王都に風が吹く(新約)
この作品は東方projectの二次創作、二次設定(と言うか独自設定)、オリジナルキャラクターがふんだんに含まれます。読まぬ、と言う方は左右に時速25kで平行走行しつつ、右手でコーラをシェイクしながら、左手でピースサインをして、半笑いで「ありえねぇ……」と言った後、ブラウザバックをお願いいたします。
宜しい方は、白線より内に下がってお待ちください。そして、心の準備が出来次第、スクランブルしてください。
山の奥深くの又、その奥深く……一人の麗しき貴婦人がその奥へと足を進める。
やがて、苔生した切り株にゆっくりと腰を下ろす。
貴婦人は小鳥のさえずりにも似た、美しい声で、ある記憶を奏で始める。
――……さて、これから私が語りますのは古の記憶ですわ。
昔のまたその昔の、かすれかかった遠き日のこと……。
人も知らぬ場所に、息を潜めていた或烏天狗。さしたる力を持つ訳でもさしたる血筋も無い、烏合の中の一羽。
ただ、その烏の胸のうちにはいつも一つの夢が煌いていたのです。出会いや別れを経ていつしかその夢は大きく輝き、種族、土地を越えて物語を紡いで行くのですが……。
それがどんな険しい道になるかなど、この天狗は考えもしていなかったのです。
さぁ、今からその物語の紐を解きましょう。空を舞い、幻想に消ゆる天狗の物語を……!
■■■
私は晄、或山に住まう烏天狗の一人である。 主に雑用を任される、下っ端の位に属している。それは私の若さと特に秀でた能力を持っていないことを意味し、文字通り烏合の中の一羽に過ぎないと言うことだ。
しかし、私はある事に置いては非常に目立つ存在らしかった。それは、やはり私が特別優れている物があるとかそういうわけでは無く、私が天狗の中としては少し異端な『趣味』をもっていた事による。
「ちょっと尋ねたい。ここいらで良い刀鍛冶がいると聞いたんだが……」
「あぁっと、旦那ァ! きっとそいつはあっしの事でしょう」
私は、この世界に共に(?)生きている『人間』に対して興味を持っていた。と言っても、妖怪は多少なりとも人間に興味を持っている、それは人間は自分の餌であり、恐怖を刻み付ける為である。私も、確かにそういった側面が無いかと言えば嘘になるが、私は単純に人間の性質、文化に対して興味があった。
さて、人と妖怪が共に世界に存在してから何百、或いはそれ以上の月日を重ねている。特に我々妖怪は非常に息が長い。その妖怪ならば、人間の事など知り尽くしている様に思えるかもしれない。だが、その実際は……。
「ほほう、お前がか? 良かろう。早速刀を頼めるか?」
「承知で。あぁそうだ。手の癖を知りたいので手のひらをこちらへ見せちゃくれやせんか?」
我々は人間を、人間そのものを全く知らないのである。それは当然だった。人間と妖怪が出会う瞬間は一瞬であり、人間が妖怪に食われるか、妖怪が人間に退治されるか、その二択しかなかったからである。
人間は妖怪を恐れると言う。それは、人間にとって妖怪は『未知』である故、恐怖の対象だからである。しかし、それは実は妖怪も殆ど同じ様に当てはまる。妖怪は餌以外人間を知らない。何故なら迂闊に踏み込めば我々は退治される運命にあるからである。だから、人間の世界に踏み込まず、妖怪の世界に近づいた人間を襲う事で直接の人間と妖怪の関わりを減らしているのだ。
そう、我々にとっても、人間は『未知』の存在である。私は、いつしか人間そのものを知りたいと思うようになった。餌でもない、退治屋でもない、本当の人間の姿を。私は妖怪達が未だ知らぬ『未知なる人間への道』を解き明かそうと考えている訳なのである。
さて、話を戻すと、私の『趣味』とは『人間観察』である。人間を観察すると言うことは必然的にその距離を詰める事になる。どうやら、それが私が特異な目線で見られる原因らしい。確かにやもすれば、私が人間に味方しているとか、そういう見方も出来ると思う。基本的には敵、或いは餌である人間に沿うのはおかしいと言うことだろう。
しかし、私の場合はそれは単なる興味でしかない。人間が餌や敵であると言う認識は決して消えてはいないのだ。ただ、そこに研究対象と言う属性が付与されるに過ぎないのである。それさえ無ければ私も普通の妖怪とは一切変わらないことになる。
些事はあれど、私は人間を知るべく、手帳に人間の世界を少しずつ映し出している。私は細い暇を縫うように人間の生活を観察する一人の研究者に過ぎない……。
……とは言うものの、今、烏の姿をしているので、筆をとっているわけではないのだが。ここは仮にも人間の町。うっかりと変化を解くとたちまち私は矢の雨を浴びせられる事になるだろう。『妖怪として』も関わってみたいものだが流石に命あっての物種だ。この姿のまま人間界を覗く事が得策だろう。それでは皆様、ご清聴ありがとうございました。
そう、解説を終えると、辺りからは礼賛の声と喝采が聞こえてくる……様な気がした。実際に聞こえてくるのは喝采ではなく、風の音ばかり。
さて、冗談はここまでにして。
今日はちょっと冒険しようかと考えていた。以前から噂には聞いていたこの列島に住む人間の長が住むとか言う人間のお城に今回はやって来たのだ。
流石に中々厳かで尊さを感じさせる巨大さである。見た感じは岩やら木、組して作った様で、我々妖怪の作った建造物とはやはり異なる。しかし、あれだけの巨大な城を人間達が作ったのだから人間が非力と言われてもあんまりしっくり来ない。勿論、時間はかかったんだろうけど……。
さてこの城、名前が……。えっと、何だっけへ、へいあんきょーだったかな? ……生憎と、頭の中が霧がかったかのようにその名前を伏せてしまっており全く思い出すことが出来そうに無い。これだから文に鳥頭って言われるのよねぇ……。文の小馬鹿にした態度が眼に浮かぶ。
……まぁ、名前なんてものは後からどうにでもなる。どうせ、手帳に書いてある筈だし。さて、目的を忘れてはならない。私が向うのはそのお城である。今こそ、探求の空に自由の翼を羽ばたかせるのだ! 私は黒い翼を大きく広げ、大きく胸を張った。
私は、屋根から飛び降りて大きく翼をはためかせる。風が私を通り抜けて行く。気持ちの良い朝の風である。
「うひぇっ!?」
「ぬわっ、なんだ!? その様なふぬけた声をあげて!」
「い、いえ……今、髪の長い女子が空を……!」
「髪の長い女子とな……? どれ……何も見えぬでは無いか。さしずめ、ただの烏の見間違いだろう。全くやかましい奴だ」
「……はぁ、見間違い? そうでしょうかねぇ。妖怪でも見たのかなァ」
「ば、馬鹿な事を言うな! ほれ、お前はとっと刀を打てばよいのだ!」
「へ、へいっ」
□□□
ややもすると、先ほどは手に収まる程の大きさだった城は、私を飲み込まんとするばかりに巨大である。これが今回の観察対象、その名は……うん、後程に。
この城には人間の中でも長に位置する存在がいるらしい。天狗で言えば天魔や鬼に相当するのだろうか。例えのせいでとてつもなく恐ろしい存在に思えるが、まぁ、人間の長なので我々天狗に無理な事をする事はないだろう。私が天狗だとバレない限りは。間違っても変化を解かない様にしよう……。私は変化の力を少し強める。
城下町の置くに聳える巨大な木の門が見える。多分見た感じ樹齢云百年はくだらない巨大な古木であった事は想像に難くない。本来の樹木の姿ならかなりの霊力を持っていただろうが、今はこの通りただの扉として余生を全うしている。人間と、妖怪では物に対する価値観が多少異なるようである。
そしてその門前には厳しい顔をした門番が、槍を構えて辺りを見回している。筋骨隆々な体が服ごしにもわかるその姿は、何だか寒気がする。もし、あんな人間と戦う羽目になったら、無事では済みそうにもない。私の様な雑魚天狗だと、相手が例え人間の一般人であっても十二分に退治される可能性がある。烏の変化を解くまいと私は更に強く心に誓う。
その時、ギロリと門番の目が動いた! 私は一瞬背筋が凍りつく。しばらくして門番は大きく口を開いてあくびをした。
「何だ、もう烏が起きる時間か。こりゃあ、五月蝿くなる……。全く、暁時と黄昏時の烏はどうにかして口に封をしたいものだ」
な、何さー。いいじゃない、朝と夕方に騒いだってさー。
全く、あの岩肌の様な荒い顔と、鋭い眼力は無駄にハッタリが効いている。私の小鳥の様に繊細な肝がきゅうぅっと絞まってしまった。槍を持っていたりあの特徴的な立ち方は何だか仁王を髣髴とさせる。不動の門番と言う訳だ。恐ろしや。
あわよくば門の中も見てみたかったけど、それこそ門前払いで終わりなので大人しく城壁を飛び越えることにする。早朝にここに訪れたのには、単純に警備の手が緩んでいる時間を狙ったのであるが、流石に人間の長へ行かせる門を無人にする事はないようである。世の中、そんなに甘くない。
私は近くの建物を伝って、いざ、その本殿へ身を投じた。
突如、矢の雨が私を襲う……訳も無く。
お札が辺りを覆いつくす……訳など勿論無い。
いたって城の中は静寂である。陰陽師や、修行僧などがいないか辺りを見回しても幸いそれらしい姿は見えない。……と言うよりまず人の姿が全く見られない。
よく考えなくても、当たり前だった。人間の活動が静かな朝を狙ってわざわざやって来たんだから、ほとんどの人間は眠っているはずである。これは目的と計画が噛み合わない……。まぁ、人間の城を見に来たのだから、最低限の目標は果たせている。
城の中に広がる中庭には灰色と褐色の砂と石が敷き詰められていた。申し訳程度に木も植えられている。さしずめ現人神の為の箱庭と言うべきか。
しかし、動く影は無し。鶏が二羽といるわけも……。
何だか寒いなぁ。私は羽を膨らませて暖を取る。朝とはいえ、未だ太陽の輝きが全ての大地に及んでいるわけでもない。決して、今の洒落が寒いとかそんな自虐的な意味なんてこれっぽっちもなくてよ。
そんな下らない事を考えていると、何やら近くを二つの足音が通って行く。そして、この二人の人間は何かを喋っているようである。私は、二つの足音を追い、二人の会話に耳を澄ます……。
「……近頃はどうだ、あやつめの方は?」
「は、大変勉強熱心でございます。他の貴族の子息様と比較しても何ら劣る事はありません。今日も朝からしっかりと勉学にいそしんでらっしゃります。ご子息様の将来は、さぞ明るいでしょう」
「ご子息だと? あやつが、我が子息と言うか? 下らぬ。あの様な奴は私の知った話でも無いし我が血に属さぬ父なし子よ」
「なんと言うことを仰る……! ご子息様は、あなたを父親として敬愛し、あなた様の期待に答えるべく切磋琢磨しておられるのです、その様な物言いは……!」
「ほう、この私に説教か? 或いは、私に楯突くか? 良いか、私はお前の首を飛ばしてやる事も出来るのだぞ。それ以上続けるならば……」
「……申し訳ございません。我、無礼をお許しください」
「ハッ、全く私は良い部下を持った。情の深いお前の事だ、あやつに対して哀れみを感じたのだろう? 慈悲の深い立派な家臣だ、褒めて使わそうではないか」
「……お褒めに預かり、光栄でございます」
「……もう良い、下らぬ。私にもうあいつの事で二度と楯突くな。それで、今回の無礼は忘れてやる。お前は一早く確実に奴を躾けろ、それがお前の役目なのだからな。せいぜい、あやつが私の恥にならぬように。ふん、小童如きが世を治められる訳もないだろうが、な」
「……私は、私の役目を全う致しましょう。新しい陛下を立派にして見せます」
まともに人間の話を聞けたと思ったら随分ややこしい上に重たい話でした。やっぱり、人間も上位の人間となると鬼の様に恐ろしい。そんな人間でも、鬼を恐れるのかは少々疑問である。
とりあえず、全くの他人事とは言え聞いていて気持ちのいいものではない。上下関係やら権力関係は我々も似たようなものであるからだ。話に出てきたそのご子息様とやらも災難である。嗚呼、いとあわれ也。
いつの間にかがっくりと落としていた頭を吊り上げて、その場から私は立ち去ろうとした。せっかく、日課を楽しもうとしていたのに、妙に厳しい現実を垣間見てしまい、何だか気分が萎れてしまった。
「……ひっくひっく」
首を回し、城の外へ出ようとした所、背後から聞こえてくる声。
何やら、先ほどの厳かな声とも、かすれながらも優しい声とも異なる声が聞こえてきた。細く、高い……。
どうやら、成年女性と言うわけでも無さそうである。私はその方向へ耳を傾け、頭を捻る。……どうやら、人間の童らしい。私は逆算的に、その声の主を推測した。
「……ひぐ……ひぐ!」
村や町で戯れる童はいくらでも見るものだが、城の童ともなると中々見る機会はない。私もさることながら、普通の妖怪は城に直接入る事など尚更無い。それゆえ、あまり城の童がどういう存在なのかは知らないのである。が、城とは言え所詮は童。元々、童は無邪気で妖怪としてもとっつきやすいので、きっと、和やかに観察できる筈だ。
この厳かな城の雰囲気にも大分私は疲れてしまったので、ここは、無邪気な童の姿でも見て少し癒されようとでも考えた。何、童を泣かすも笑わせるも、妖怪となれば容易に違いない。ここは是非屈託の無い笑顔でも見て、次の観察までの糧にしよう。
私は周りに人間がいない事を確認すると、人間の姿に化けて声の元へ近づいた。
■■■
泣くことさえやめて、僕は壁によしかかり涙をのむ。
意識が悲しみの中に沈んで行く。膝の中に顔を埋めて、再び咽び泣く。キーンと言う静寂が辺りを支配する中、僕は意味も無く周囲の音に集中する。
……誰か、僕を見て欲しい。僕に言葉をかけて欲しい。僕に手を差し伸べて欲しい。僕を温かい掌で撫でて欲しい。そんな事を考えながら、僕は何も無いこの空間でうずくまっていた。誰も来るはずはないと、知ってはいても。
「……もしもーし」
誰かの声が聞こえてくる。
僕の意識はその声に一気に集中した。誰かが、僕を呼んでいる? そんな淡い期待と喜びが一瞬、その声で心の中に芽生えた。しかし、直に僕は自らその芽を摘んだ。この城に、僕を呼ぶ人はいない。いや、僕に構う余裕がある人がいないのだ。皆忙しなく仕事に勤しんでいる。僕がいなくても、父上はいるし、僕がいなくても弟がいる。僕がいてもいなくても使いはいつも、忙しなく働く。
僕はこの城の中には必要の無い存在なのだ。必要無い。つまり、存在する価値が無いと言うこと……。そんな考えが頭の中で響き通る。体が酷く震え、目頭が熱せられ、瞼が焼け付く痛みを伴う。
「……あれー。聞えてない? おーい童。そこの童やー」
再び聞えてくる声に僕は、少し頭を上げる。
誰かが、誰かを呼んでいる……。僕は痛む目をこじ開け、辺りを見回した。気が付くと空は、白い青みを含んでおり、大分陽が出てきているようだった。しかし、陽の差し込む地面には誰の姿も無い。『童』の姿はどこにも見えなかった。
僕以外に『童』はいない。しかし、この城に僕を『童』と呼ぶ人もいない。益々謎は深まって行く。誰が、誰を呼んでいるかはわからない。でも、誰かが呼んでいるのは間違いがない。僕は『呼ばれている誰か』を探して、『呼んでいる誰か』を教えてあげないと行けない様な気がした。
沈みかかった体を吊り上げて、ゆらゆらと揺れながら庭へ向う。草鞋を履き、庭へ出て人影を探す。
「……やっぱり、誰もいない?」
視界に映るのはいつもと変わらぬ無人の庭。人影も無い、静寂に満たされた侘しき中庭。
中庭の方面から聞えた筈の声の主もそこにはいないようだった。確かに、僕は誰かの声をきいた筈なのに。もしかすると、声の主はとうに目的を果たしてどこかへ行ってしまったのかもしれない。……やっぱり、僕なんかいなくても、世の中は変わらないじゃないか。猛烈に僕は虚しい気分に苛まれて、大きく溜息をつく。
目頭が再び熱を帯びるのを感じて、僕は踵を返し、部屋や戻ろうとした。
「残念、惜しい。私は屋根の上なのよねぇ」
その言葉を聞いて、電撃に浴びせられた様なそんな感覚に陥る。痺れていた頭が少しずつ鮮明になって行く。僕は息が荒くなるのを感じながら、勢い良く踵を返した。僕だ、僕が呼ばれていたんだ……! そう結論付け、行動する。その全てに僕は何も疑うことはなかった。
「こんにち……じゃないか、おはよう!」
白と黒、いや、灰と黒だろうか。そんな二つの色を宿した装束に身を包んだ一人の少女が、屋根の上で手を振っていた。その顔には朗らかな微笑みがあった。その笑顔に何となく親近感を覚えたものの、正直言うと全く覚えが無い人物だった。
しかし、知らない人がこんな柔らかい笑顔を投げかけてくれるものだろうか。そう考えると、全く知らないと考えるのは少々不自然である。少なくとも袖を振り合う程度の縁はあったと考えたほうが幾分か、合点はいく。
そうこう思案している間も艶がかった美しい黒い髪が風に揺られ美しくたなびいていた。
「お、おはよう……ござい、ます?」
とりあえず、挨拶を返してみる。挨拶は基本である。天気を聞いて見るのと同じ位、基本である。これならば、おかしいことは無い。少なくとも、僕が覚えてない事は気づかれない……筈。
が、考えながらの会話と言うのは体と頭がついて来ず、どうしても動きが切れ切れになってしまう。姿を見て、考える。そして、同時に次の会話も考える。そうなると、当然動きはどうしても不審になってしまうもので。
「ど、どうかした? 何か目、泳いでるけど……。あ、も、もしかして私が怖かったりする!?」
「え、え、え? そ、そんな事はないです……多分」
「……そ、そう? それならいいのだけれど……」
その会話のうちに、女性は少し慌てている様な、少し急いた口調が含まれていたことに、この時の僕は気が付くことは無かった。
どうすれば良いのだろう? このまま喋らないままでいれば、尚挙動不審である。しかし、僕が覚えていないという事に相手が気が付けば、最悪怒って帰ってしまうかもしれない。ふと、僕は父の怒鳴り声を思い出して、目の端に涙がたまりそうになった。
涙を何とか飲み込んで、僕は場を取り持とうと、頭の中から出た言葉を口に出してた。
「きょ、今日はいい天気ですねッ!」
それがこの様である。
唐突なその一言に、暫しの沈黙が訪れる。頭の中が真っ白になる。言わずとも知れる、『失態』。加速していく鼓動のつんざくような音が酷く僕の体中に響き渡る。
「ま、まだ明け方だけど、た、確かに、天気はいいかも」
その言葉は、五月蝿い鼓動に掻き消されて僕には聞こえていなかった。僕の体はまるで、石の様にピクリとも動かない。涙で既に濡れている体に更に汗が流れ、涼やかな朝だと言うのに、酷く熱く感じた。
「だ、大丈夫? ……ところで、さっき泣いてたのって君、だよね?」
「――ッ!」
その言葉が、石化していた僕を打ち砕く。一瞬、呼吸を忘れ、悲しみが体の奥から昇ってくる。そして、その悲しみは涙となって、僕の目から染み出して来る。
何とかして、涙を飲み込もうとする。しかし、そう体に命じれば命じるほど、涙はより多く噴出しそうになって来てしまう。考えたら駄目だ。そう判断した僕は、何も考えないようにする。
そして、僕は下向いてわざとらしく顔を振るって涙を振り払った。
「と、ところであなたは誰ですか?」
先ほどまで、言ってはならないと思っていた、その言葉。しかし、この人に僕の事を知られる位なら、いっそ怒らせて帰らせてしまった方が、僕は傷つかない。我ながら、最低の切り返しをした、と言ってから気がついた。
しかし、既に誰かに嫌われることは慣れていた。と言うより、慣れなければならない。僕がいてもいなくとも誰も困りはしないのだ。なら、僕が嫌われるのは寧ろ宿命みたいなものなんじゃないか。
我ながら滅茶苦茶な理論だった。でも、今の僕には、それが世界の真理の様にさえ感じられた。
「ん? そっか。まだ自己紹介してなかったわね。私、晄! 君は?」
屈託の無い笑顔で微笑み返す晄と言う少女。
僕の様に、何かをひた隠しにする事無く、まっすぐと見つ返すその瞳に、自分が如何に小さい事をしているか気づかされる。
なんだ、そもそも知らない人だったのか。顔色一つに随分疑ってしまっていた事に気づく。顔色を伺うにしたって、これは考えすぎだったんだ。張り詰めた緊張の糸が一気に緩みきったのを感じた。
「ぼ、僕はあきひと……です」
「あきひと……か。ふぅん。ちょっと、私の名前と近いわねー」
柔らかい口調が、僕の耳を優しく包み込む。
クスッと言う可愛らしい微笑みが、僕の酷く重く張り詰めた悲しみを少しだけ軽くした。僕は、一つ溜息をつく。温かい僕の息が体を少しだけ温める。
「……あ、ちょっと、落ちついた?」
「えっ……?」
「さっきまで、凄い悲しそうな顔していたから、ね。……何かあったの? 辛いことがあったら私に話していいわよ?」
「あ……その……」
何かの言葉の残骸が、口の先まで出掛かったが、僕はそこで少し戸惑う。話した所で何か変わるの? 寧ろ、女々しい奴だと、嫌われてしまうんじゃ? そう気づくと口がどんどん重たくなっていく。
でも、もしかしたら。僕の話をちゃんと聞いてくれて、僕を理解してくれたりしないだろうか。勿論、それはただの僕の願望に過ぎない。
でも、もしかしたら……。
僕は柔らかい笑みを浮かべる晄に、淡い期待みたいな物を感じていた。
「あ、あの……」
そこまで言葉が出て、僕は再び考える。今なら、まだ引き返せる。このまま言わなければ、嫌われる事もなく終われる。でも言わないと、理解してくれる筈なんか、ない。このままありのままに話すか、それとも誤魔化してしまうか。
そして、僕は小さく深呼吸する。
「誰かが言ってたんですけど、よ、世の中には、い、いらない存在とか、存在自体が、間違いな、人っていると思いますか?」
僕はずるかった。傷つきたくない、でもわかってもらいたい。それがそのまま言葉として出てしまった。平静を装っているのに酷く声が震える。
でも、声が震えているのは、ずるい事を言ったからだけじゃない。綴る度、石の様にのしかかってくる悲しみ。自分は必要ない。いらない存在。そう、それは僕の事なんだ。それが辛くて、わかってほしくて。でも言えば弱い、女々しい、情けない、そう思われて嫌われてしまうかもしれない。そんなの元からわかっていた事だ。わかりきっていたことなのに、実際に口にしただけで言い知れない恐怖があった。
でも、僕はそれを隠して乾いた笑いをする。空っぽな頭の中に、その笑いが響き渡る。ただただ空しい笑い声。
「んー、世の中にいらない存在とか、存在自体が間違いなんて、無いんじゃない? だってそれならこの世にはきっと存在しないと思うし。意味が無い、必要がない、そう見えてもきっと本当は何か意味があるのよ」
「そう、なん……ですか?」
「えぇ! ……多分」
そういって、晄は優しく微笑んだ。いらない存在なんか、ない。僕は声にならない程度に呟いた。その言葉が意味するのは、僕の存在の肯定、なのだろうか。考えても、それはわからなかった。でも、その言葉が嘘だったら……? そう考えそうになった所で晄の笑顔が眼に入る。
さっきと同じだ。この人はきっと裏なんかないのに僕はその裏があると考えてる。ちゃんと答えてくれたのに疑っていたんじゃ本当に嫌われちゃう。嘘じゃない、きっと嘘じゃないんだ……。
僕は晄の言葉をゆっくりと飲み込んだ。きっと本当は何か意味がある。今はまだわからなくても、きっと……。一つを息を飲み込んで、その言葉を噛み締める。そうしていると心が温かくなってきた。
僕はこの人を信じることにした。その言葉も勿論信じる。同時に、僕はこの人にも僕を知ってほしい、信じてほしいと思うようになっていた。
ふと、自然に発生した晄への興味。それは何の意図もなく唇を滑り落ちた。
「晄は……貴族、じゃないよね。町の人? 普段はどこで何をしているの?」
「ん? 私は天狗で雑用をして……」
そう言い掛けて、晄は口を噤む。僕はやや暫く間をがあってから今の言葉の意味を理解する。
――……人間じゃ、ない?
「待った! 無し! 今の無し! わ、私はほら、山に住んでる村娘で……」
晄の言い訳が続く中、ふと思い返してみると、何故、晄は屋根の上にいるのか。そもそも、この早朝に何故やってきたのか。天狗、そう考えて見るとそれほど不自然ではないかもしれない。
しかし、必死にこめかみを指でなぞりながら言い訳を考えている姿は、妖怪と言われるとちょっとおかしいかも。まるで人間みたいだ。
「……くぅっ! 油断、したわ……。
こ、この事は秘密で掟で約束で禁則事項よ? 口外厳禁、門外不出なんだからね……!?」
お腹の空気が踊りだすのを堪えていると、更に必死になって説得するので、もう悪循環だ。手が宙を縦横無尽にかけめぐり、表情が色鮮やかに、忙しなく変わっていく。愈々、笑いが声になり始めると、晄は手に負えないと判断したらしく。
「あぁー、もうっ! 今日は厄日だわ。じゃあね、あきひと。私はこれで失礼するわよっ!」
すっく、と立ち上がり、屋根の上だと言うのに綺麗に踵を返す晄。その背中が少しずつ小さくなるのを見て、僕は直感的に感じた。
今、晄をこのまま帰したら、二度と会えない。晄は、天狗なんだから尚更だ。きっと僕の声の届かない、どこかへ行ってしまう、そんな気がした。無論、それは僕の根拠の無い推論に過ぎない、のだけれど。
「ま、待って!」
屋根の上に向かって突き出された手。どんなに伸ばしても決して届くことはない。届くのは、僕の声だけ。
何を言えばいいのだろう? 正直、咄嗟の行為で、後先は何も考えていない。もし、言葉を間違えたら、二度と晄は現れないかもしれない。
「て、天狗だってバラされたくなかったら、一つだけ約束を聞いてほしいんだ……」
僕は、ずるかった。言ってから、胸が痛んだ。
そう、相手が飲んでくれる様な約束をすれば、いい。さっきの事を言いふらす、と言えば、きっと晄は聞きざるを得なくなる。
僕は、最低だ。僕を気遣ってくれた人に対し、そんな約束を押し付けるなんて。それこそ、僕は嫌われるべきじゃないか。自分で言って、僕は酷い自己嫌悪に陥る。
「……何ー? よく聞こえないんだけどー?」
晄が、少し体を傾け、こちらに顔を見せる。その表情は上手く窺い知れなかったが、どうやら、本当に今の言葉は聞こえていないようだった。
それなら、もう一度、言えばいい。そう、言ってしまえば、晄はまたここに来ざるを得ないのだから。一度、言ったことだ。何も、躊躇する必要は、ない。
「ぼ、僕と……約束、して欲しいんだ」
「……約束? んー、事と次第で聞いてあげない事もないけど?」
僕は、晄の言葉にドキリ、とした。
今、僕は最初に言った言葉の一部を少し暈してしまっている。それを明かしてしまえば、いい。ただ、もう一度、ここに来て欲しい、そんな小さい願いなのだから。
――僕は、意を決して、口を開けた。
「ま、また、城に遊びに来てね」
僕は、あの言葉は言わなかった。言えば、多分晄はまた来てくれるだろう。もしかすると、言わないことで、晄は二度とここには来ないかも知れない。でも、良い。そんな卑怯な約束で来て貰っても晄が喜ぶはずが無い。
例え、来てくれなくても、これで良かったんだ……。僕の視線は力なく落ちてゆく。
「……えぇ。いいわよ!」
「ほ、本当?」
僕は、少し空気の抜けた声で聞き返すと、何も言わず笑顔で返して来た。心が躍りだす、とはまさにこの事だろうか。頭が、口角が、自然と持ち上がってゆく。
「ぜ、絶対、だからね?」
「はいはい、絶対絶対。
――それじゃあ、また会いましょう。あきひと」
そういって、晄は再び踵を返した。やや歩みを進め一番高いところで止まり、振り返って、小さく手を振った。
僕は、それに答えるように大きく大きく、手を振るった。さよなら、じゃない。また、会いましょう、だ。晄には及ばないまでも、僕は出来る限りの笑顔をたたえながら手を振るい晄を見送った。晄が、見えなくなる、その時まで。
気が付くと、辺りに日が満ちていた。
涙で濡れた体はすっかり太陽の優しい温もりを受けていた。ふと、後ろを振り返ると、山から覗く太陽の光が新たな一日の始まりを輝かしく宣言していた。
■■■
「よっ、と」
私は飛び降りながら烏の姿に変化する。
今回の人間観察は、予想外の出来事もあったけど、結果は好転してくれた様で何よりだった。まさか、人間とこんなに積極的に会話出来るなんて、全く考えても見なかったことだ。
未知の存在、人間。今回の事で、私は人間に対して更に接触が可能になれば、人間をより深く知るきっかけになるだろう。
一体、どんな文化で、どんな事を考えているのか。それを知ることが出来る日もそう、遠くは無いはずだ……。
私は、意味もなく、激しく羽ばたいた。体を通り抜ける風が、どこまでも涼やかで気持ちが良い。
さて、趣味の時間はこれでおしまい。これからは天狗として、職務を果たす一日が始まるのだ。
山から顔を覗かせた太陽の光をたたえる大空の中を私は、飛んだ。
次回に続く!
どうも、はじめましてカップワードルと申します。
今後いっぱいはこちらの更新が中心となりまーす。
実はこの作品はリテイクです。
と言うのも管理ワード入れ忘れて消されちゃいました。てへ!
注意書きはマジで良く読みましょう。本当に読みましょう。こうならないように。後リテイクに伴い設定は一掃しました。と言っても始まってすらいなかったですが(苦笑)
【謝罪】
2016年とか、我ながら意味がわからないですね……。
書いている内に書きたい物と違ってくる、そうして離れ、そもそも書くイメージが変わる……。そういった悪循環ばかりが続いてました。私自身受験生だった事もあり、上手く手をつけられずにいました。
もし、この作品を今も見てくれる人がいたなら、ありがとう。そしてごめんなさい。
今、こうして見ることで当時のこの作品に込めた思いが少しずつ蘇ってきています。これからもお時間をとらせてしまう事になるかもしれません。ですが、時間を見つけて少しずつ少しずつ、書きたいものを書いていければいいなぁ、と思っています。
【追記】
この作品を書こうと思うとき、何故かかならずこの一話のリメイクから始めます。そこから続いてないんですけど。何度となくリメイクされる内にすっかり様変わりしています。特に文体なんかが顕著ですね。
パスを無くして入れなくなってしまったハーメルンには初期に近い物がありますので見比べて見るのも面白いかもしれません。
リメイクに当たって細かい部分が毎回変更されてはいますがストーリーの本筋はあまり変わっていません。変えてないので当然ではありますが。しかし、一万二千字ってなんだこれ。最初は三千そこらしかなかったんだけどなぁ(笑)