第十話 瀕死決戦 (狩り編 第四部)
闇は乱舞する。
悪霊達の宴は続く。
多種多様な恨み、怨みは一点へと注がれ、その形が何を成すのか、もはや自分達にも分からないだろう。
何の為に…
誰の為に…
ああ哀しき亡霊達よ、君達は、一体何を思う。
ああ悲しき亡霊達よ、君達は、一体何を感じる。
一人の少女を追いかける、その姿は狩り人か、はたまたただの狂気者か。
闇の乱舞は終わらない。
亡者の宴は熱を増す。
それに抗うのは、彼らの保有者にして使用者、無表情な少女。
集まるは餓狼の如く。
それを斬るのは鬼神の如く。
誰も彼らと彼女を止められない。
それが終わる時はただ一つ。
屈服し、される側が現れるまで…
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「かれこれ二日か、一体嬢ちゃんはどうなったのかね。」
嬢ちゃんが坊主の部屋に入ってから丸二日が経った。
今までの経験からすると憑依が完了するのに掛かる時間は最短で数秒、最長で五日、本来なら今回の憑依は賭けの様な物だ。
「それだけ手詰まりと言う事か。ったく、誰だよ、マルチプレイの方が難易度が下がるとか言った野郎は。」
まあ、俺なんだがな。
なんて一人でノリツッコミをしている自分に対して苛立ちを覚えながらも、あまりの滑稽さに笑みを溢す。
とは言え、状況は一向に好転を見せない。
このままでは制限時間の方が先に来てしまいそうな感じだ。
「期限は明日の午前0時から1時の間、こりゃ厳しいか?」
嬢ちゃんが憑依をしている間、俺はアパートとその周囲が見える様、ビルの屋上に待機している。
「烏天狗からの連絡はそろそろのはずだが、あいつサボってないだろうな?」
割と本気で心配な事案だ。
どうして俺が烏の事でヤキモキしなきゃならんのだろう。
「何をしている?我が主人よ。」
不意に上から声がする。
あまりにも急だったものだから、思わず身構えながら上を見る。
そこには電線に留まる、一匹の大きな鴉がこちらを見下ろしていた。
「なんだよ、烏、戻ったなら俺の側に来ればいいじゃねえか。何してるんだよ?」
緊張を解きながら顔に笑みを浮かべる俺、実際は強がりだったりするのだが、これが以外とバレないのだ。
「ふむ、どうやら、まだ時間が掛かる様でごさいますね。私の情報もどれだけ活用出来るか、少し不安になりますな。」
烏はアパートの方を向きながらやれやれと首を振る。どうやら、何かあった様だ。
「烏、何があった?」
俺は顔の笑みを無くし、酷く真剣な顔と口調で尋ねる。
「また、殺られました。昨日が三人、今日がこれで四人、どうやら本命は我々を本気で殺しに来ています。」
烏の報告に、苦虫を噛み潰した様な顔で応える、だが次の瞬間には俺の顔には嘲笑が浮かんでいた。
「烏、殺られた奴らは全員、個人戦で負けているのか?」
「昨日はその様でごさいます。しかし、昨日何人か殺られたと言う事もあり、今日はチームを組んで挑んでいました。結果は、報告した通りでございますが。」
「そうかい、ならもしかしたら、俺達の直ぐ近くに既に来ているかもしれないな。」
半ば確信した様な顔をする俺に、烏は上から問いを投げかけて来る。
「我が主人よ、あなたはまだ、私にも嘘を吐くのですか?」
「嘘?俺がいつ嘘を吐いたよ。」
「嘘、とは違うのでしょうね。…ですが、本当は、かもしれない、ではないのではないですか?」
烏は問いをしながら、電線から俺の肩へと移動する。
俺はその問いに、笑顔を以って応える。
「ご明察。烏よ、お前、探偵の素養でもあるんじゃねえか?」
何かが飛んでくる音。
何かが空気を裂いて飛来する音が迫って来る。
烏は、音がする前には憑依を済ませて、俺に力を与える。
飛来して来た影は、俺の錫杖の芯によってその動きを止めた。
「やれやれ、烏が付けられるなんて、今までなかったんだがなあ。後で奴には、たっぷり説教してやるか。」
「ふふっ、一撃で死ななかったのは、あなたが初めてです。どうやら、少しはマシな人間に出会えた様ですね。」
ビルの一層暗い影の中から笑みを浮かべて現れたのは、小さな少女だった。
「はは!嬢ちゃんより幼い刀使いがいるとは、流石に予想外だ。…お前が、狐の坊主を攫った犯人、で間違いないな?」
こちらの真剣な問いかけに、幼女は笑いながら答えを返す。
「ふふっ、そうですよ?彼は私の同志ですから、殺しはしないので安心して下さいな。」
影が錫杖から離れ幼女の影へと戻って行く。
やはり、あの刀は影を使う刀。
「今度はこちらの番です。あなたは、依頼された人間…ですか?」
幼女の顔は変わらず笑顔だ。
しかし、その笑顔は深く、暗く、底がない。
見た者を萎縮させる様な、不気味で、それでいて美しい目は、俺の翼に向けられている。
「なんだい?鴉の翼が珍しいか?」
「珍しいと言えば珍しいですね。今まで会って来た中では、あなたは油断出来ない人間の様ですから。」
そう言うと幼女は影を背後に刺して一枚の羽根を切り飛ばす。
先程仕掛けておいた、『鴉羽』の一部。
不意打ち用に仕掛けていたのだが、どうやらバレていた様だ。
だが、俺の心中が総じて穏やかなままだったのは、俺としても意外だった。
「何を笑っているのですか?あなたの鴉が、私について何を報告したのかは知りませんが、あなたに余裕は無いはずですよ?」
幼女の言葉は、俺の顔に笑みを広げさせるだけで俺に一切恐怖を抱かせない。
それが報告のお陰か、諦めから来るのかは俺にも判断はつかない。
「いや、違うな。」
「何がですか?」
「お前の問いに対する答えだ。俺は依頼されたからいるんじゃない。今も昔も、俺はやりたい事を全力でやっているだけだ。ただ、利害が一致した奴とつるんでるだけなんだよ。」
常勝にして常笑。
いや、もう坊主に負けた時点で常勝の看板は下げたんだったな。
「来な。幼女だろうが、そう簡単には死ねないのは、俺も同じでな。任された仕事は完璧にこなす!」
鴉と影、同じ黒の性質を持つ刀が今、相対す。
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闇は一切の容赦が無い。
時間の概念と言う物をなくす闇は、外の状況を一切報せる事がない。
それでも少女は刃を振るう。
外の事は外の事、自分の役目は今なのだと言い聞かせて。
闇に限界は無い。
始めからあり、終わりにもある。
それが闇と言う存在だ。
闇の住人は問いかける。
我らの自由を奪うのか…と。
少女は答える。
奪う、しかし自由は奪わない…と。
住人は問う。
何故今なのだ…と。
少女は答える。
やりたい事ができたのだ…と。
そんな禅問答を何回繰り返した事だろう。
何度覚悟を問うただろう。
やがて彼らは認めざるを得なくなる。
少女の思いを、それを守り、護る人間達を。
目覚める時は今なのだ、預ける時は今なのだ、彼らの心は叫び、悶え、問答する。
さあ、最後の問いだ。
少女よ、この質問に応えるが良い。
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影の刃は脅威だ。
錫杖で受け止めてはいるが、残念ながら全ての衝撃を堪える程の耐久力は無い。
錫杖が壊れると同時に、俺の体は隣の家の屋根まで吹き飛んだ。
「かはっ!…ったく、体の内側から壊される気分だよ。」
「それはそれは、ですが、これで五本目、あなたの錫杖は一体何本無駄になるんでしょうね?」
虚空から錫杖を出して再び臨戦体制を取る。
無論、笑顔は絶やさず…だ。
「あなたの笑顔には、そろそろ飽きてきましたね。終わりとしましょうか。」
その顔は、最初の闇の様な笑顔とは異なり、なかなか死なない俺に対する苛立ちが含まれている。
幼女はビルから俺を見降ろしながら影の刃を更に三つ出現させる。
合計四つの刃が俺の元へと殺到する。
「烏!加速するぞ!」
烏の翼を全力で動かしてビルの中へと突進する。
影は依然として追って来るが、避けきれない程俺も雑魚じゃない。
ビルの中へと入った俺は、ビルごと奴を結界の中へと閉じ込める為に錫杖に力をこめる。
「ったく、取り柄が結界しかないのは痛い。中に引き摺りこめば、まだ力を使えるって言うのに。」
まあ何であれ、結界を造ればこっちの物だ。
そう思い、力を溜めた錫杖を刺そうとした俺の手を引っ張った奴を、俺は危うく殴り飛ばす所だった。
「落ち着け落ち着け、俺だ鴉。」
「坊主⁉」
俺の手を引っ張ったのは、行方不明になっていた狐の坊主だった。
「坊主、お前今まで何処に!」
思わずの登場に、俺の笑顔が驚きに変わる。
だが、その驚きも坊主の体を見てより強くなる。
「坊主、その傷は?」
「はっ、少しやられただけだ。命に別状はねえよ。」
命に別状がない。
今程その言葉が信用出来ない事は無いだろう。
坊主の体は、正直言って血まみれだ。
腹部、肩、足、おそらく肩と足は返り血なのだろうが、腹部の傷は存外酷い。
坊主の顔は血が足りない所為で足元が定まっておらず、そんな状態でもこいつは笑っているのだ。逆にこっちの方が恐ろしい。
「鴉、俺の心配は全てが終わってからだ。作戦がある。頼む、力を貸してくれ。」
言葉を発するだけで痛むのだろう。
坊主の額からは玉の様な汗が出ており、その顔は笑っているが、時折苦痛に歪んでいる。
考えている時間は、存在しない。
「分かった。聞かせな、その作戦とやらをよ。…但し、終わってからは文句の嵐だと思えよ。」
俺と狐、両者が同時に笑う。
嬢ちゃんの方を待っている時間は、もう余り残っていない。
だが、問題無い。
ここから、反撃と行こう。
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鴉とは合流出来た。
あとは土花だが、鴉の側に土花の姿が無い。
心配した俺は鴉に一通りの事情と共に土花の居場所を聞く。
「嬢ちゃんか?嬢ちゃんなら、今ちょっくら立て込んでいてな、もう少し時間がかかりそうなんだ。」
「時間って、何の?」
「憑依までの時間だ。」
憑依と言う言葉に体が思わず反応を示す。
「ひ、憑依?あいつ、今憑依してんのか⁉」
人間、いざという時は痛みなり何なり忘れる様だ。
そんな事実に少し苦笑いを浮かべる俺を尻目に、影の追随を気にした鴉が答える。
「ああ、元はお前を捜す為だったんだが、今となっては趣旨が変わっちまいそうだ。今はとにかく、憑依した刀の力が欲しい所だな。」
確かに、もし土花の力が借りれるならそれに越した事はないが。
だが、俺が監禁されたのがおそらく二日前、土花の事だ、俺が行方不明になってすぐに憑依を開始しただろう。それでまだ、と言う事は…
「鴉、憑依で掛かる大体の時間は、どの位だ?」
鴉は若干言いづらそうな笑顔を浮かべながら、ぼそりと独り言の様に言う。
「……長くて五日。」
「間に合わねえじゃねえか‼」
全力でツッコミをした所為で傷が開く。
しまった、ツッコミをしなければ良かった。
後悔した所で既に遅し、開いた傷を再び止血する為に傷に手を押し付ける。
そんな俺を見た鴉はいつもの悪人の笑顔のまま、こちらに質問を投げかける。
「嬢ちゃんの事より、お前の傷、作戦には影響しねえのか?」
「問題無い、とは言えないな。でも、俺の役目は最後の大一番だ、何とかするさ。」
集中力さえ確保出来ればこなす事は出来る。
しかし、それまで俺の意識が保つか、保たずに気を失うかは賭けなのだが。
まあ、それを今言うのは野暮って物だろう。
「鴉、結界の準備の方はどうだ?」
「あと数分、って所だ。そろそろ奴も、俺達の居場所に気付くだろう、なるべく急ぐ。」
「そうしてくれ。」
さて、手札は足らないが、動かなければこちらが死ぬ。
痛みは徐々に強くなる。
頼む、もう少しだけ保ってくれ。
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少女は答えた。
少女は応えた。
もう我らに彼女を拒否し続ける事は出来ない。
しかし、それで良いのだろう?
我らの闇は払われた。
我らの闇は祓われた。
黒の空間は白の空間へ、我らの空間は君の空間へ。
今こそ我らは君に返そう。
我らが奪った感情を、我らが奪った表現を、今さらながらに返そう。
さあ、行きたまえ。
君の解答の答えを、君の心の答えを、汚れた我らに見せて欲しい。
たとえ、君の望んだ力では、なかったとしても…
さあ、外で待つ彼らに会いに行け。
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「まだ、ですかね?」
幼女は屋上の柵に座っていた。
皮肉な話だ。
俺が監禁された時と状況がほぼ同じとは、ただの偶然とは思えない自分がいる。
「鴉、いけるか?」
「無理だな。あいつ、あんなゆるりとしちゃいるが、それでいて隙が無い。不用意に近づけば、こっちがグサリだ。」
屋上に通じるドアを少しだけ開き、本命の位地を確認する。
今夜は満月。
本命の頭上には煌々と輝く月がある。
その所為で、敵の影は黒々とその足元から伸びており、一歩屋上に飛び込めば集中砲火を喰らうのは目に見えている。
「でも、籠城戦が出来る程の余裕もこっちには無いんだ。悪いが、勝負を急がせてもらうぞ、鴉。」
「好きにしな、だがその傷で無理をするとどうなるかは俺にも分からん。まあ、無理をしてもらわないと勝てないがな。」
そう言う鴉の顔は今までで一番の笑顔をしていた。
ったく、人の不幸がそんなにおもしろいかね?などと思い、少し拗ねた様な顔をする。
だが、鴉の笑顔は何処か俺の緊張を解いてくれる程に、温かかった。
「んじゃ、行ってくる。」
「おう、結界の方は任せな、しっかり働いてやるからよ。」
拳と拳を打ちつけて、俺と鴉は双方がそれぞれ反対へと向かう。
俺は屋上に、鴉はビル内に、双方の仕事を作戦通りにこなす為に。
「おや、おやおやおや。誰かと思いましたが、鴉ではなく狐でしたか。よくあそこから出られましたね?その体で。」
「我慢強さなら自信があるんでね。大体、そう思うんなら、最初から殺しておけば良かったんじゃねえのか?」
俺は両手に刀を出し、真剣な面持ちで相手と相対する。
本命は俺に会えて嬉しいとでも言いたげな笑顔で柵から降りる。
その動きも流麗で、隙のない動きに感嘆を零しそうになる。
「ふふっ、あなたは私と同志の様ですからね。私は、あなたを殺さずに、仲間にしたいと思っています。」
「その仲間ってのは、何なのかを知りたいんだけど?」
「あなたは言いましたよね。俺の復讐は間違っていない…と、仰る通りだと思いますよ。私も、復讐に生きていますから。」
そう語る彼女の目は、刀ではなく、人間の目をしていたと思う。
だが、その目もすぐに敵意の塊へと変貌する。
「あなたの復讐は間違っていない。ですが、今のあなたでは私の仲間にはなれませんね。あなたの目がそう語っています。」
影から四本の刃が出てくる。
いよいよ、本当に戦闘が始まるようだ。
俺も二刀を構えて力を練る。
腹部からは相変わらず血が出ているが、気にしていたら瞬殺されるのが関の山だ。
「ふふっ、死ぬ前に倒れて下さいね。死んでからでは遅いのですから。」
そんな一言で締めた本命は、影の刃を触手の様に伸ばしてくる。
刀に雷を宿した俺は、前の経験を生かして背後に気を配りながら一本で二つずつ、影の刃を捌いていく。
だが、いくら経験しているとは言え、四つの変幻自在な刀を相手にしているに等しいが故に、徐々に刃は俺の体を捉えていく。
「どうしたのですか?だいぶ動きが悪いですよ?」
そんな一言でようやく気づく。
普段の俺なら、刃を捌くぐらいなら問題無い。
だが、今の俺はほぼ瀕死の状態だ。そんな状態では動きが悪くなるのも仕方が無いだろう。
だが…
「はっ!そんな動きの悪い奴の命も簡単に取れねえんじゃ、仲間なんて出来ねえんじゃねえのか⁉」
笑顔、笑顔、笑顔
何処までも、いつでも、どんな状況でも、常に笑顔を意識する。
どんなに苦しくても、痛くても、瀕死でも、死ぬまで笑顔で過ごしてやる。
それが、俺が華蓮に会うまでやり遂げると誓った、自らのルール。
華蓮の様に笑え、天真爛漫を絵に描いた様な、相手の心に入る様な笑顔をしろ。
それが出来れば、必ず…
「『葛の式、雷華』!」
「なっ‼」
必ず…チャンスが来る!
体に纏わせた雷を瞬時に放電して敵を弾く。
その姿は雷の華の如く。
基礎中の基礎、雷操作の応用防御技。
雷華を喰らった刃は、読み通り全て後ろにノックバックする。
そのチャンスは、俺を本命の所へ飛び込ませるには、充分な時間稼ぎとなった。
「ここからは、接近戦だ!」
一閃、二閃、三閃、刀をギリギリまで引き絞り、最小限の動きで懐を攻め続ける。
やがて彼女は上へと跳び、屋上の中央へと猛追を逃れる。
距離を離されればまた、あの遠距離攻撃が来る。
「でも、もうさせない。鴉‼」
俺の呼び声にビルの中の鴉が結界を張る事で応える。
本命の体だけを、結界の中に閉じ込めて。
「嘘!」
小さな幼い体は、結界の中へ収納される様に入っていく。
結界が展開し終わった時、そこには人一人が入る球体だけが残されていた。
「はあはあ、っ痛!」
緊張が解けると同時に腹部に痛みが走る。
いよいよ本格的に立てなくなり、その場に倒れこもうとする。
その瀕死の体が床に触れる直前で、首根っこを掴んでくれた鴉も、特上の結界を張った影響で疲弊していた。
「おら、立て坊主。俺も疲れてんだ、手焼かせるんじゃねえ。」
「そんな事言ったって、足に力入らねえんだから、仕方ねえだろ。」
二人の体には疲労の色が濃い、しかし、その顔には、最後まで変わらなかった笑顔があった。
「さて、どうする?坊主。」
「どうするも何も、なあ?」
戦闘は終わり、制限時間にも間に合った。
後はこいつをどうするかだけ、そんな気持ちになっていた。否、完全にそう思っていた。
俺の側にあった球体に…小さな穴が開くまでは。
「まだ!…終わらせませんよ!」
「なっ!」
「何⁈」
球体の穴は少しずつ、だが確実に大きくなる。
やがて穴の大きさがバレーボール大にまでなった時、中からは黒い刃が現れ、中から結界を真っ二つに斬る。
まるで桃太郎の様、なんて言えば聞こえが良いが、中から出てきた女の子は俺達に憤怒の目線を浴びせた。
「まだ、まだ終われません!私の影は、こんな所で照らされる訳には行きません!」
彼女の背後からは最早、刃ですらない影が蠢いている。
理性が飛んで、影を上手く操れない様だ。
「坊主、逃げるぞ!」
「お、おう!」
「させません‼」
逃げる先に影で出来た柵が降って来る。
完全に退路を絶たれ、力も殆ど入らない。
正直、手詰まりだ。
「私は、負けません!」
脅威の影が俺達に向かって伸びて来る。
その速さは今までよりも速く、鋭く、視認するのがやっとだ。
その影の切っ先が俺達に到達するのと、体に不自然な重みを感じたのは、ほぼ同時だった。
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目を開けるとそこは地面だった。
「えっ、がっ、はっ?」
言語がおかしいのは俺も承知している。
今、俺と鴉、さらには幼女までもが尋常じゃない程の重みで地面に突っ伏している。
これは…重力?
「赤原さん、遅くなってすいません。ですが、間に合った様で何よりです。」
俺の傍らに立つ人影、上を向く事は出来ないが、声で誰だか分かる。
「土…花?」
「はい、すいません。重力操作が難しくって、まだ上手く使えないんです。」
土花の声はいつもと違い、単語の一つ一つに感情が感じられた。
「待っていて下さい。少しずつですが、『重力拘束』を解いて行きますので。」
そう言う土花の言葉通り、少しずつだが体の重みが消えていく。
これが、彼女の刀の能力らしい。
重力の縛りはものの数分で解放された。
「かはっ、ごほっごほっ!…土花、お前憑依、出来たのか?」
土花の姿は基本的にはたいして変わっている様には見えない。
しかし、俺の目を疑わせる光景が、土花の頭に乗っていた。
「つ、土花。その角は?」
そう、角。彼女の頭には小さな角が生えている。その角が、彼女の人間性を奪っていた。
そして、彼女の変化はもう一つある。
「赤原さん、ご無事で何よりです。」
にこり、と彼女が笑う。
感情を表に出せなかった彼女が、笑っている。
その事実が、俺にとって驚きであり、喜びとなった。
「おい、坊主共、再会の喜びは後にしてくれ。まずは目の前の問題だ。」
「あ、ああ。すまない。」
「すみません、鴉さん。」
俺と土花が鴉に謝る、だがその謝罪でも、土花はちゃんと感情を表に出していた。
「それで、嬢ちゃん。こいつはどうするんだ?俺達の結界では抑えられない。嬢ちゃんの能力で何とかならねえか?」
土花は鴉の質問に少し考える素振りを見せたが、残念そうな顔で首を横に振った。
「私には、動きを止めるのが精一杯です。今は大人しいですが、解いたら直ぐにでも襲って来ると思います。」
重力に逆らおうと体を持ち上げる様は、宛ら猛獣の様であったが、実際は猛獣どころでは済まされない。
何としてでも、大人しくさせなくてはならない。
「坊主、嬢ちゃん。お前らは、こいつをどうしたい?」
鴉は静かな口調で問いかける。
まるで覚悟を問う様に。
俺と土花は二人共、その問いに対して笑顔で返答を返した。
「「……………!」」
鴉は満足そうな顔をして、任せろ、と言ってくれた。
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翌日の夜、僕達はグラウンドに行かなかった。
一般に言う、リタイアと言うやつだ
では、あの時の影女はと言うと…
「ライカ、ご飯が欲しいです。」
「はいはい、後で青田さんにもらっておいで。」
「ご主人様、こんな幼女に構う必要はありません!それより、ご主人様もご飯がありませんが、もらってきましょうか?」
「コル、あざといにも程がある!ご主人のご飯は私が取りに行くのだ!」
「二人共落ち着いたらどうじゃ?食事は静かに摂る物だと聞いたことがあるのじゃが。」
「「人魚風情は黙ってろ‼」」
何やらコンとコルのライバル認定を受けた模様。
注釈を加えさせてもらうと、この影女、今の名前はカゲメと言うのだが、力の源である刀を所有していない。
土花の重力によって身動きのとれないカゲメから刀を取り、黒部さんが封印用の結界を造ってくれた。
刀をその中に封印する事によって、力の五割は封じる事が出来るらしい。
まあ、黒部さん談なので、どこまで本当かは疑わしいが…。
「しかし、あの人は結界関連だけは化け物じみているなあ。」
「ほう、誰が化け物だって?坊主。」
背後に黒部さんが立っていた。
しかも物凄い笑顔で、黒い方の笑顔で!
「俺がどれだけ苦労したのかも知らずに、呑気な物だな?」
僕の頭を鷲掴みにしながら黒部さんが耳元で囁いて来る。…これが結構恐いのだ。
「わ、分かってますよ。でも、僕だって入院したんですから、そこはお互い様で良いじゃないですか。」
「何言ってんだ。俺はお前の探索に嬢ちゃんの護衛、お前らの面倒は散々見させられたんだ。お互い様で済ませられるか。」
意外と器が小さいな、この人。
「シュウ、それより私の刀はちゃんと預かっているのだろうな?何かあったらただでは済まさん事を忘れるなよ。」
カゲメが黒部さんに三白眼を浴びせながら、自信の刀について質問を投げかける。
黒部さんはそれに胸を張って、笑いながら答えた。
「当たり前だ。俺は結界と体術には自信がある。大船に乗った気分で問題ねえよ。」
「黒部さん、カゲメについては感謝しますけど、本当に僕達とまだ活動を共にするんですか?」
そう、彼は本来、今回の狩りの依頼だけの付き合いのはずだった。
しかし、カゲメの刀を預かり、さらにカゲメがここで暮らすと決めた事で、彼もここに残らざるを得なくなってしまった。
彼の心中はどうなっているのだろう?
「仕方ねえだろ。そのちびっ子も、そんな状態で外を出歩けばどんな奴に殺られるか分からねえからな。そいつが残ると言った以上、俺も残るのが道理だ。」
黒部さんは僕の隣に腰掛けて、食事をするカゲメの横顔を見つめている。
何だろう、何か思い当たる事があるのだろうか?
「まあ、とにかく、俺はこれからもここにお邪魔するから、宜しくな。嬢ちゃんには、もう許可を得ているし、文句は無えだろ?」
表の顔で笑顔を向けながら、僕の裏の顔は今、猛烈な不安に襲われていた。
この人が町にいる限り、家に帰れないのでは。…と言う感じの不安を。
「赤原さん、デザート、お持ちしました。」
黒部さんと話す内に、青田さんが苺の乗ったトレイを持って食堂に入ってくる。
憑依をしていない、相変わらずの無表情で。
「どうしましたか?私の顔に何か?」
青田さんが僕の視線に気付いて声を掛けて来る。
僕は少し微笑みながら彼女に応える。
「いや、何も。苺、ありがとう。」
青田さんの置いた苺が凄い勢いで無くなっていくが、今はそんな事はどうでも良い。
ああ、ようやく、ようやく僕達は一難を、乗り越える事が出来た。
今ある日常を、今ある有り触れた毎日を、大切に過ごして行こう。
もしかしたらまた、事情ができるかも、しれないのだから。
残り日数…タイムオーバー
お久しぶりです。片府です。
今回もだいぶ日を跨いでの投稿となってしまいましたが、ようやく、今回をもって狩り編が終了しました。
いや、読み返して見ると意外と長い、特に今回の話が長い、長すぎる。
計画性が無いとこうなってしまうんですね。
今回は良い教訓となりました。
さて、今回狩り編が終わり、一区切りもついたので、そろそろスピンオフを一つ、書こうと思います。
今回の主役はコル。
前回がコンだったので、まあ順調と言った所ではないでしょうか。
スピンオフの一話を忘れてしまった人は、一話を読みながら待つのも有りかもしれませんよ。
では、皆さん、狐の事情の裏事情も十話まで来ました。
これからも、コンやコル、雷咼や土花、黒部、セレに新キャラのカゲメへの応援を宜しくお願いします‼




