはありません。分かっているんでしょう?今、僕がどういう状況になっているか。」
クジョウの顔はからかう様な笑みが浮かべられ、背中を向けているライカの顔は見えませんが必死な事は伝わってきた。
何?ライカに何が起こっているというのです?
「ふう、まあ、そうですよね。赤原様としても死活問題ですし、茶化すのはやめましょう。…では、幾つか質問をさせていただいても?心が読めるのと、全知全能は別物ですし。」
構わない、と言ってライカは質問に応えていく。
一つ、一体何人分必要か?
アンサー、四人分。
二つ、一体何処に向かうつもりか?
アンサー、様々な所を。世界の霊山を巡る。
ライカはまるで用意していたかのように答えていきます。
しかし、状況が全く見えてきません。
世界の霊山を巡る?そんな事をしてどうするというのでしょうか?
「では最後の質問を…青田様達は、どうするおつもりですか?」
ライカの言葉がここで詰まる。
そうだ。先ほどライカは四人分と言った。
それはつまり、今あそこにいる四人で行くという事に他ならない。
では、残される私達にライカはどうするというのでしょうか?
ライカの答えに固唾を呑んで見守ります。
きっと連れていってくれる。そんな淡い期待を抱いて。しかし…
「朱雀さんに頼んで僕達の存在を無くしてもらいます。時間を拘束するほどの力を持つ妖怪ですし、そこに久城さんも加われば出来るんじゃないですか?」
覚悟していた事を改めて告げるように、苦渋の決断を素知らぬ顔でするように、ライカは淡々と久城に告げます。
私達は連れていかない。
私達は邪魔だ。
だから、このメンバーで行く…と。
別にライカはそんな事を言ってはいないのに、なのにそう思ってしまう。
「…よろしいんですか?確かにそれなら誰にも赤原様の事を追おう、なんて思わないでしょうが、それで良いんですか?」
「置いていく時点で僕は裏切り者みたいなものですし、それに、下手をすると死ぬ危険性まで出てきます。青田さんや黒部さんが簡単に死ぬとは思えませんが、僕が刀を向けるかもしれない状況で、一体どうして付いてこれるんですか。」
独りよがりの独白。
相変わらず状況はさっぱりだが、ライカの身に何かがあるのは間違いない。
一語一句聞き逃すまいとして体に少し力が入る。
ここで余談だが、ある程度の年季の入った建築物は見た目が綺麗でも中が老朽化している事が多々ある。
例えば、キッチンの壁の隅に煤が付いているとか、扉を開けたら音が鳴ったとか。
私の体に力が入った途端、半開きの扉は少しだけ内側へと入ってしまい、扉特有の嫌な音を響かせます。
「「あっ…。」」
「へっ?」
あっ、しまった。やってしまった。
「おやおや、ご主人、どうやら目撃者がいたみたいですよ?」
「どうします?ご主人様。らしくなく、口封じでもしますか?」
狐の奴らめ…。どうせ私に気付いていながらあえて見逃していたのだろう。
でなければあんなに落ち着いていられるはずがない。
「カ、カゲメ、いつから?」
ライカの当たり前の行動に少し苛立ちを覚えます。
それは私達を邪魔扱いした所為ではなく、いつからなどと今はどうでも良い事を聞いてきたからです。
存在を消す?何を言っているのですか?
そんな事をしたら、私達はあなたを思い出せなくなるというのに。
「ライカ、あなたは私達の前から、消えるのですか?」
クロベはどうする?あいつはライカに知識を教える事を喜んでいた。また、教師の真似事が出来る…と。
ツチカはどうする?彼女の想いは、願いは、あなたと共にいなければ叶わないというのに。
仮にも一つ屋根の下で暮らした住人の一人だ。
一緒に住んでいた二人の気持ちくらいは察する事は出来る。
「カゲメ、これは、その…」
しどろもどろになりながら、ライカは目撃者の私に何か言い訳を考えている。
おそらくだが、ライカ自身も私達を邪魔だとは本気で思っていないのだろう。
でなければ狐共がライカに皮肉を言うはずが無い。
基本的に、どころかもはや過保護の域までに従順だから、狐共は。
「ライカ、ちゃんと話して下さい。あなたが何をしたいのか。」
怒りはとうに超えている。
でも、それでも私は彼を信じたい。
ただの我儘で私達を置いていくなど、理由を話す事もなく立ち去るなどと。
永く、それでいて短い沈黙が場に流れます。
ライカの顔は悲痛に、私の顔は少し怒気を纏い、狐共は我関せずを通す。
そこまで話が進んでようやく、ずっと口を閉ざしていたセレが横やりを入れる。
「カゲメ、小僧を責めるでない。これは前々から決まっていた、謂わば運命みたいな物じゃ。我らが口を出す事ではない。」
「共に行くあなたはそうでしょうね?ですが、置いていかれる理由が死ぬかもしれないなどとで納得出来る程、私は優しくはありません。」
「ふん!見た目も子供であれば中身も子供か。それで何百年も生きてきたなどと、よくぞ言えた物だなのう?」
挑発的なセレと視線を合わせて火花を散らす。
今日のセレはかなり大人げない。いや、常に大人かと問われれば「否!」と断言するだろうが…。
しかし、今日のセレはそれに輪をかけて攻撃的な気がする。
その眼も「深追いするな。」的な眼をしています。
「セ、セレ、落ち着いてくれ。カゲメも、少し落ち着いて。」
ライカに仲介され、私達は視線を外す。
それでもお互いの殺気は、なおもお互いに向け合いながら。
「カゲメ、悪いけど僕が何をするかは話せない。話しちゃったら、僕は自分の判断を無駄にする事になる。」
ライカの言葉が切れる。
やはりここまでしか話さないのか。ならばクロベやツチカを連れてきて徹底的に議論するしか…
「…でも、カゲメが怒る理由ももっともだと思う。僕だって本当は皆と行きたいから。でま、やっぱり巻き込めないんだよ。…自分だけの問題だから。」
最後の一言は、ライカが自分に言い聞かせているようにも感じられました。
その時の表情は、今まで見た事が無いような慈愛に満ち、そして疲労の色が見えました。
溜め息を吐くセレと狐共。
すると存在を忘れていたクジョウが、一つの提案を始めました。
「では赤原様、こうしませんか?私と朱雀の二人で四人の存在を消します。しかし、カゲメ様だけは例外として消しません。カゲメ様が青田様と黒部様の二人の記憶を戻す事が出来れば合流。出来なければ帰ってくるか分からない四人を待つという事で。」
まるでピエロのように、それでいて策士のように無駄の無い計画を久城は撒き散らす。
細かな試練のルール
期間の有無
そして記憶が全員戻る事で開示される情報について
「では、これでよろしければ一つ頷いて下さい。そうすれば明日にでも試練は始まり、赤原様は旅を始めます。」
完全に定まった一つの試練。
それはルールの存在するゲームであり、私とライカの真剣勝負。
誰も(私も含めて)異を唱える事は無く、すんなり首を縦に振る。
「それでは皆様また明日。どうかお楽しみに待っていて下さい。」
クジョウはニコニコと笑いながら手を振って私達を見送る。
私達は一言も話さないまま部屋に戻り、布団へと潜り込み、そして朝を迎えた。
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汽笛の音がする。
どうやら青森に着いたみたいだ。
「ご主人、到着です。起きてください。」
「ご主人様〜、起きないと函館まで行ってしまいますよ?」
コンとコルの優しい声が聞こえてくる。
どうやら目を閉じている間に眠ってしまったらしい。
こうして皆無事という事は、どうやら体を乗っ取られはしなかったようだ。
「…うん、…おはよう。二人共。」
まだ意識が覚醒しないまま、僕は二度寝の誘惑を振り切って荷物を手に取る。
コンとコル、セレは僕の前を歩きながら列車の出口を目指して歩きだす。
汽車をコン、コル、セレ、僕の順で降りると、青森の少し肌寒い風が体を擽る。
「小僧よ、それで何処に行くのだ?」
何の事情も聞かずにここまで付いて来てくれたセレが問いかける。
そういえば、まだ誰にも今回の目的地は言ってなかったっけ?
僕は青森の空気を肺に入れながら、遠くに視える山を指差す。
「目的地は…恐山だ。」
日本有数の霊場。
その一つに向かって今、僕達は歩きだす。
自身の内にいる亡霊を退治しに…。
文化祭が終わった〜!
という訳で、遅くなりましたが新編を投稿しました。
今回は以前より物語の核心に入っていく予定ですので、以前より部数が多くなる事も考えられます。
読者の皆様には申し訳ありませんが、是非とも今後も読んで下さると嬉しい限りです。
それと、一つお知らせをば。
ただいま『狐の事情の裏事情』とは違う、新作の話を書いている最中でございます。
出来次第投稿させていただきますので、読んでいただけると嬉しいです。
では、今回は短くなってしまいましたが、後書きを終わります。
では次回の『狐の事情の裏事情』でお会いしましょう。




